おじいさんとの対話 9 粗の1   病菌の食べ物と血液中の毒素(まとめ編)

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おじいさん:いまわしがこの世に居れば、トップの座になっているガンについて多く語っていたじゃろうが、あの時代はまだ結核が上だったんじゃ。 

himaari:ところが最近になって世界でまた結核が再登場してきたというのです。既に解決した病気だと思っていたら、どうやら再び増え始めてきたというのです。

おじいさん:それについては既に書いて有るじゃろうが。

himaari:その結核に関連して気になったのが、この前大騒ぎになったばかりの新型肺炎(SARSサーズ)なです。おなじ結核に関連する浄化作用のひとつに思えたからです。おじいさんの論によると、感冒(風邪)から逆療法によっては肺炎、結核に進むという経緯が説明されていましたが、新型肺炎(SARSサーズ)などもこれに類似した浄化作用であると思われますね。という訳で、ひさしぶりにおじいさんの所へ出かけることにしたわけですよ。

おじいさん:ああ、だいぶ見かけなかったが・・・あれから君もずいぶんと歳を取ったんじゃないのかね?

himaari:あちらの世界のおじいさんは相変わらずでしょうが、こちらは時間が過ぎますもので・・・。ずいぶん御無沙汰いたしましたが今回もどうぞよろしくお願い致します。

おじいさん:おや、君かね? だいぶ変化したからわからなかったよ。まあ、よく来たね。

ところであんた、けっこう自分の勝手な解釈を入れているようじゃないのかい?

わし言うことそのままを伝えてないというウワサがチラホラ聞こえているんじゃがね。まあ、根本は変わりないじゃろうが・・

himaari:それは・・・どうも。 勝手に手を加えたりしましてどうもすみません。

メモしている内についつい自分のフィルターが入ってしまいまて。なにしろ半世紀以上も前のおじいさんに会ってお話を聞くというのはむずかしいものでしてね・・・・聞き取りにくいところは私が勝手に付け加えたり、私の解釈で変えたりしまして・・

おじいさん:まあ言い訳はいいから。君の書いたものは君の責任だから任せるよ。君の自由にね。多少は違っていても、それでもわしの説を他人様に興味を持たせるきっかけになると思って、わしも協力してやるのじゃ。

himaari:ありがとうございます。後はこの対話を読んだ皆さんがそれぞれ、取捨選択して戴くということで。とりあえずは脚色の多いこの会話もお役に立つかと思います。

  研究者は批判の精神が必要

おじいさん:ああ、そういう事ならよろしい。いずれはわしの研究が始まる事はあの時代に言っておいたが、どうやらそれは、殆ど行われていないらしいね。わしの研究が始まるという事は君との対話の中身の様な事じゃった。研究者とはわしとは全然関係ない第三者の人という意味じゃったがね。

himaari:そうですか、第三者に研究して貰うとすれば、研究とは「批判と取捨選択」が必要という事ですね。おじいさんとのは無関係の立場の人が冷静に公正に判断するという意味ですから。

おじいさん:そうじゃよ。わしの研究とは何かという事も絞っておかないとね。もちろん、わしの中心的柱としたのが、「医学の革命論」のことじゃった。それ以外はオマケのようなものじゃよ。それを知らないで研究など的外れというものじゃ。いかにわしがそれに集中していたかを知れば理解できるじゃろう。

himaari:おじいさんの一番の目的でしたね。それは分かります。研究者はまず最初に一番肝心な「研究材料」に対して、興味を持たないといけないわけですね。おじいさんの信奉者の様な人たちが集まって褒め合っていたところで研究など成り立たないものですから。

おじいさん:そうじゃ。わしは批判を受け入れる事を覚悟して書いていたのじゃ。わしの信者の様な者達ではそれは出来ないじゃろう。

himaari:まずは批判に耐えられること。そして取捨選択される事を恐れないこと。これが出来ないと「研究」にはなりませんしね。

おじいさん:わしはそれに自信があったからこそ、批判を全て受け入れるつもりで書いて残したんじゃ。当然、研究で批判や取捨選択などあっても、それは必要なんじゃ。それが研究する人たちの自由なんじゃ。

himaari:それではさっそくですが、今こちらの世界では新型肺炎(SARSサーズ)とかいうものが一時流行り出しまして、これでは安心して居られないというのが今の世界の情勢ですよ。それに肺炎と言えば、以前にお尋ねしたときのおじいさんのお話を思い出したという次第です。

おじいさん:そう言えば、わしが論文を残して逝った最後からもう半世紀以上も過ぎてしまったのだったね。君の時代の医療の世界では相変わらず薬や手術が主流になっているようじゃな。

himaari:はい、わが国は勿論そうです。日本は世界でも現代医学の最先進国のようです。薬と手術が主流の医療が中心になっていますね。世界でも先進国ほど、そのようです。漢方の国だと言われていた中国でさえも、今は西洋医学が主流となっているようです。

おじいさん:まあ、どちらにしても対症療法の思想では西洋でも東洋でも根本解決は無理じゃろうな。それについて昭和初期の頃から論文にして残しておいたのだが、世間に認知されているのかね? 

「今の医学は早晩行き詰まることになる」とね。

おじいさん:いえ残念でしょうが、今のところはおじいさんの説はお蔵入りしているみたいですよ。でも、最近になってようやくお医者さん達からも同じような事を言う人が少数ながら出てきました。きっとその流れが始まったようですね。

おじいさん:そうか、深い真実が伝わるにはまあ100年位はかかるかも知れないな。なにしろそれだけ薬信仰が人類に染みついてしまったからじゃが。時期と時間が必要だという事じゃろう。

himaari:そうですか? 僕の時代に果たして分かるのでしょうかねえ?未だに多くの人は現代医学を最高のものだと信じていますよ。だれに聞いても「医学は進歩している」とね。僕などがおじいさんの論をお話をすると「トンデモ論」と思われて、失笑とか、中には真顔で怒る人も居るでしょうしね。これでは、もう50年もかかるんじゃないかと思う位ですよ。半分はあきらめの気持ちになりますね。

おじいさん:君なんかはまだまだ幸せの世界に居るんじゃ。わしの時代など、まだ不自由な時代であったからね。このような話をするだけで当局が飛んでくる時代だったから、ずいぶんと遠慮して書いていたものじゃ。その論文にしても戦前や戦中は出せば直ぐ発禁となってしまい、当局から呼び出しを受けることになる時代じゃった。そんなわけで、戦後の民主主義の時代になってから、ようやく遠慮無く論文として出せる様になったのじゃ。

himaari:そうなんですか。それで私が聞くおじいさんのお話は昭和20年から30年の間のものが主流なんですね。でも直ぐお亡くなりになって、その意思は中断してしまったのですね。

昭和初期から論文を書いていた

おじいさん:書き始めたのは昭和の初期からだったが、社会に思うように出せるようになったのは戦後だね。だが、いくら民主主義の世の中になっても、この医学に関してはあまり自由じゃなかったようだね。あれから半世紀も過ぎたのに未だにわしの論は広くは認められていないようだから。

himaari:はい、申し訳ありません。僕なども今(平成12年ころ)から20年も前に初めておじいさんのお話を聞いていたのですが、それがどうも・・・・皆さんに伝わらなくて・・おじいさんがあちらに往かれてからも、法律などもあり医療問題は厳しくなりましたし。肝心要のおじいさんの論文はずいぶんとお蔵入りしてしまいまして。表に出ないから殆ど知られないで来ましたね。

おじいさん:まあ、あんたのせいばかりじゃないさ。世間の人が受け入れるには時期が早かったのじゃろうよ。そのお蔵入りじゃが、聞くところによると、わしの論文の中でもっとも大切にしていた医学に関する論文は一時は奥に引っ込められたというじゃないのかいね?

himaari:どうもそうらしかったですね。でも無理ないんじゃないですか?組織団体として存続出来なくなる様な圧力がかかったそうですし、当局や医学界から潰されてしまうでしょうからね。自由民主主義国家とは言っても医師法や薬事法が出来ましたから、怪しい治療法など取り締まりの対象になりますよ。そういうわけで規制が強くなっていったんじゃないかと思いますよ。

おじいさん:わしの説は世界の医学界に落とされる原子爆弾のようなものじゃからな。そう易々と受け入れられるとは思わなかったがね。それにしても長い間お蔵入りされたものじゃ。しかし、それはわしの時代の方がずっと規制が強かったかも知れない。

himaari:僕たちの意思が弱かったのでしょうね。潰れても良いくらいの覚悟でやれば。

受け入れ体制と時期

おじいさん:そればかりではないじゃろう。時代が受け入れる状態になっていないという意味なんじゃろう。いくらこちらで必死になってみても国民大衆がまだそれを理解出来るまでに至っていない。国民から受け入れられないのだから、それは時期が早かったのじゃろう。

おっ、そうそう、聞きたい話は何だったかな?

himaari:あ、すみません。ずいぶんと話がそれてしまいまして。

先ほどのSARSの事ですが、それから結核のことを思い出しまして、それでもう一度おさらいのつもりでお伺いに参りました。たしか、おじいさんの時代には結核が半減したのは医学のお陰だということでお祝いをしたと聞きますが・・・

おじいさん:そうだね。昭和20年代だったね、あれは。当時、結核には特効薬として抗生物質が登場したんだね。そのせいもあってか一時的に結核の死亡者は激減したというので結核半減記念祝の式典」という御祝いがされた訳だ。それに対してわしが書いておいた論を読んだのかね。

himaari:はい、そのころは私もまだ産まれていないもので、当時の詳しいことは分かりませんが、結核にとてもよく効く抗生物質が登場したということですね。

おじいさん:うそをつくんじゃないよ。あんたがまだよく分からない年ごろだったというのだろうが。

himaari:あ、どうも・・・・。すみません。僕が産まれてまだ幼少のころで何も分からない頃だったと言い直します。それで、医学で結核の死亡者が激減したのはどういうわけでしょうか?

「抗生物質登場の時、預言していた結核の特効薬は駄目になる」と・・・

おじいさん:その結核に対しての救世主と言われた抗生物質が登場した頃、私はこう話したり書いたりしておいたのだが、どうやら50年も過ぎていまだに理解できたおらんようだね。

「結核が薬で治ったと思うのは、薬で一時的に固めたまでで一時的に病気症状が減るから効くように思うが、実は小康を得るにすぎないのである。したがって、単に死ぬのが延びただけで、もちろん長くは続かないから安心は出来ないのである。」とね。

himaari:「死ぬのが延びた」というのら良いのでしょう?それがなんで長続きしないのでしょうか?僕も最近までこう思っていましたよ、「戦後数十年たった今では結核は安心できる病気となっています」とね。しかし、そうでなくなったというのには驚き、おじいさんの昔の話を思い出したのですね。もしかしたら、おじいさんの古いお話がまた復活しそうな気がしたからですが。

おじいさん:あの時期に結核は激減して日本中がお祝いしたくらいだからね。誰しもこのまま結核は無くなるだろうと思い込むのも無理はなかったのだろう。そこでどうだね、今は医学の進歩のお陰で結核は無くなったのかね。現代医学はあれから50年も進歩し続けたというのだからね。

「結核非常事態」の宣言

himaari:それがそうでなくなったんです。だからこうしておじいさん所へお話に来たのですから。次の引用記事を見てください。

「結核:長期間にわたり本邦の死因の第1位を占めた疾患

多くの人々が結核の怖さを忘却:全世界では年間3,000,000名が結核で死亡

WHO(世界保健機構):1993年に【結核非常事態】を宣言

適切な対策を講じなければ,今後10年間に30,000,000名が死亡」

さらにこの日本でもついに以下のような記事が出たんです。

「【結核緊急事態宣言】:平成11年7月26日厚生大臣発表

結核は過去の病気ではありません.年間新規発生患者数42,715名,死亡者数2,742名.

これが平成9年度の本邦の現状です.結核と気づかぬ人が多いから怖いのです」

以上の記事を読んで、おじいさんのお話を思い出したという訳なんです。

おじいさん:なるほど、そういうわけかね。それではわしも、半世紀前に書いておいたものがあるから、それを再度を出してみようかね。

「・・・では、今まで通りにしていれば今後どうなるかというと、むろん時の経つにしたがい、再び浄化が起り始め患者の数も増すので再び薬を用いるが、今度は以前ほどに効かないから毒をいっそう強めた薬が出来る事になるのはもちろんで、ちょうど麻薬中毒患者と同様である。そうしている中にいよいよ効かなくなり遂には全然効果がなくなると共に、今までの強い薬毒の浄化も加わって悪性結核激発となり急死する者数知れずという事になろうから今よりも幾層倍の結核患者が出来るであろう。以上のような訳で、その時になったら今度の記念祝典を憶い出して身が縮むであろう。」

himaari:まあ、全部ではないけどかなり当たってきましたね。たしかに結核が撲滅したどころか半減どころか生きを吹き返して来たというのは事実のようです。世界中でも多くの結核患者が発生して死亡者も増えているのですからね。

おじいさん:事実はそのまま認めることが大切だよ。もちろんわしの言うことでも間違っている所は安易に認めるべきじゃないがね。それは君たちの賢い判断力と選択眼にかかっているのじゃ。

himaari:それにしても当時から大変なことをおっしゃっていたんですね。国民が御祝いをしているときにですから。

おじいさん:「私はこの様な悲観的な事は言いたくはないが、そうなるのは今から判っている以上、警告せざるを得ないのである。」と書いておいたのは、それなりの確信があったからじゃ。わしはその先がどうなるか分かっていたからじゃが、世界中の医学者達でさえもそれは予測出来なかったわけじゃ。もっとも誰かが分かるくらいならわしの出番もないのじゃがね。

himaari:そこで、なんでおじいさんはこの結核が再び頭を持ち上げてくるということを知っておられたんですか?

おじいさん:なあに簡単じゃよ。それは浄化作用の原理と薬毒の関係を知っていれば、誰でもこんな答えは出てくるものじゃ。これは自然の法則だからじゃ。人間の方でいくら努力を尽しても自然の法則には適うはずがない、従って最後は自然に従属する以外にじゃろう。

himaari:自然の力には敵いませんよね。その自然の浄化作用というのは体内ばかりでなく地上全般で行われるのですね。

おじいさん:次も先の続きじゃが、これだけハッキリと言えるのは薬と病気の関係を知っているからじゃ。

 「ここで重ねて言うが、今日のごとき死亡率半減期間は一時的であるから再び頭をもち上げ始めるのはもちろんであるから当局も一般人も大いにあわて出し、結局医学が今日の新薬恐怖時代を作った事に気が付くことになるのである。」

himaari:しかし、今ではその結核時代を超えてガンがトップになってしまいましたね。そこで、浄化作用の原理で「薬は一時抑え」という事を思い出しました。まさか半世紀以上も過ぎてからとは。

しかも結核よりも悪質な癌になって浄化が行われるとは、さすがのおじいさんもそこまでは言われなかったようですね。

新薬の効果が半病人を造る

おじいさん:私はこうも書いたおいたじゃろう。

「新薬の効果によって直ちに死なない半病人が増えるからこわれ物扱いをされなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働らく事も出来ず軽作業がやっと位の人間が夥しい数に上るであろう。としたら国家全体からみても由々しき大問題である。」

himaari:「ただちに死なない半病人」か。なんだか今の日本人を見ていると体格は良くなってもひ弱な人間が増えたと思えますね。何でも「無理をするな、疲れるような仕事はさしひかえて、体をたいせつに。」というようにね。そしていつも栄養いっぱい、美味いものをたらふく食べていても、まだ足りない、「栄養、栄養、」といってビタミンだのサプリメントだの常に不健康で栄養不足であるかのように言われ続けて。

では、どうして結核になるのかという事と、なぜそれが減少したのかということを詳しく教えてください。

おじいさん:それに対して書いたのが「いかなる人間も、一人も例外なく先天性及び後天性の種々の毒素を保有している。その毒素は平常時は体内あらゆる局所に団結しているが、一度浄化発生するや、溶解し始める。もちろんその場合、発熱、咳、節々の痛み、食慾不振等の初期の結核症状が表われるのである。それによって保有毒素は排泄されて真の健康体となるのであるから、浄化発生こそ大いに喜ぶべき事で、自然の大なる恩恵である。」

を君はよく読んでいたのかね? 何度も聞いてくるという事は。

himaari:あ、はい、いいえ・・・・じつは、これは僕のためだけでなく、ほかの人に教える為ですよ。

おじいさん:君もうまいねえ。時には調子もよいこともプラスになるか。しかし、君は自分の言葉で語って説明できないのかね? あれから何年もたっているはずなのに。

himaari:はい・・まあ・・出来ますよ。それでも、結核症状も結局は体内毒素の浄化作用ということくらいは、この僕でも理解しているつもりです。

粗の2へ続く

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