「命の恩人」は横浜ベイスターズ
そうしているうちに、
吃音の方もさらに悪化していった。
高校に入る頃には、
それまで会話が出来ていた親友や家族とも
まともに話すことが出来なくなっていて、
朝のホームルームの出欠確認の時に、
「はい!」という返事すら言えないほど。
自分、そして自分の将来に絶望して、
そこからは何もかもを避けるようになり、
高校2年の秋ごろ、
ついに「不登校」となった。
不登校の時は本当に最悪だった。
外に出ることが無くて、
廃人そのもの。
髪もボサボサで、天パーの髪と相まって
「このまま仙人にでもなれるんじゃないか?」
みたいな状態。
深夜に寝て、
夕方に起きる、そんな生活。
毎日に目的なんてものはなく、
ただネットサーフィンをしたり、
ゲームをしたり、
テレビを見たりするだけ。
心が動くということが無かったので、
生きる活力みたいなものが段々と無くなっていき、
「ああ、早く死ねないかな俺」
みたいなことばかり考えていた。
それぐらい、生きることに意味が見いだせなくなっていた。
心の中が"空っぽ"だった。
そんな空虚な日々を送っていた2006年の秋ごろのこと、
あるニュースが俺の目に飛び込んできた。
「横浜ベイスターズの多村仁選手と、
ダイエーホークスの寺原隼人選手のトレードが成立しました!」
元々小学校の時に少年野球をやっていて、
某野球ゲームを小さいころからやりこんできていたこともあり、
野球は好きなスポーツだった。
昔は巨人ファンでよくプロ野球も見ていたが、
「史上最強打線」
という名のFA選手乱獲をやり始めてからは、
興味が薄れていった。
「ペタジーニとか取るのは、さすがにやりすぎだろ・・・。」
2002年ごろからプロ野球を全く見なくなり、
それから5年近く、興味を失っていた。
そんな俺でも、「多村」「寺原」の存在は知っていた。
「多村ってあれだろ?横浜の主砲だよな!?
それに寺原って・・・。あの球すげえ速い寺原?」
正直かなりの衝撃を受けた。
5年に一度、
いや、それ以上かもしれないほどの大トレード。
そしてこれほどまでに衝撃を受けている自分にも衝撃を受けた。
「俺にもまだこんな興味を抱けることがあったのか・・・。」
それからというもの、プロ野球について色々と調べるようになった。
横浜に住んでいたので、
「それにしても、ベイスターズはなんでそんなトレードをしたんだろ・・・。
多村がケガがちで、投手が弱いのは知ってたけど・・・。」
などと、特に「横浜ベイスターズ」のことが気になりだしていた。
「今ベイスターズにはどんな選手が在籍してるんだろう?」
「これまでどんな成績を残してきたんだ?」
「へえー、クワトロKとかいう投手陣がいたのか」
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