車いすテニスに出会って感激して、このスポーツを報道したいと思っていたら念願が叶って、気付けば世間に追い抜かれてた話 第11章:涙の再会

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家族とつながらない不安

K選手の金メダルという最高の結果を得て、取材の全日程も終了して、さあ、夫と子供たちと合流しようと車いすテニスのメディアルームから出てみると……夫も子供たちもどこにも見当たらない。時刻は夜の9時ごろだったか。

表彰式後、取材で時間がかかるのは分かっていてくれてると思っていたけれど、観客席で待っててくれているものだと思い込んでいたのだが、どうやら追い出されたらしい。そりゃ、イベントが終われば速やかに観客を外に出すのは当然だよね。

家族が待っているだろうからと、取材を終えて、カメラもノートもペンも、キャリーケースに入れる暇も惜しんで出てきたのに誰もいないというこの不安。

えっ?? えーーーーっ!? どうしよう、どうしよう!! もう、そんな単語しか頭に出てこなくて、あまりに不安でたぶん口にも出していたと思う。

現地では電話もネットもお互いにつながらないようにしていたから、私だけ使えるようにしたところで、つながる可能性もない。しばらく心臓バクバクで、どうしようと連呼して、あたふたしていたのだけど、「とりあえず、落ち着こうよ、私」ということで、近くのベンチに腰を下ろして、手に持っていた全ての荷物をキャリーケースに入れて、そして、熟考した。

オリンピックパークのメインゲートそばのショッピングモールに車は停めてある。私に会えずに、車でホテルに帰るという可能性はないはず!! と思いたい!!

日中は、オリンピックパーク内はゴルフカートみたいな乗り物も利用できるのだが、それすら見当たらない。これは徒歩しか選択肢はなさそうだ。車いすテニスの会場は、オリンピックパークのいちばん奥にあり、メインゲートまで歩くと30分以上ある。とにかく、メインゲートまでひたすら歩くしかない。

覚悟を決めて歩き出した。途中で、車いすの人やらベビーカーを押している人を見ると、自分の家族じゃないかと思ってじーっと眺めてしまったりしつつ、これで駐車場まで行って会えなかったらどうしよう?? いや、絶対に会えるはず!! というふたつの思いを抱えながら歩き続けた。

ようやくメインゲートを出て、ショッピングモールにたどり着いた。ショッピングモールの扉の外から目をこらして店内を見ると、エレベーターの前に馴染みのあるベビーカーと荷物と幼い子が!!!!

いた!! いたよおおおお〜〜〜!!!!

駆け寄って、息子とベビーカーごと娘を抱きしめたよおおお。

たった30分程度のことだったけれど、私には永遠に思えていたし、とにかくほっとして涙まで出てしまった。子供たちのそばには夫はいなく、かわりに女性がふたり付き添ってくれていた。

おふたりは母娘で、車いすテニスに選手として出場されている女性のお母さまとお姉さまだったのだった。お顔は拝見したことあったけれど、面と向かってお話することも今までなかったし、取り乱した姿を見せてしまって、端から見たら滑稽だったろうなあと気恥ずかしさもあって、きちんとお礼を伝えられたていたのか、今では記憶もはっきりしない。

とにかく「ありがとうございました」しか言えていなかったように思うけれど、そんなところへ夫がエレベーターから降りて戻ってきた。夫は「ああ、来た来た」みたいなね、そんな反応ですよ。「よかったー、会えたー、もうどうしようかと思ってー、不安でー」みたいなことをグダグダと話していたら、「駐車場に行けば会えるだろ? なにがそんなに心配だったの?」っていうね。男性ってホント、冷静よねー。

その後で聞いたところによると、車いすテニスの会場からは表彰式後に早々と追い出されてしまい、私が出てくるまで待っていようかと思ったのだけど、観客はどんどんいなくなるし、そうするとメインゲートまで戻る手段もなくなってしまう。5歳の子とベビーカーの子を連れて、さらに荷物もあって、その状態で30分の道のりを歩くのは厳しいだろうと。そして選手のご家族も付き添ってくれると声を掛けていただいたので、お言葉に甘えて一緒に行動することにしたらしい。なるほど。さすが、正しい判断だったと思う。

そんなわけで、無事に家族とも合流し、車でホテルへ戻った。それから私は翌未明の3時ごろまで写真のセレクトと原稿執筆でヘトヘト〜。実は旅行準備の際に、決勝の翌日にホテルを変更しようかと迷っていたのだけど、ホント、やめておいてよかった!! こんなに余裕がないとは……そのときになってみないと分からないものだなあ。


取材終了!! 観光だーーーー!!

決勝の原稿執筆等の仕事は、午前中に片付き晴れて自由の身になった私。では、せっかくなのでロンドン市内でも巡ろうということになった。その日はマラソン競技が行われていたため、交通規制がかかっていた。こういうのも特別な感じでいいね〜、なんていいながら、地下鉄に乗って適当に地上に出てみたら、道路という道路がマラソンコースに使用されていて、全く自由に動けない。とにかく道を横断できないので、行きたいところに全く行けなという……。

ロンドンアイも、遠くから眺めただけ。橋も渡れず、あっちに行きたいなあと思うところは、ことごとく反対側で近づくことすらできなかった。残念。

さらに問題がトイレ。日本みたいに「コンビニでトイレ!」とか「地下鉄の駅でトイレ!」というのもできず、さらに公衆トイレはコインが必要で、小銭がないとトイレにも入れない!!

夫と娘を置いて、息子とトイレ探しに出たのだけど、まさかこんなにトイレが見つけられないとは、本当にカルチャーショックだった。さらにお店とかでも、ドアノブを取っちゃうのね。勝手に入られると、何をされるか分からないってことなのかしら? 世間知らずな私は、そういうのも驚きだった。いかに日本のトイレ事情がハイレベルかがよく分かった。

見るべきところは見損なったような気もするけれど、とりあえずロンドンの中心部を散策できたってことで良しとした。息子には公園に行きたいと言われたのだけど、公園に行く手前に突如階段が現れたり、そういう点は、ウィルチェアラーにはなかなかハードな街だった。

結局タクシーでホテル近くの公園に行って、少し遊んで帰ったのだけど、ロンドンのタクシーは車いすのままで乗り込めるので、この点はすごく便利だった。

その後二日ほど観光をして、帰国。ロンドンパラリンピックの取材&家族旅行は無事に終了したのだった。出掛ける前に、母に「家族だけで行くのは大変だと思うけど、でもそのほうが得るものは大きいと思うよ」と言われていたけれど、本当だったなと実感した。身内とは言え、家族以外の手を借りていれば、楽な部分もあっただろうけど、自分たちだけで切り抜けた感は薄れていただろうと思う。本当に濃密な時間だった。

さて、取材として行った私だけれど、過去の2大会、アテネと北京パラに比べると、全くの大赤字だった。こんなにお金にならないとは……。なんとなく予想はできていたけれど、ここまでとは。

原因は、K選手が有名になりすぎてしまったからにほかならない! アテネや北京の時代は、車いすテニスを取材する人が少なく、私が撮った写真ですら「貸してください」と声が掛かったのだけど、今回は金メダル確実視され、最も注目される選手になってしまっていたために大量のカメラマンが押し寄せた。私の出る幕なんて、なくなってしまった。そういう現状に、ずーっと追いかけてきた私はうれしいような、寂しいような、でもうれしいんだけど。

車いすテニスがメジャーになるといいな。もっともっと報道されるようになるといいなと思い続けて、それが叶ったんだな、と今回のロンドンの取材で身に染みて感じることができた。私の仕事は終わったんだな、と。

ロンドンから帰ってきて、あちこちでK選手が取り上げられていて、私が追いかけてきたものが軽く追い越されてるなと日々感じていた。そんなとき、あるテレビ番組から声が掛かった。車いすテニスに詳しい記者を探していると。

やっぱり私なんだー。って、さすがにちょっと浮かれた。

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