精神障害の母とアル中の父から教えられた「実にシンプルな生きることの意味とは?」前編
このストーリーは、私の良い部分だけではなく、ダメダメな過去についても触れています。
なので、ダメダメ人間が嫌いだという人は、不愉快な思いをしてしまうかもしれませんので、読まない方が良いかもしれません。
(このストーリーを公開後、私のダメダメな過去について「お前はダメだ」というコメントを頂いたことがあり、もう過ぎてしまった過去をどうすることもできず、かと言って、ストーリーに嘘を書くわけにもいかないので、とりあえず、最初に注意書きを入れてみることにしました。)
まずは生い立ちなどから説明します
私は、現在36歳。性別は男ですが、実は・・・
生まれた時は女でした。
数年前にタイで性別適合手術を受けて、その後、日本で戸籍上の性別を男に変更しました。
みなさんにとっては、この話題の方が、びっくりすることかもしれませんが、
この話については、また次回するとして、今回は、私の家族の話をしたいと思います。
私が産まれる前から、母親には精神障害があり、奇妙な言動ばかり繰り返していました。
無論、私自身は生まれたときから、母親の奇妙な言動を見て育ってきていたので、母親の言動がおかしいということすら気づいてはいませんでした。
当時の精神障害というのは、病院に連れていくだけで、それはそれは偏見の目で見られてしまう大変な出来事でした。
なので、どんなに母親が暴れようと、腐れた物を食べようと、お風呂に何年も入らなくても、父親は病院には連れていこうとしませんでした。
父親は、仕事には真面目に行っていましたが、徐々にお酒に溺れるようになっていました。私が成人してからは、アルコール依存で何度か入院したりしています。
両親の他に、私には一回り歳の離れた兄と姉がいます。なので、私が小学校に上がるまでは、その兄弟に身の回りの世話はしてもらっていたようです。
ところが、私が小学校に上がる頃、育ての親であった姉が就職するということで家を出てしまいました。兄は家にいないことが多く、しばらくすると、家を出てしまっていました。
私はその時、まだ小学1年生にして、
精神障害で手に負えない母親とアル中の父親の元に置き去りにされてしまったことで、
人生の絶望感を味わいました。
家の中はゴミ屋敷でした。
押入れには、腐れた食べ物が隠されていました。ゴミ袋いっぱいに食べ物を買ってきては、溜め込んでいました。そこから虫がたくさんわいていました。
床は腐っていましたし、とても人が住める環境ではありませんでした。
臭いもものすごくて、後に大掃除するまで、実家を人に教えたことはありませんでした。
最近、テレビでたまにゴミ屋敷の特集なんかがやっていますが、あんなものは序の口というくらい、ずば抜けたゴミ屋敷でした。
父と母はとにかくケンカばかりしていました。
聞いた話によると、父と母は駆け落ちして学生結婚したらしく、その当時はかなり苦労したんだそうです。そこまでして一緒になった母がおかしくなってしまったということが、父親にはまだ受け入れることができない事実だったのかもしれません。
認知症の精神症状に多いパターンですが、一番身近な家族のことを泥棒だと思い込んでしまうという精神症状があります。
母もその症状がありました。父のことを泥棒だと思い込んでいました。自分は泥棒と一緒に住んでいる、泥棒から我が子を守らなければいけない、という強迫観念を強く持っていました。
そのため、私が父親と話をしたり、一緒にいるとものすごい剣幕で怒りだします。
また、私が一歩でも外に出ようとすると、気が狂ったように止めに来ます。たとえ、玄関でも、近づいてはダメでした。トイレに行くときも、トイレに行くと言って移動していました。
そのため、小学校に上がるまでは、外に出たことがほとんどなく、家族以外とは、一言も話したことがありません。窓から、遊んでいる子どもたちの様子を眺めたりするだけでした。もちろん、幼稚園なども行ったことはありません。
その後、小学校に通うことになったものの、マンモス校だったので、いきなりたくさんの子どもたちの中に身を置くこととなってしまい、びっくりし過ぎて、馴染めず、しばらくは休んでばかりいました。
一応、入学式の前の日は、恥をかかないように、親のことがバレないようにと、鉛筆と箸の持ち方を一人で練習したことを覚えています。
学校の行事関連も自分で処理していました。学級だよりみたいなプリントに、親からサインをもらわなければいけない時も、バレないように自分で書いていました。
当時の母親は文字も書けないほどの精神状態でした。
また、意思疎通も上手くできません。意味不明な単語をいつもつぶやいていましたし、突然、大笑いしたり、大泣きしたりしていました。雰囲気で言えば、認知症の症状のような感じといえば、分かりやすいかもしれません。
ある日は、こんな事もありました。
興奮した母親が、包丁を持って、奇声を上げながらテレビを切っていました。当時のテレビは、木製だったので、包丁でも大分深く切りこめます。テレビを買い換えるまで、ずっと、その傷は残っていました。
今なら、きっと虐待だということで、役所から誰か覗きに来たり、テレビで放送されたり、週刊誌に載ったりしていたかもしれません。
でも、当時の私はここしか自分の居場所はない、私がこの家族を守らなければいけない、秘密をバラしてないけないという強迫観念を持っていました。
両親とも、私に暴力を振るうということはありませんでした。言葉の暴力もほとんどありませんでした。(もしかしたら忘れてるだけかもしれないですが)ただ、今になって思うのは、私にとっては、無視されるということにすごく傷ついていたようです。
↑この文章は酢谷晶さんからのコメントを読んでから書き直しました。
幼い私は両親に色んな話を聞いてほしかったのですが、父と話すと母が怒るので話せないし、話せたとしても、無口な父はあまり反応してくれません。
また、母は、会話のやりとりができない状態です。話しかけても、自分の精神世界に閉じこもって、幻覚や幻聴と話しています。
病院には連れて行かずに治す方法はないものかと、年頃になった私は考えるようになりました。
とにかく色んなことを調べまくりました。
当時は今のように、ネットもなく、情報もほとんどありませんでした。
あったとしてもアルツハイマー病の症状についてくらいの情報でした。ただ、それを見つけたときに、母親の症状とまったく同じだと驚いたのを覚えています。
私が年頃になっても、母親の奇妙な言動は続きました。
それでも、私は、子どもだったので、母に母親らしいことをしてほしいと思い、色んなことを頼むようにしてみました。
たとえば、制服の洗濯やアイロンがけ、縫い物などを頼んでみました。最初は、どうやるのか分からないようだったので、やり方を教えると、思い出したかのように、スムーズにできるようになりました。
料理も、頼んでみると、包丁の使い方がすごく上手で驚きました。ただ、味覚はおかしいようで、味付けがおかしかったり、腐れたものを普通に使ったりしていました。
こうして、何か役割を与えることで、日に日に母親は元気を取り戻していきました。
また、母親からのリアクションが欲しいがために、テレビなどで面白いシーンがあったりすると、「見て見て」と呼んで見せるようにしていました。
あと、絵を書いて見せると、たまに喜んでくれるので、よく絵を見せていました。
そのときの母親の反応は決まって、
「あら〜、よかやんね〜」
という一言でした。
その一言がとてもうれしかったのを覚えています。
このようにして、母親に色んな刺激を与えるように工夫していたら、少しづつですが、母親の精神症状はかなり落ち着いて来ました。
私が生まれた時から、母親は病気だったので、元々の性格というのは知りません。
でも、明らかに変わってきているのが分かりました。
以前は、家に来客があっても、居留守を使っていました。母親は会話ができないので、来客対応は難しかったからです。
しかし、ある時から来客対応もしてもらうようにしました。
だいたいは、話が噛み合わず、相手がキョトンとして帰るというパターンでしたが、徐々に、話ができるようになってきていました。
ずっと、母親は人間嫌いだと思い込んでいました。ところが、実は、母親は人間好きだったようなのです。来客があると、生き生きと出るようになりました。
また、商店などの小さな店に買い物に行くときには、必ず、入るときに、「ごめんください」と大きな声で声掛けをします。
私はあまりそういうのは得意ではないので、すごいなあと思っています。当時は、恥ずかしいなと思ってはいましたが・・・。
他にも色んな出来事がありましたが、私は、なんとか、無事に成長しました。
その後、大学に行くために、家を出ることにしました。
早く出たかったというのもありますし、なんとなく、家を出た方が、母親が元気になるのではないかという予感がしたということもありました。
その予感は的中しました。
ドンドン母親は元気になり、なんと、外で働けるまでになりました。もちろん、トラブルも多かったようで、職を変えることも多かったようですが、それでも、すごいことです。
時々、実家に帰ると、普通に会話ができるようになってきていました。
ところが、母親が元気になってくると、今度は父親がアルコール依存で寝たきりになってしまいました。
また、私自身も、社会生活が上手くいかず、苦しみもがいていました。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。とてもうれしいです。
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