10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(4)

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表面上はその後もいつもと変わらない日常が続いていた。主人が出かけた後、妹とスポーツクラブに通っていることも、ガンを知った友達と会って励ましを受けていることも、知っているのは娘だけだった。

 

だが、そろそろ主人に打ち明けなければならない時がやってきた。12日に検査して結果は10日ぐらい後と話してあったのだから・・・。そこでガンを告白するに当たってシナリオ作りを始めた。週明けの25日に結果を聞きに行ったことにして「ガンだった」と話せば自然なのではないか?そう考えたのである。

 

私自身は既に友人たちに告白し、励ましを受けていたが、主人の場合はどうすれば良いか?まず思い浮かんだのがTさんだった。彼は主人の留学時代の友人で、家族ぐるみの付き合いがあった。夫婦そろっておしゃべりの楽しい人たちで、新居にお邪魔したこともあったし、奥さんともたまに電話で話すことがあり気心が知れていた。夫婦の年齢も同じ。子供の年齢も同じくらい。気持ちを理解してくれるはずだ。 ガンを告白すれば恐らく凄い衝撃を受けるであろうから、親友と思われるTさんに告白当日の夜、知らない振りをして何気なく電話をかけてもらいサポートをお願いしようと考えたのだ。奥さんに電話して事情を話すと大変驚かれたが、快く受けてくれた。

 

その翌日、土曜の昼下がり、夫はそばを打っていた。前年の父の日にプレゼントしたそば打ちセット。それ以来、気分転換にたまにそばを打つことがあった。久しぶりにそばを打ち終わって味わっているところに電話が鳴った。都内に住む主人の伯母からの電話だった。

 

主人の伯母だが、都内在住で私の母とも交流があったということもあり、母亡き後は何かと気にかけてくれて、しばしば電話を貰っていた。甥っ子の嫁である私と日中電話で話すことも良くあった。普段は実に上品でおっとりした話し方なのだが、それがいつになく怒った口調で「〇〇さん(夫の名)いらっしゃる?電話代わって下さい!」と言ってきたのだから、ただ事ではないと思った。いやな予感がした。恐る恐る主人に受話器を渡した。

 

主人に代わると「エッ?!〇子から?」と私の妹の名前を口に出した。それが何を意味するのか?察しはついた。主人は暗い声で「ウン、ウン」とだけ返答しながら、伯母の話に聞き入っていた。時折、つばを飲み込む音が聞こえた。

 

電話を切ると主人は何も言わず再び席に着き、一言も発しないまま放心状態でそばをすすっていた。秘密を抱えきれなくなった妹が面識のある主人の伯母に電話して全てを話してしまったのだ。

 

遂にばれてしまった。私は主人が言葉を発する前に慌てて2階にある娘の部屋に逃げ込んだ。とにかく逃げるしかない。翌々日の月曜に打ち明けるというシナリオはもろくも崩れてしまった。6帖ほどの娘の部屋に逃げ込むとベッドの足元にうずくまり息をひそめた。

 

私は結婚以来25年、何か文句を言いたい時も結局は一晩考えて言うのを止めるということが常だった。よくある「夫に怒って口を利かない」などという行為はありえないことだった。いつも怒られてばかりのダメ妻。私さえいなければ上手くいくのではないかと自己否定の時が続いた。仲が悪かったわけではないし、優しく接してくれることもあったが、次第に夫の存在が脅威となって、同じ寝室で寝ると息苦しさを覚えるようになってしまっていた。結果的に私は2年前から寝室ではなくリビングのソファーで眠っていた。正直それが一番休める選択だった。「なぜ寝室で寝ないのか?」と注意されても、本当のことは言えなかった。

 

そんな状況の中でのがん発覚。娘の部屋に篭るうちに今までの鬱憤が爆発した。もちろん楽しい思い出もいっぱいあったのに思い出されるのは「頭に来た事、嫌な思い出」ばかり。それらがまるでスライドショーの様に頭の中に次々現れた。私の中で怒りの感情が爆発して「バカヤロ~」と叫びながら壁を蹴っていた。涙が止まらなかった。娘が子供をなだめるように私の頭を撫ぜてくれた。「ここで休めば良いよ・・。」娘の優しい声かけに泣きながらうなずいた。

 

夕飯は夫が弁当を買いに行くことになったらしい。私は夫が出かけたのを確認してトイレに降りていった。テーブルの上に置いたままだった携帯を手にして、また部屋に篭った。

 

 

夫から携帯にメールが届いた。

 

伯母から真実を聞いて大変驚いたという内容だった。文体は冷静だった。同じ家にいながらメールで会話するというのも変だが、お互い今はこれしか手段がないと感じていたと思う。メールは続いた。「今までのこと、そしてこれからのこといろいろ考えました。」とあった。夫は夫なりに今までの25年間を回想していたのだろう。がん告知を受けた本人が遺書の文面を考えるように、家族は家族で万が一のことを考え、そして過去を回想する。それは自然な流れだと思う。

 

いつも怒られてばかりの私からすれば、この夫のメールはとても優しく感じられた。[何か必要なものがあれば買ってくるから言ってください」と締めくくられていた。

 

私は一応今まで隠していたことを詫び、しばらく娘の部屋で休ませてほしいのでよろしくお願いします、と書いた。やることなすことダメな私も料理だけはいつも頑張っていた。手作り弁当も結婚以来、毎日持たせていた。その夫がスーパーの弁当を食べながら何を思っていただろう。

 

幸いにも息子は受験直前講座で朝から晩まで塾に行っていた。帰宅すれば、いつもと違う不穏な空気を感じるに違いない。受験日までは隠し通そうと誓ったのに・・・。私自身が隠れてしまったのでは話にならないとは分かっていたが、どうにもならなかった。

 

翌日、娘は友達の家に行くといって早くに家を出た。心細かったが、パンや飲み物を部屋に置いていってもらい、夫と顔を合わせないようにトイレに行き、何とか時間が過ぎていった。夕方、娘が帰宅した。娘が行った先は大学の友人かおりさんのお宅でお母さんに占ってもらってきたというのだ。プロの占い師ではないが、良く当たるので友達の間でも評判を呼んでいるという。正に助けを求めて1時間半以上の道程を訪ねていったというわけだ。

 

「ママのこと凄く褒めていたよ。それに今年は年回りが良いから病気も大丈夫だって!」面識のない方に褒めていただくのも不思議な気分だが、いつも怒られてばかりの母親が、たとえ占い上であっても褒めてもらえたことが娘からすれば凄くうれしかったらしく、また、病気に関する結果も良かったので、喜びに溢れた顔をしていた。私はそんな娘の姿に大変勇気付けられた。

 

「それでこんな物いただいてきたんだけど・・」と言って、袋からワインのようなボトルを取り出した。「ノニジュースといって身体に凄く良いから飲んでみてって言われたの。」

 

「ノニジュース」は初めて耳にする名前ではなかった。もう何年も前に酷くまずい飲み物ということで、バラエティー番組の罰ゲームでタレントが飲まされていたのがノニジュースだった。その後、近くのスーパーでも見かけたが、かなり高額だったので驚いた記憶がある。私はありがたく戴くことにした。ベリージュースが混ざっているせいもあり決してまずくはなかった。

 

 

 
夫からのメールは何通にもなった。東北に住む両親にも伝えたところ大変心配していたこと。また高校の同級生で国内でも屈指のガン専門医であるTさんに連絡したところ「手術出来るって言うのは幸せなことなんだよ!」と励まされたこと。しかし、いろいろ聞かれて何もわかってなかったことに対して叱責されてしまったという。詳しいことは何も話してなかったのだから当然だが、改めて隠していたことを申し訳なく思った。
 
引きこもり生活3日目の午後、私は部屋を出ることにした。気持ちも落ち着いたし、このまま駄々っ子の様に篭っていても仕方がないと観念したのだ。
 
リビングに降りて行くと夫はパソコンで何かを調べていた。夫と目が合った瞬間、私は思わず大笑いしてしまった。それは照れ隠しでもあり、気持ちが吹っ切れたことによる心の底からの笑いでもあった。夫もつられて笑い出した。家出した妻が戻ってきたかのような嬉しい顔だった。
 
ガンを宣告されたことが嘘のように笑い声が響いていた。「がんばろう!」という夫の声かけに「がんばるよ!」と応えた。
 
妹が耐え切れなくなって伯母に話してしまったためにシナリオは変更になった。しかし、それで良かったのだと・・・。繊細な部分のある妹には余りにも負担が大きかったのだろう。「おば様助けてくださ~い!」と叫ぶように助けを求めてきたと聞いて胸が痛んだ。
 

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