【3話】日本の広告代理店営業出身の私がどうやってY Combinatorのハッカソンで受賞をし、シリコンバレーでiOS Developerとしてゲームを作ったか

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私はプログラミングの初心者でした・・・。


ブートキャンプ入門試験のために猛勉強したとは言っても

それはわずか3週間の机上のものでしかなく、

更に実際の講義は全て英語で行われました。


またエンジニアの方は日本でさえも割りと早口というのに、

ネイティブイングリッシュのエンジニアによる毎日の講義を理解し、

毎日の課題をこなすというのは、それは過酷なものでした。


最初の一週間が終了した日の授業後、

キャンプのインストラクターはこっそりと私を呼び出しました。

私が誰よりもプログラムの進みが遅く、オブジェクティブ指向に快適さを感じていないことを見ぬいていたのです。


「君、本当にこの試験にパスしたんだよね?」


最初にそれを言われた時はショックというよりは、

悔しいという気持ちが大きかったです。(笑)


またカウンセリングの時間には、

CEOが私にそっとこんなことを言ってくれました。


「このキャンプには、iOSゲームを作ったことが無いとは言っても

プログラミングを経験したことがある人が何人かいる。


でもね、君みたいに全くのプログラミング経験を持たない人も少なからずいるよ。


だから諦めずに、そして最後まで頑張って欲しい。

とにかく強い心でいること!」


私はその時、

「プログラミングには向き不向きがあると言われています。

自分が向いているかどうかはまだわからないけれど、

粘り強さには誰よりも自信があるし、だからここに選ばれて来ています。」と答えました。




毎日、今までに経験したことのないハイスピードで講義が進んでいく中で、

こういったマンツーマンによるカウンセリングは

私をとても良く助けてくれました。



それからキャンプの中だけでなく、

私はこれまでに、幸いなことに何度も出くわしていました。


ひとつはキャンプ場の歩いてすぐ近くに滞在出来る

アパートメントの提供者が見つかったことでした。


サンフランシスコの住まい探しは、近年の急激な物価高騰により、

現地で働く人でさえ苦労する経済問題のひとつとされています。


キャンプメイトが住まい探しに苦労している中でも

私はすぐに住まいが決まりました。


私がサンフランシスコの慣れない土地でも、

交通面や安全面で気を悩ますことなくプログラミングに集中出来たのは、

間違いなくこのアパートメントのおかげでした。

この時私に手を貸して下さった方々のお名前は敢えてここであげることはきっとありませんが、

今でもこの先も、感謝の気持ちで一杯です。




もうひとつはサンフランシスコ現地で困った時に、

何かを相談出来る知り合いが

どんどんと増えていったことです。


例えば私がサンフランシスコの街の通りにホームレスばかりいて

心細くて仕方なかった時。


ひとからひとへ、次から次へと

サンフランシスコで働くエンジニアやデザイナー、

その他の職種の素敵な方々と出会い、

「アメリカで困ったことがあったり、

プログラミングでわからない時は何でも相談してね。」と

言ってくれる方がどんどんと現れたのです。



この2つについては、

ほぼ同時に私の周りで偶発的に起こりました。



気付くと私は不安なことはなにひとつなく、

見慣れない土地を

まるで自分の近所のように毎日キャンプまで往復し、

朝から晩までひたすら講義とプログラミングの課題をこなすことだけにフォーカス出来るという

素晴らしい環境の中で日々を繰り返してたのでした。


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