【2話】日本の広告代理店営業出身の私がどうやってY Combinatorのハッカソンで受賞をし、シリコンバレーでiOS Developerとしてゲームを作ったか

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前編: 【1話】日本の広告代理店営業出身の私がどうやってY Combinatorのハッカソンで受賞をし、シリコンバレーでiOS Developerとしてゲームを作ったか
後編: 【3話】日本の広告代理店営業出身の私がどうやってY Combinatorのハッカソンで受賞をし、シリコンバレーでiOS Developerとしてゲームを作ったか

ITの聖地シリコンバレーのブートキャンプの門を叩き

なんとかカナダの会社のボスからシリコンバレー行きのお休みの許可を得て、

幸運にも現地で生活するためのアパートが見つかり、

やっとの思いでサンフランシスコの空港に降り立ちましたが、

本当に本当に大変だったのは、

これから私を待ち受ける2ヶ月間のキャンプでした。



私が今回参加したプログラミングブートキャンプはアメリカに全部で3箇所のキャンプ場を持ちます。

ひとつはサンフランシスコ市内、

もうひとつは同じカリフォルニア州の南にあるPalo Alto、

そして東海岸側はN.Y.でした。


17ヶ国という多彩なバックグラウンドを持つ120名の生徒が集まったキャンプの初日は、

とても独特な雰囲気に包まれていたのを今でもよく覚えています。


目の色も肌の色も母国語も生まれ育った環境も、全てが異なる生徒が一度に集まり、

これからこのキャンプでiOSのゲームを作り上げるんだ!と決心するその瞬間は、

これまでアメリカで留学経験がなかった私にとって、

本当に衝撃的な世界への始まりでした。




私は小学校の時に、車の修理屋を経営する父親にコンピューターを買い与えられました。

コンピューターを手にした私は、

当時ピアノの発表会や自分の出演するミュージカルに友達を呼んだり、

学園祭でダンスを披露する目立ってばかりいた私から、

いつの間にか一日中引きこもって新しく出来た海外のSNSやYoutubeで遊んだり、

海外サイトでドラマを全章見尽くすほどの、

ちょっと変わった女の子になっていました。



そうしているうちにいつからか、

これを作ったりデザインする人達はどこに住んでいて、

海の向こう側ではどうやって作っているんだろう、

そんなことを考えるようになっていました。



ちなみに私は日本で生まれて日本で25年間の生活を送り、

留学経験も全くない純ジャパニーズですが(笑)


本当に世の中の素晴らしいサービスを作る過程を知りたいのなら、

直接現地でその技術と情報に触れなければだめだと考えていました。

みんなの読んで良かった!