10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(6)

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受験も終わり、ようやく息子へ告知することになった。受験が終了したことをねぎらってその夜は少し豪華な夕飯にした。面と向かっては言えないので、夜にメールすることにした。メールを見た息子が硬い表情で降りてきた。「大丈夫だからね!」と改めて言うと、意外にも冷静な口調で「ガンは毎日生まれて毎日死んでいるんだよ!」とあっさり言われてしまった。私はそれを聞いて『なんだ大して心配してくれないんだ・・・』とちょっと拍子抜けしてしまった。

 

つまりは「がん細胞は毎日生まれ毎日死んでいる=特別なことではない」と言いたかったのである。精一杯の優しさだったのだろう。しかし、息子の言葉の本当の意味を理解するのに、結局は2年の歳月を要してしまった。高々15歳の子供が理解していたことを・・・。ガンを宣告されて不幸のどん底にあった私はかなり甘えていたように思う。みんなに助けてもらいたい。同情してもらいたいと言う思いがあった。親として恥ずかしい気がした。

 

こうして家族4人が一丸となってガンと闘う体制が出来た。ここまでわずか3週間。それがどれほど長く感じられたことか・・・。進行ガンの診断が付いていながら、ベッド待ちの間は検査のみで治療は出来ない。それも2ヶ月となると焦りは出て来る。ぼやっとはしていられないと言う思いは本人も家族も同じであった。

 

2月24日に娘が友人のお母さんから戴いてきた「ノニジュース」。それを飲んで以来、自分でも驚くほど元気が出ていた。私は元々健康ドリンクのようなものは飲まないし、ビタミン剤にも縁がなかった。ということもあって、その手のものには期待がなかった。ところが目に見えて元気になったことで、夫もサプリメントの威力に驚きいろいろ調べ出した。

 

理系の研究者である夫からすれば調べ物はお手の物。わずか10日の間に国内外含め800サイトを調べ上げたと言うのだから驚いた。夫は調べ上げることで不安を取り除こうとしていたのだ。それは研究者ならではの合理的な考えだったと思う。なんとしてでも妻を救わなければならないと言う、かつて経験したことのないミッション。調べ終えた後の「よし!」と言う声には自信が満ち溢れていた。その声に私も元気付けられた。

 

結論として、夫は免疫力を上げる「マイタケエキス」と言う品を勧めて来た。もちろん通販でも買えたが、一日でも早くと言うことで、翌日、都内の本社まで買いに行くことになった。オフィスはきれいなビルの上層階にあり、社員の女性が親切に対応してくれた。無理に勧める感じでなく、「少しでも良くなると良いですね」という控えめな対応にかえって信頼感を覚えた。手のひらに乗るほどの小瓶。なにしろ夫が必死で探し当てた品なのだから間違いはないだろう。宝物を手に入れた気分で足取り軽く家路へと急いだ。

 

一方、娘は精神面で気丈にもサポートしてくれた。大学3年の娘には、まず最初に告知してしまったのだから、その衝撃たるや大変なものだったに違いない。しかし、私の前では暗い顔を一切見せなかった。それどころか、次から次へと明るい話ばかり運んでくれた。

 

私が友達に励まされたように娘も周囲の人々から大いに励まされたようだ。娘は大学でデザインを学んでいたが、偶然にもゼミの教授が末期がんから生還していた。一時は症状が悪化、車椅子の生活していたというのだが、奇跡的に復活していたのだ。多くの教え子たちが心配して送ってくれたサプリメントを片っ端から試してみたそうだ。そして何よりもプラス思考が病気に勝った勝因という。

 

他にもがんからの生還話を次々してくれた。「がんになったことによって家族が一致団結し、結果的に良かった」という先生の話もしてくれた。がんは決して不幸なことではない。むしろ幸せを運んでくれるものなのだ、と。娘が周囲の人々から励まされ、その話が私を更に元気付けてくれた。家族の中に1人でも「大丈夫!」と思っている人がいると大丈夫なんだという話もしてくれた。要するに心配し過ぎは物事をマイナス方向に持っていってしまうと言うのだ。これは主人の母も前々からよく言っていることだった。


娘の励ましは励ましの域を超えて「メンタルトレーニング」のようにも感じた。毎日毎日プラス思考の話を聞いていると良い意味で洗脳されてくる気がした。娘の必死さがそれをより深く心に響かせてくれたのは確かであった。泣きたいのは娘の方だっただろう。私自身の親が末期がんと知ったのは32の時であった。その時は結局何の支えも出来なかったのに・・・。20そこそこの娘が気丈に対応してくれることに申し訳ない気持ちになった。ありがたく甘えるしかなかった。

2月12日のがん告知から始まって、がん患者とは思えない多忙な日々を送っていた。受験生がいるだけでも慌しいのだが、手術までの間にやらなければならないことは目白押しだった。3年前からやっていた調査会社のアルバイトはやりかけの仕事にキリをつけお休みすることにした。そして、ダイエットのために週に2回はスポーツクラブに通い、2月下旬からは病院での検査も続いた。その合間に友達と会って励ましを受けながら頑張ることができた。

 

まだ、病院では何一つ治療を受けていないのに、プラス思考が「がん」をすでに追いやっているかのように感じた。

 

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