10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(7)
「偶然はなく全て必然」私の座右の銘である。またそれを実感する出来事があった。
それは病気が発覚する前年のお正月。大分遅くに思いがけない年賀状が届いた。中学時代の同級生Kさんからだった。彼女はまた私の高校時代の恩師の娘さんでもある。
中学校2年の秋、私は埼玉から世田谷の中学に転校。酷いいじめにあった。全く馴染めないまま卒業。埼玉の中学校生活は楽しい思い出ばかりだったが、世田谷での1年半は思い出したくもない「封印された過去」であり、その後、埼玉に戻ったこともあり、私の中ではなかったことになっていた。
それが突然の年賀状。高校の恩師には欠かすことなく年賀状を出していたから、母上から住所を聞き出したのだろう。年賀状には「秋に37年振りに同期会を計画中。ブログを覗いて見てください。」とありURLが書かれていた。本当は無視したいところだった。しかし大好きな恩師の娘さんからの年賀状となれば無視するわけにはいかない。
早速覗いてみた。ブログといっても同級生が次々書き込みしていて、いわゆる掲示板のようになっており、聞き覚えのある名前がちらほら。その中に同じクラスだった人気者U君の名前を発見し、懐かしさが込み上げてきた。純朴な生徒が多かった埼玉の中学。それに比べ転校先の世田谷の生徒は皆凄く大人びて見えて怖い感じがした。しかし、年月が経った今、皆本当の大人になって同等に感じ、いじめの記憶より「懐かしさの感情」が上回った。
思い切って私も書き込みに参加した。意外にも覚えてくれている人が何人もいて心のわだかまりは一瞬にして消えた。ブログの開設者であり、37年振りの同期会幹事になっているTさんには個人的にメールを送った。温かい人柄に更に心の雪解けを感じた。
ブログ書き込み常連者の中にMさんがいた。雪のように白い肌と大きな瞳。深窓の令嬢のような物静かな雰囲気の美少女で、私はいつも遠くから憧れて見ていた。高校に入学して彼女が同じ学校だったことに大変驚いた。しかし、クラスが同じになることもなく、中学以来、結局会話することもなく「憧れの美少女」として私の記憶に残った。
その彼女とブログ上で初めて会話した。意外にも彼女は私を覚えていてくれた。人並みはずれた記憶力の持ち主で私が朝礼で作文を読んだ事を覚えてくれていた。しかもその内容まで記憶していたのだから驚愕した。
37年振りの同期会はガン発覚の僅か4ヵ月半前のことだった。1学年330名のうち120名参加という盛況ぶりだった。憧れのMさんは美しく華やかな女性になっていて、しかもお仕事でも活躍されていた。当時のいじめっ子たちはすっかり紳士になっていた。時の流れを感じた。同期会後、ブログの書き込みは更に活気付いた。
翌年のガン発覚後、私は「ガンにご注意!」というタイトルで同期会ブログに投稿した。大腸がんの診断を受けてしまったこと、初めのクリニックでガンを見逃されたことを書き、注意を促した。さすがに本名で書く事にためらいがあり匿名にした。しかし、ブログ開設者のTさんにはメールで打ち明けた。忙しい中、すぐさまいろいろな情報を下さり凄く励まされた。「幹事仲間だけでも励ます会を開きたいから本名を明かしてもよいですか?」と聞かれ承諾した。憧れのMさんも幹事だったため、話が伝わった。
3月のある朝、朝食を食べながら夫がこんなことを言い出した。その時点で私が飲んでいたのはノニとマイタケエキスだったのだが「いろいろ調べたら他にも良いものがあったよ!トンガ産のフコイダンが凄く効果があるらしいけど、なかなか手に入らないと出ていた。手に入れば良いんだけどなぁ・・・」「そうなんだ・・・数が少ないからかなぁ?」とそこで会話は終わった。
朝食後パソコンのメールを開いてみると、憧れのMさんからメールが届いていた。昨夜受信のメールだったが、気付かずにいたのだ。「あす、そちらの方に行く用があるからどこかで会えないですか?」という内容だった。すでに日付が変わっているから時間がない。携帯に慌てて電話した。残念ながら私はその日、用があって都内に出ることになっていた。それならば都内で!ということで新御茶ノ水駅地下の店で待ち合わせた。
彼女自身、お父様を最近亡くされたばかりで、後悔が多いと話されていた。「絶対大丈夫だから頑張って!」と励まされ、その後は昔話に花が咲いた。あっという間に時間が過ぎ、最後に手提げからボトルを取り出した。「これね、日本では発売になったばかりで父には間に合わなかったけど、友達の妹さんが退院できないといわれたのに元気になったの。 良かったら飲んでね!」といって目の前に差し出した。
それはなんと主人が今朝話していたばかりの「トンガ産のフコイダン」だった。私はあまりの衝撃に「嘘でしょう?なんで?なんで?」と言ったまま、辺りをはばからず号泣してしまった。ガンを告知されても泣かなかったのに・・・。号泣は止まらなかった。美しい彼女が本当に女神様に見えた。まるで今朝の会話を聞いていていたとしか思えない。泣きながらそのことを話すと彼女も大変驚き、涙を流した。「まだいっぱいやることがあるのよ!生きないとダメ!生きて!」私は涙をぬぐいながらうなづいた。
1年前の年賀状から始まった一連の流れはここに集結した。そう思った。偶然に見えてそれは決して偶然ではない。偶然はなく全て必然。神がかり的なものを感じ、そのビンをご神体を抱えるようにして店を後にした。
こんなことがあるのだろうか?『私は生きなければいけないのだ!』それは一種の使命感となって心に芽吹き始めていた。
そして、後日、同期ブログの開設者で代表幹事でもあるTさんからメールが届き、励ます会を開きたいとの申し出があり、多忙な中を幹事4人が集まってくれた。申し訳なさ過ぎて少し緊張してしまった。中学時代は親しかったわけではないが、同期会ブログを通じて交流が始まり、半年前の同期会で再会を果たし、そしてまた私を応援するためにわざわざ集まってくれた。転校先の中学、当時の良い思い出はなかったはずが、37年の時を経て、なんともまあ人情味溢れる仲間たちだったことか・・・。過去に嫌だったこと、辛く感じたことの中に実は「幸せの種」が隠されているのかもしれない。
同じクラスだったU君はいまやアニメ界を代表する名プロデューサーになっていた。超多忙な中、駆けつけてくれた。やはり同じクラスだったOさん、優等生過ぎて当時は雲の上の存在だったのに優しい微笑で励ましてくれた。そしてサプリを差し出してくれた「女神様」にも再会。あの時、人目もはばからず大泣きしてしまった事がちょっと気恥ずかしかった。そして声掛けをして下さったTさん。みな心から心配し励ましてくれた。私はなんて幸せ者なのだろう。
食事が済んで、皆で近くの公園まで散歩した。驚いたことに早咲きのサクラがすでに満開に近い状態で春の陽を受けて輝いていた。それは早くも手術の成功を祝ってくれているかのように見えた。ガンが運んでくれた仲間の絆。また来年も再来年もこの桜を見たい。そしてまた仲間と語り合いたい。記念写真を撮りながらそう思った。
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