彼女の小さな夢

著者: 奥田 耕也

誰にでもあるほろ苦い想い出。いつまでも忘れる事が出来ない想い出。


あの頃、僕はまだ若かった。女性の気持ちなんて、これぽっちも分からなかった。分かろうともしなかった。不器用で、自分の考えている事を、半分も言葉に出来なかった。

ただ、彼女の事はほんとうに好きだった。僕が、今までの人生の中で、一番辛いときに傍に居てくれた。彼女が居たから乗り越えられた。その時、僕は、仕事もなく体も壊し、最悪だった。彼女が生活のすべてだった。

些細な事で、何度も別れようとした。でも、お互いに別れられなかった。何度もよりを戻した。あんなに、誰かと別れる事が辛く感じる事は、二度と経験しなかった。結局、ほんとうに別れた原因も、些細な事だった。

彼女は付き合いだした頃からの夢があった。それは、車の免許を取って、自分の家の車で、一人で僕の家まで、遊びに来る事だった。口癖のように、その事を言っていた。絶対、そのうちに実現するんだと、うれしそうに話ていた。いつも、僕が車で送り迎えをしていた。僕の運転する車で、よく僕の家にも遊びに来ていた。その夢が実現した時に、ちょっと大人になれると思っていたのかもしれない。

それが、実現する時が来た。別れた後に。

彼女と別れて、何週間か経ったときだった。電話のベルがなった。彼女からだった。

「元気?」
「これから、そっち行ってもいい?」
「そこに置いている私の荷物を、取りに行きたいの」

確かに、僕の家には、彼女のいくつかの荷物が、置きぱっなしだった。彼女は車の免許を取ったという。これから、自分で運転して、僕の家に来るというのである。皮肉だった。こんな形で、彼女の夢が実現するなんて・・・。

彼女は来た。
「自分で運転して来たのよ。すごいでしょう?」
さびしそうに、微笑んでいた。

荷物を積み終わり、食事だけでもという事になり、レストランへ行く事になった。僕は彼女の車のキーを貰い、運転する事にした。その時、僕は気付いていた。彼女のキーホルダーに、まあたらしいマンションのキーが付いていたのを。

僕は、動揺を抑えるのに、必死だった。僕はひそかに期待していたのかも知れない。また、いつものように、やり直せるのではないかと・・・。

でも、明るく、人当たりもいい彼女が、新しい恋を見つけるのに、さほど時間は必要なかった。僕は知っていた。僕と付き合っている当時から、何人もからアプローチされていた事を。でも、彼女はその誘いは、最初はすべて断っていた。男性と二人でお茶を行く事もなかった。そんな潔癖な彼女を、僕は少しずつ変えていってしまった。僕の態度が・・・。

レストランでは、当たり障りのない話をした。そして、また僕が運転をして、家へ向かった。僕は、彼女の車を運転しながら、涙が止まらなかった。それを悟られないように、必死だった。今までの、彼女との思い出が、走馬灯のように脳裏を駆け巡っていた。

彼女はそれを気付いていただろうか。僕の涙、心の中を・・・。車を降り、彼女が運転席に座った。最後まで、彼女は僕の体を気遣った言葉を投げかけてくれた。車がゆっくりと発進し、なぜか、途中で一度停車した。僕は、そこで彼女に駈け寄るべきだったのだろうか。そうすれば、もう一度、やり直せたんだろうか。

僕は、それからも、しばらく彼女の亡霊を引きずる事になる。でも、これが彼女とのほんとうの別れだった。

今でも、時々、私は彼女の事を思い出す。そして、彼女に何もしてあげられなかった事、彼女に求めるだけだった事・・・。悔やんでも悔やみきれない気持ちで、今でも一杯になる。そして、いつも、私に微笑みかけてくれたあのやさしい笑顔を、一生忘れる事はないだろう。

著者の奥田 耕也さんに人生相談を申込む