10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(15)
次に目覚めた時はどうやら朝になっていたようだった。予定通りと言うことは少なくとも手術中6時間は麻酔で眠っていたわけで、麻酔が覚めてからも更に熟睡・・・となると一体何時間寝ていたことになるのだろう。それにしても麻酔から醒めた後の睡魔はかつて経験したことのない眠さだった。体が眠りを欲するとはこういうことなのか?
程なく副担当の先生が見えて、「傷が開いてしまっているからちょっと縫います」と言われた。実は帝王切開の時も傷が開いてしまった経験がある。ドクターの腕の問題ではなく、単に私のお腹の脂肪がすごいだけの話。場所はICUだが先生はブルーの手術着。その場で縫うことになったのだ。「ちょっと痛いですから我慢してくださいね~」と言うと下腹部に麻酔の注射が打たれた。痛みをを感じないとは言え目の前で懸命に縫っている姿が見えるというのはなんとも恐ろしい。私は目を瞑って終わるのを待った。
ナースはいろいろ声をかけてくれたが、会話するほど元気はなく、「はい」と返事をするのが精一杯。すぐにうつらうつらしている状態だった。午後には一般病室に移ると言う。「その前にちょっと足踏みしてみましょうか?」と言われた。術後なるべく早期に動くのが良いとは分かっていたが、ICUでもやるのか?と驚いた。立ち上がることもままならなかったが、ナース3人がかりで支えてくれて何とか立ち上がった。この時まだ39度台の熱があったそうで、当然ながら頭がボーっとして倒れそうだった。ナースたちに必死でつかまって踏み台の上で足踏み開始。「1、2、3、4」と掛け声を掛けられ即終了。それでも凄く褒めてくれたので嬉しかった。ベッドから降りたことによって自分は大手術から無事生還したのだという実感が湧いてきた。
そして、いよいよICUを出る時がやってきた。ストレッチャーに移すために5人がかりでシーツごと持ち上げられた。重くてすいませんと言いたかったが、そうも言えない。さあ病室に向けて出発となった。
「行ってらっしゃ~い」 ICUのナースたちが声をそろえて見送ってくれた。「行ってらっしゃ~い」と言う言葉には正直違和感があったが、ICU から出られずに亡くなる方もいることを思えば、正に生還者に対するはなむけの言葉と言うことなのだろう。そして一般病室に送り出せることに対する喜び、自分たちの仕事に対する誇り、そのせいかナースたちの声はとても明るかった。今でもその「行ってらっしゃ~い」の声を時々思い出す。
ストレッチャーを押してくれたのは馴染みのナースで、手術の成功を喜んでくれた。改めて生還できたことが実感できた。戻ってきたのは元の病室ではなかった。術後の人が入るのはいわゆる「リカバリールーム」と呼ばれる部屋で、ナースステーションに近い2人部屋だが、その時はベッドが一台のみでガランとしていた。
しばらくすると主人と娘が入ってきた。この時ほど相手の顔色を窺ってしまったことはない。一応予定通り終わったとは言え、術後、医師からどんな説明を受けてきたのか?実際どんなだったのか?さりとて、どうだったのかと聞く勇気はなく、表情から読み取るしかなかった。2人ともそんな暗い表情でもなかったので内心ほっとした。
しかし、次の瞬間私は凍りついた。「個室に移ることになったから」・・・・・・個室?主人からそう言われて、『もうダメなのか?』と一瞬冷や汗が出た。胃がんで亡くなった母も最期は個室だったからだ。
だが、次の言葉でその心配は打ち消された。「いびきがうるさいから婦長さんから出来れば個室に移るように言われたんだよ。それに見舞い客も多いから個室の方が良いかと思って」・・・なんだそういうことだったのか。笑い話のようだが、この時ほどホッとしたことはなかった。そして、思いがけなく贅沢な個室生活が始まることになった。
のんきなもので、病状悪化による個室行きでないと分かって、私は内心ウキウキ気分になっていた。差額ベッド代も入院保険に入っていたから何とかなるし、トイレも室内にあるから助かる。この時点では痛みも全くなかったし、個室生活を満喫しようと考えていたのだが・・・。
個室へはベッドごとの移動であっという間に終了。一番ランクの低い個室とは言え、無料で見られるテレビもあるし、小型冷蔵庫、専用の洗面台、トイレ・・・とお風呂以外はビジネスホテル並みの設備は整っている。何よりうれしかったのは馴染みのあるスタジアムが窓から見えることだった。そのスタジアムのある巨大な公園は娘が小さい頃、新体操教室に通った思い出の場所でもあった。その当時は私も30代で1歳の息子を連れて娘に付き添い通ったものだった。それが病室から眺められることがどれほど心強かったことか。それだけでも個室に移った価値があるように思われた。
主人と娘も気兼ねなく過ごせると言うことでほっとしていた。前日の手術では長時間待機させられどんなにか大変だったことだろう。それでも無事予定通り終わったことで2人とも安心した表情を見せていた。その姿に私も励まされた。
落ち着きを取り戻したせいか、主人が急に大切なことを思い出したのだ。「そう言えばS子さんから手術の前の晩に電話があって、終わったら連絡くださいといわれていたのを忘れていた!」というのだ。それを聞いて私が焦った。すでに手術終了から20時間は経過している。どんなにか心配しているかと思うといたたまれなくなって、寝たまま携帯から電話した。本人からの電話に耳を疑っている様子で凄く驚いていたが、無事だと言うことの何よりの証拠と喜んでくれた。
手術日は皆に伝えていたから、それぞれ心配していてくれたことだろう。皆に電話で無事を伝えたかったが、さすがに1件が精一杯だった。とにかく元気になる事がご恩返しになる。応援してくれている友たちのためにも頑張らなければならない。快適な個室で回復への一歩を踏み出すことになった。
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