10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(19)
術後一週間してまた見舞い客が大勢来てくれるようになった。私の方の叔母夫妻を皮切りに友人、知人そして東北に住む主人の両親もはるばる見舞いに来てくれた。
いつもは冗談ばかり言っているナースのOさんが突然凄くまじめな顔で「たんこさんは応援団が多いね!それって凄く大事なことなのよ!」と言われたことが印象に残った。確かに見舞い客はひっきりなしでナースステーションで名前を書かされるからその様子は把握していたのだろう。「応援団」のパワーは凄い力になった。本当にありがたかった。
息子の担任であったN先生。涙ながらに癌を告白して以来ずっと支えてくださった先生でもある。卒業してしまってからも気にかけて、新学期で忙しい中、放課後に車を飛ばして来てくださったのだが、渋滞に巻き込まれ、到着した時は8時の面会時間を過ぎてしまっていた。婦長の計らいで面会許可してもらい、消灯時間まで話し込んでしまった。大手術後にもかかわらず元気な私の姿に凄く喜んでくださった。この時ばかりは個室にして良かったと痛感した。
長女出産時に同室になって以来の友人Tさんも2時間以上かけて来てくれた。その日も見舞い客が重なりH子と2人待たせてしまったが、H子から「待っている間におしゃべりしたけど、あんなに慕ってくれるお友達がいて本当に幸せよ!」と真顔で言われた。確かに慕われるほど幸せなことはない。見舞い客同士の会話から改めて自分は恵まれているのだと再認識させられることもしばしばあった。
遠方と言えば那須からも学生時代の友人H美が都内に住むM子と待ち合わせ訪ねてきてくれた。 落ち着いたらぜひ温泉に入りに来てと誘われた。元気になったら○○へ行こうという誘いは本当に元気の素になった。
ある日、友人を見送って病室に戻ると、地元でお世話になっているMさんからのメッセージとお見舞いが枕の下に・・・。これほど申し訳ないことはない。基本的に携帯は禁止だったので、部屋を離れる際に持ち歩くことはなく、こういうことになってしまった。今でも思い出すたびに申し訳なさが蘇ってくる。
私のガン発病を知ってショックから呼吸困難をきたしてしまったY子にも同様に申し訳ないことをした。それは手術前日のこと、やはり顔を見て励まそうと思い立ち、仕事を抜け出して1時間半もかけて来てくれたのだ。しかし、病室は空っぽ。私は別の友人とラウンジでおしゃべりしていて戻ると、ベッドの上に「30分待ってましたが帰ります」というメッセージと素敵なカードが置いてあるのを発見。取り返しのつかないことをしてしまったと言う気がした。退院後、彼女がこんなことを言っていた。「会えなくて残念だったけど、これも神様の取り計らいかなと思ったの。がんセンターに入院している姿を見るのは正直辛かったと思うから・・・。会えなくて良かった・・・」この言葉は胸に迫った。呼吸困難をきたすほどショックを与えてしまったわけだから、病院での面会は「現実」を突きつける形になり、更に追い込んだかもしれない。確かに会えなくて良かったのだと・・・。これも偶然ではなく必然だったのかもしれない。
20年来のママ友K子さんがお見舞いに新しい洋服を持ってきてくれた。私がパジャマっぽいものは着ないと言っていたのを知っていたから、爽やかなチェック柄のしかも診察に良いように前開きのチュニックを選んできてくれたのだ。本当に嬉しかった。新しい服を戴いて、私はふと退院時の服を買いたい衝動に駆られた。主人の両親がわざわざ東北から見舞いのために上京、その日は娘が上野から引率して来てくれた。3日滞在して最終日にはまた見舞いに来てくれると聞き、ある考えが閃いた。主人の両親が田舎に帰る日は私もワンピースに着替えて外出許可をもらい、一緒に食事をしようと考えたのだ。年老いた両親を安心させて田舎に帰らせたい。そういう思いが湧きあがったのだ。
その翌日、買い物は息子に同行してもらうことにした。いくら元気とは言え、大手術間もない病人であるのは確か。外出できるワクワク感はあったが不安もあった。とりあえず2時間外出許可を頂いてバスで10分ほどのショッピングモールに向かった。たった2時間だが、まるでシンデレラのような気分だった。高校生の息子が母親の服を買うのに付き合うことなど普通はないだろう。服は息子に選んでもらうことにした。裾にフリルがついて若作りだが色が控えめなペイズリー柄のワンピース。一瞬ではあったが病気を忘れ、ワンピースを試着をした私を見た時の息子は子供のような笑顔を見せていた。しかしながら、久しぶりの外出は結構疲れた。フードコートでお茶を飲み一休み。無事病院に戻ることが出来た。
主人の両親と上京初日に病院で面会した時は、私も正直なところ言葉に詰まった。年老いた両親が6時間もかけて嫁を見舞う。なんとも申し訳ない気持ちで、その心配そうな顔を見るのも辛かった。両親を安心させたい気持ちは、一方で自分自身を元気付けることにもなった。そして、いよいよその服を着る日がやってきた。術後で寝込んでいると思っていた「嫁っこ」がワンピースに着替えて一緒に外出するなど到底考えられなかったそうで、驚いていたが凄く喜んでくれた。
入院中はずっとパジャマぽくない普段着風の服を着ていたとは言え、外出用のワンピースは気持ちにかなりエネルギーを与えてくれた。3時間の外出許可。病院のお昼は食べずにショッピングモールの中の中華のお店で一緒に中華粥を食べた。最後に3人で写真を撮ったのだが、それを見て主人の両親が一気に老け込んでいることに気付いた。改めて心配かけたことを申し訳なく思った。それでもワンピースを着て一緒に中華レストランで食事をしたことで随分と安心してくれたのでこちらもほっとした。笑顔で別れの握手を交わし、見えなくなるまで手を振った。ワンピースの裾が春風にたなびいて、こそばゆい感触が足に伝わった。入院中であることを忘れさせてくれたひと時であった。
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