10ヶ所転移の大腸癌から6年半経っても元気でいるワケ(18)

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その翌日、遂に排便があった。これで腸も無事開通。本当の意味での手術成功となり、心から安心した日でもあった。よく大腸がんの症状として「下痢と便秘の繰り返し」と言われるが、私は小6で大腸カタルに罹って以来、40年間毎日下痢ばかりで「便秘」の経験がなかった。つまり、出るはずのものが出ないで苦しむと言う経験がなかったわけだが、今回の件で改めて排泄の大切さを思い知らされた。


娘が持ってきてくれたノートパソコンからお世話になった仲間にメールを送ることにした。同時に中学同期会のブログにも「生還しました!」と言う書き込みをした。夜になると続々返信が届いた。今でこそ病室にパソコン持込可能のようだが、当時は驚かれた。バリバリのビジネスマンならともかく、唯のオバサンが病室にノートパソコンを持ち込んで無線を使ってメール送信とは意外なことだったに違いない。しかし、ある意味カッコ良かった気がする。これも娘のお蔭である。友たちの喜びと驚きの返信は更に私を元気付けてくれた。距離は離れていても病室と繋がっている。すぐ隣にいて励ましてくれているような安心感があった。本当にありがたかった。


それにしても人間の回復力には毎日驚かされるばかりであった。急変と言う言葉があるとおり、容態が悪くなる時も凄いスピードで変化することもあるわけだが、良くなる時もまた凄いスピードで良くなるものだ。傷の治りは時間の問題だが、心が元気になると回復のスピードも加速する。日曜に売店行きを強行し成功してから、身体の変化が著しく、出るものも出て、取れるものも取れて、身軽になって心も軽くなった。早くも退院の日が待ち遠しくなってきた。



そんなある日、主治医が病室に入ってみえた。個室だと気ままな格好をしてしまうためノックの音がするとその瞬間はなんとなく焦ってしまう。その時も私はちょうどベッドから出て部屋の中をうろついていた。慌ててベッドに入ろうとしたが「そのままで良いよ」というと、私の横に並ぶように立ち「手を出して」と言うと急に私の手を取って、何故か天に向かって持ち上げた。主治医は口数の少ないタイプであることは分かっているが、突然手を取って持ち上げると言う行為に正直かなり面食らった。


不思議に思っていると今度はゆっくりと手を下ろして「手の甲の血管がすぐに戻っているから良いんだよ」と言われた。手を上げると手の甲の血管は見えなくなるが、下ろせばまた浮き出てくる。心臓の働きのことを言いたかったのだと思うが、そのこと自体はどうでも良いことのように思われた。むしろ何気なく手を取るというこの行為は患者の心に作用するように思えた。血管はどうでも良い。先生が私の手を取ってくださったことが正に「手当て」と感じた。


子供の頃、病弱だった私は随分とお医者さんのお世話になった。小学校のすぐ近くにあった渡辺医院は白髪のおじいちゃん先生で常に優しい笑顔を絶やさなかった。その先生の温かい手は魔法のようで、触れられると熱のある時は熱が下がる気がしたし、お腹が痛い時は痛みが治まる気がした。私にとってお医者さんの温かい手は何よりの薬だった気がする。主治医の施してくださった「手当て」にその当時のことが思い出された。術後の不安な時期。心のこもった手当ては更に回復を早めてくれた気がした。


私が子供の頃と比べると確かに医学は進歩した。医療器械も素晴らしいものが次々誕生し、昔は見つからなかった病気も瞬時で発見されるようになった。しかし、その分、医者が患者に触れることがなくなったように思う。実際、私もがんセンターにかかって外来での診察では指一本触れることなく3期から4期の大腸がんと診断され「なんで?」と言う思いがあった。子宮筋腫もCTで判明したが触診があればその前に分かっていたかもしれない。


地元のある病院で患者からのクレームが張り出されてあって、意外な内容に驚いた記憶がある。それは若い女性からのもので、検診で聴診器を当てられたことに対する不満が書かれていたのだ。医者に対して「触るな!触ったらセクハラだぞ!」みたいな思いがあるのだろうか?親子でさえも肌の触れ合いが少なくなってしまった現代を象徴しているように思えた。



心から信頼できる主治医に恵まれたことは実に幸運だったが、副担当医のKK先生もまた誠実な医師であった。若きこのドクターはいわゆる「レジデント」と呼ばれる研修医。と言っても医師になりたての前期研修医とは違い、2年以上臨床経験者で最先端のがん治療について学ぼうと言う高い志を持ったドクターを3年間勉強させるプログラムがあり、そこに応募し採用になったドクターと言うことになる。多くは敷地内の寮に住み、かなりのハードワークをこなしていた。個室からカンファレンスルームが良く見えるため気が付いたのだが、驚くなかれ朝のカンファレンスは7時半から行われていた。


KK先生はちょっと強面で最初は馴染み難い感じがしたが、術後はとても対応がやわらかくなった気がした。ナースから「KK先生がね『筋腫は僕が取ったんだよ』と自慢していましたよ!」という話を聞いて、なるほどと思った。外科医は自分が手がけた患者に対しては我が子のような思いが湧き上がるのではないか?ふとそう思った。年齢はもちろん親子ほどの差があるが、実際自分が執刀した患者が回復していく様を見ることはわが子の成長を見守るような気分なのではないか?術後の温かい対応は患者にとって本当に嬉しいものである。


大腸と肝臓の執刀医は分かっていたが、私の場合取るものがいっぱいあったので副担当医も手術に関わる事は聞かされていた。研修医は手術に関われること自体が修行の場。「自慢していた」というナースの言葉に何か微笑ましいものを感じた。(若いドクターをこんな風に見てしまうのはやはりオバサンそのものではないか。)そして術後は足繁く様子を見に来てくださり、声掛けも親しみを込めたものとなっていった。ある日友人が自分で製作したアレンジメントフラワーをお見舞いに持ってきてくれた。食台に置いてあったその花を見て「きれいなお花ですね!」と言われた時は本当に嬉しかった。そういった会話もまた患者の心を明るくして回復に結びつくものだと感じた。







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