「自分は頭が悪い」と思っている人は教育の犠牲者。15万部の著者が「教育のありかた」について考えてみた
はじめまして。石崎秀穂といいます。
「誰?」と思う人が大半だと思うので、まずは自己紹介から。
<著書(代表例)>
・『基本にカエル英語の本』(スリーエーネットワーク)はシリーズ7万部を超えてもまだなお増刷
・『ゼロから始める!大人のための中学英語』『たった10語で話せる!大人のための中学英語』(高橋書店)のシリーズは、『基本にカエル英語の本』のシリーズに追いつきそうな勢い
・『もう一度中学英語』(日本実業出版社)は3刷
このように「英語が苦手」と思っている人たちにむけて、何冊か英語の本を出しています。
英語の著書だけで、合計15万部ちかくになりました。
ちなみに、最近、『0(ゼロ)からやりなおす中学数学の計算問題』(総合科学出版)も出しました。英語以外にも本を出しています。
自己紹介が長くなってしまいました。
さて、本題です。
■授業についていけない生徒は、切り捨てて当然!?
大手塾で働きはじめたときのことです。
当時、新人だった、わたしは困り果てていました。
なぜなら、ゆっくり丁寧に講義すると、成績優秀な子どもたちが退屈で遊びはじめてしまいますし、かといって、スピードアップして話すと、今度はついていけなくなる子どもたちが遊びはじめてしまうためです。
そこで、その校舎の責任者でもある古株の講師にアドバイスを求めたのですが、「授業のスピードは成績の真ん中より上にあわせて、それについていけない生徒は切り捨てろ」と言われてしまいました。
確かに塾や予備校の経営という観点からみれば、正しいのかもしれません。
「苦手」と思っている子どもたちや成績がよくない子どもたちに時間をさいて偏差値40~55の高校や大学に入れるよりも、成績が優秀な子どもたちを集めて偏差値が高い高校に入れるほうが、お金になりますから。そういう生徒はすでにやる気もあるので、教えるのも楽ですし。
わたしから見れば、同じかわいい生徒。
しかも、同じ料金を支払っています。
みんなに勉強を好きになってもらいたい。
でも――。
ついていけない生徒が悪い。努力不足。
塾の経営上、仕方がない。
そう思い込んで働いていたのですが、結局、嫌になりその塾を辞めました。
ただ、それは本筋とは関係がないので置いておいて……。
実は、このような状況は今も変わっていません。
教育現場では「ついていけない生徒が悪い。努力不足」という旗の下、授業では、真ん中の成績より下の生徒が切り捨てられているのです。
ちなみに、それは講師が悪いのでしょうか?
それとも拝金主義の学習塾や予備校が悪いのでしょうか?
そうではないと思います。
「偏差値が高い学校」「有名大学」に入れることこそが親の望みで、教育の使命になっているので、そういう教育にせざるを得ないのだと思います。
実際、受験戦争の時代は特に、「偏差値が高い学校にいれた」という実績が、塾や予備校の一種の人寄せパンダになっていましたし。
■問題は補習では解決しない。「教え方」にもある
大手塾を辞めたあと、別の塾で講師をはじめました。
そのとき、すでに新人ではなくなっていたのですが、やはり気になるのは授業のスピード。
そこで、ベテランの講師に聞いてみたのですが、やはり「真ん中の成績より上の生徒にスピードをあわせている」とのことでした。
しかし、その塾では、大手塾とは違うことをしていました。
それは無償の「補習」。
授業では切り捨てても補習でカバーしていたのです。
「これなら全員の成績をあげることができる」と思ったのですが、不思議なことに、いくら補習しても成績が伸びない生徒がいたのです。
一例をあげると、ある生徒は、補習で「2x=4」を理解させたのに、授業の小テストでは「3x=1」を解けませんでした。
何度、同じことを繰り返しても結果は同じ。
同じ解き方なのに、なぜ解けない?
実は、その生徒は小学校の算数(分数)が理解できていなかったのです。
勉強は「積み木」のようなものです。
積み木は、下の段がきちんと積めていないと、いくら努力しても上の段に積むことができません。
それと同じで、小学校の積み重ねがきちんとできていないと、いくら努力しても中学校の勉強についていけないのです。
もっというなら、小学校の国語の積み重ねがきちんとできていないと、中学校に入ってから英語もできないですし、数学もできないのです(文章の意味をつかめないためです)。
つまり理解できない、苦手なのは本人の頭のよし悪しではなく、下の段にあるべき積み木が欠けているだけなのです。
というわけで、どの積み木が積めていないのか把握して教えると、生徒の成績はぐんぐん伸びていくのですが――。
ふと思いました。
(当時)20代の若造が気がついたことなのに、ベテランの先生が知らないはずがない。なぜ、積み残しが放置されたままになるカリキュラム(教え方)になっているのか、と。
どういうことか?
苦手意識がある人たちは、下の段の積み木の存在を忘れてしまっているものですし、たとえ教えても、(苦手意識があるので)すぐに忘れてしまいます(人間好きではないと覚えないのです)。
何度も同じことを繰り返して教える必要があります。
※脳科学、心理学でもいわれていることですが、効果的に記憶する秘訣のひとつに「繰り返し」があります。
だから、たとえば、わり算でひっかかている生徒が多いのはわかりきっていることなので、中学1年生の数学のカリキュラム、中学2年生の数学のカリキュラムに、算数で教わるようなわり算の解説を入れるカリキュラムにすればいいのに、と思いました。
このようにすれば、きっと、ほとんどの生徒は方程式などでひっかかることはなくなることでしょうし。
しかし、このような繰り返しのカリキュラムになっていません。
なぜ、そうなっていないのか。
それは前に書いた「偏差値が高い学校」「有名大学」に入れることこそが教育の使命になっているためでしょう。
つまり、同じ説明を繰り返すのような「苦手を得意」にする教育ではなく、偏差値をあげることができる「得意をより得意にする教育」、すなわち「どのように教えれば効率的に成績をあげられるのか」に重きが置かれているためだと思います。
もちろん、たとえば「小学校の学習内容でつまづいている中学生」を見捨てるカリキュラムになっていること、見捨てられた生徒たちはその後の人生でどうなるのかは文部省のお偉いさんも知っていることでしょう。
しかし、「一度、勉強したのだからふたたび学習する必要はない。できないのはお前が悪い」という「建前」「正当性」があるので、そんなことをする必要はないと考えているのかもしれません。天才を育てたいそうですから。
では、苦手意識がある生徒をなくすには、どうすればいいのでしょうか。
■やる気があれば、独りで歩く
「偏差値30だった生徒を偏差値70にした」と、「苦手」だった生徒を「得意」にしたという講師はたくさんいますし、わたしも、たとえば、つぎのようなことをしました。
・中学3年の夏までずっと部活で勉強を一切してこなくて、偏差値30くらいだったが、偏差値65近くにまであげた
・偏差値でクラス分けして、下のクラスを担当したのに、半年後、上のクラスの平均偏差値を抜いた
確かに講師が一生懸命教えたから、また教えるテクニックがあったから、このような「奇跡」が起きたのだとは思います。
しかし、本当にそれだけなのでしょうか。
よくよく考えると、偏差値が一気に伸びた生徒は授業の前後に、よく質問してきましたし、補習が必要なくても居残って勉強していました。
平均偏差値を追い抜いたときも、確かに受験のテクニックを用いましたが、授業中にくだらない話をして笑わせて、大学に行くメリットなどを話していたため、うちのクラスは、ほかのクラスよりもやる気に満ちていたと思います。
「苦手」に苦しむ生徒を「得意」に変えるために必要なもの。
それは、もちろん教えるテクニックも大切ですが、「やる気」も重要なのです。
大手予備校の人気講師のように、いくら入試で得点をとれる効率的な教え方をしても、生徒が講義の内容を生徒が吸収するかどうかは話が別ですし、そのような講師が生徒にたとえば「英単語1万語を覚えなさい」と言ったところで覚えないでしょう。
その一方、生徒が自らが「勉強したい」と思っていれば、たとえ教え方が下手でも、生徒自ら勉強しますし、英単語もガンガンに覚えます。
■下ネタ、笑いよりも、知識欲
学生のころ、「F Cl Br I」のハロゲンを「ふっくらブラジャー、いい匂い」(※(F)ふっ(Cl)くら、(Br)ブラジャー、(I)いい匂い)などと、下ネタで学んだことがあります。
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