Starting Over~性同一性障害の私が、本当の自分を取り戻すまでの話~

変わりたい。だけど、変われない。

何を、どうすれば良いのか分からない。


自分のことがわからない。

いや、わからないと思い込んでいるだけなのかもしれない。


私って、一体何なんだろう?

どうやって生きて行きたいんだろう?


私らしさって何だろう?

どうすることが、私らしいの?


考え続けて、悩み続けて、でも何も見つからない。

周りには、眩しい人たちがいっぱい。

自分と比較してしまって、悲しくなってくる。


「私だって・・・」


そんな気持ちばかりが先行して、焦る。そして空回りばかり。

今の私は、ホントに空っぽ。


だから、一度心も体もクリアにして、

リアルに「等身大の私」をここに描いてみようと思った。


そうして、もう一度きちんと自分自身と向き合って、

これからの未来をつくっていきたい。


そして、そんなありのままの姿を、誰かに見ていてほしいと思う。


いつか、記憶を無くしたあの頃の彼らとも、

もう一度会えるくらいになれたなら。


今度こそ私は、本当の意味で強くなれる気がする。


<生誕~中学生時代>

断片的な記憶しかない。それはあまり良い思い出がないからかもしれない。

でも、過去の自分とちゃんと向き合うために、頑張って思い出してみようと思う。


しっかりと覚えているのは、家族からの「長男」として向けられる想いや期待が重た過ぎたこと。

だけど、贅沢なくらい沢山の愛情を注がれて育った。

だから、この家族のもとで生まれ育ったことは、心から幸せに思っている。


生まれは愛知県中部。両親と姉2人という家庭に「長男」として誕生した。

どこの家庭にもあると思うが、「3人目にして待望の男の子」だったらしい。

そのことは小さい頃からよく聞かされていたので、ハッキリと覚えている。


私が自分の性的アイデンティティに違和感を感じ始めた(自覚症状として)のは、確か高校1年生。

それからよく思い出すのは、幼少期のこの場面。

大晦日に、家族で夕食を食べながら「紅白歌合戦」の「美○憲○」を見るたびに、

「こういう人になってはだめよ」と母から言われていた。

時々曖昧な記憶もあるのだが、この記憶は間違っていないと思う。


保育園時代の記憶はほぼ皆無。

覚えているのは、母は看護師で近所のクリニックに勤めていた。

クリニックの裏に少し大きめのスタッフの控部屋があり、

私たち姉弟や他のスタッフの子どもたちは、学校帰りにそこへ寄って遊んだり、

書道教室が開かれたりしていた。


多分私は、幼少期はよく笑い、よく喋る子どもだったんだと思う。

「男はヘラヘラ笑うもんじゃない」「男はペラペラ喋らずに黙ってろ」と両親からよく言われていた。

だから、笑うこと、喋ること、「美○憲○」のようになることは、「悪」だと思うようになっていった。


両親が旅好きだったので、週末になると小旅行、連休になるとよく色々な場所に車で遠出をしていた。

本当に色んな場所に連れて行ってもらった。


卒園し、小学校の1年間だけ過ごし、愛知県の北部、川を挟んで岐阜との県境あたりに引っ越した。

ここが、人生で最も長く過ごした場所。緑豊かでとても環境の良い場所だった。

小学2年生から大学卒業まで過ごした。


新しい小学校では、低学年のときにある女の子からラブレターをもらったことがあった。

確か、「私のことが好きですか?」「私とお付き合いしてくれますか?」みたいな質問事項があり、

○をつけるようになっていた手紙だった。

よくわからなかったが、悲しませてはいけないと思い、

「yes」に○をつけた記憶はあるが、手紙を返したのかは記憶にない。


実はその後、別の2人の女の子を好きになった。

1人は単純に可愛い子だった。もう1人は、仲良しの子だった。

でも、その後彼女たちに特別な感情が出てくるわけでもなかった。


小学校時代には、人生の大きな転機が1つあった。

「改名」したのだ。2年生のときだと思う。


私は経緯を全く覚えていないのだが、後になって次女から聞いた話では、

「この名前は女っぽいので、周りからいじめられる」と言ってたらしい。

今の私からすると「まさか?!」という感じではあるのだが・・・。


そんなわけで、母が以前から知り合いだった占い師の助言もあり、

家族会議を開いて、男らしい名前に変えたのだ。

私の記憶では、当時新しいもの好きだった私は、

理由こそ忘れたが(間違いなく聞いているはずなのだが)、

「名前が変わるなんてそうそうない出来事。スゴイ!」くらいにしか考えてなくて、

ウキウキさえしていた気がする。

まさか、その名前が高校卒業まで私を苦しめることになるとは思わずにいた。


高学年になり、クラブ活動が始まった。

私は次女がやっていたブラスバンドに憧れて、入部した。

トランペットに配属された。

トランペットのパートには、1つか2つ上の学年のお兄さんNがいた。

とても面倒見の良い、優しい人だった。そして、笑顔の爽やかな素敵な人だった。

この頃から私は、心の中でNを意識するようになっていたのかもしれない。

今思えば、この人が私の初恋だった。


中学時代は、「体を鍛えろ」ということで、運動系クラブに入るよう言われ、

バレーボール部を選んだ。

このブログを書いていて思い出したが、

「自覚症状のある“同性”への恋心」はこれが初めてかもしれない。

部活の先輩Yだった。


部活で私に指導してくれたこともあるYさんは、

私には「年上のカッコイイお兄さん」として映っていた。

次第に話しかけたりすることが恥ずかしくてできなくなっていった。

何を思ったのか、表に出せない気持ちをノートの裏に書いたり、

隣の席の女の子と話したりしているうちに、

私がYさんのことが好きだということが同じ部活の男子生徒たちに知られ、

部活にも行きづらくなってしまった。


そんなわけで部活をサボるようになり、最終的にはもともと入部したかった吹奏楽に入り、

卒業までバリトンサックスを演奏した。


そんな日々の中学生活にあまり面白さを見い出せず、

確か私は卒業式当日、式が終わった後そのまますぐに帰宅して、

中学生活はあっけなく幕を閉じた。




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