雑誌を作っていたころ(33)

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後編: 雑誌を作っていたころ(34)

社長交代


 世の中には、負けが込むほど強気になるタイプの人間がいる。特にこの手はギャンブラーに多く、「いつか勝てば帳消しになる」と信じてどんどん借金を重ねていく。たしかに、負けるたびに賭け金を倍にしていけば、どんなに負けが込んでも、一度勝てばチャラである。ただし、そのためには莫大な資産を持っているか、いくらでも貸してくれるパトロンが存在することが必須となる。


 青人社の廣瀬社長もそういう人物だった。最初に手がけた「起業塾」こそ順調な滑り出しを見せたが、それから彼がプロデュースした雑誌(というか臨時増刊)は、すべてこけた。「大學生」という大こけ雑誌もそのひとつである。この雑誌の返品率は90%に達した。ほかにもいろいろと雑誌の失敗作があったのだが、悲しくなるからいちいち列挙しない。


 とにかく、青人社は次第に迷走するようになっていった。彼は趣味がギャンブル。内心の不安を表に出さずにブラフをかませるのが得意で、いつも人をあっと驚かせるようなアイデアを持ってきた。

 しかしそのアイデアも、当たらなくなればただの金食い虫である。彼はだんだん内にこもるようになり、人相が険しくなっていった。「このままでは潰れる」というプレッシャーが精神を蝕んでいったのだろう。


 彼が追い込まれたのには、もうひとつ理由がある。彼自身には資金はなかったが、写植会社を経営している斉藤さんというスポンサーがいて、いざというときにはその人がバックアップしてくれる約束だった。だが、その斉藤さん自身の会社が経営難となり、とても他人の事業に手を差し伸べる余裕がなくなってしまったのだ。急速に進むDTP化の流れに飲まれて、大手の写植屋も次々と経営が傾いていたのである。

 廣瀬社長とぼくは、学研からの借金3000万円について公正証書を取られていた。宮本前社長から「まあ、形だけのものだから」と言われてサインしたのだったが、その書面があるかぎり、学研がその気になれば廣瀬社長とぼくの個人資産は簡単に取り上げられてしまう。公正証書というのは、裁判所の判決と同じ効力を持っているのだ。そんなことも知らないでサインしたのだから、どだいぼくらには会社を経営する資格などなかったのだろう。

 さらに国民金融公庫と東京都保証協会からの借金も2人で連帯保証していた。総額5000万円余。もし会社が潰れたら、2人とも破産である。


 そんなある日、廣瀬社長から内々の話があった。「資産家の友人を経営陣に加えたい」というのだ。「あ、これは逃げる気だな」とすぐにピンときた。

「友人」というのは、海外の宝くじを紹介する会員誌「ロッタリー」を編集発行していた「ワールドマガジン社」の青山という社長だった。よほど仲がいいのかと思ったら、つい最近の知り合いだという。つまり、会社を肩代わりしてくれそうな人物を血眼になってあちこち探し回っていたということだろう。


 ぼくはこの青山という人物に会いに行った。六本木にある小さなビルのオフィスで話し合ったが、廣瀬氏よりはよほどマシな人物に思えた。後になってこの人は警察に逮捕されてしまうのだが、となるとぼくの人を見る目は(少なくとも当時は)かなり甘かったことになる。

 青山氏は当時、10億円くらいの資産を持っていた。小さな会員誌の発行だけでそんなに儲かるはずはない。彼は別にロサンゼルスにも会社を持っており、「ロッタリー」の会員に海外宝くじの販売代行をしていた。この売買差益が大きかったのだ(で、それが当局の逆鱗に触れ、明治時代にできた「富くじ法」で処罰されてしまったわけだ)。


 社内の意見を聞いてみたが、みんな廣瀬氏の迷走経営には危機感を持っていた。というか、「ノリ」と「ひらめき」だけで出版社をやっていけるはずがないという当たり前のことは若い編集者でもわかる。みんなもう飽き飽きしていたのだ。全社員との(社長抜きでの)緊急ミーティングの結果、まず幹部社員と青山氏の面談を行い、それを待って総意を形成する段取りになった。

 青山氏と青人社幹部社員との面談は非常に和やかに進んだ。彼は、「ぼくには市販の出版社を経営した経験がないから、みなさんと一緒に勉強しながらやっていこうと思っています。幸い、しばらく赤字でも困らないだけの資産はあります。ゆくゆくはうちの会社と青人社を合併して、市販と直販の両方で売れる雑誌を作りましょう。そうすれば、かつての親会社である学研を見返すこともできます」とスピーチし、ぼくらに深い感銘を与えた。

そしてぼくらに、「社員はひとりも解雇しない」「当面、今の雑誌編集に口は出さない」の2点を約束した。社員の総意は決定し、廣瀬氏は青山氏に青人社の全株式を譲渡した。こうして、青人社3代目の社長は寂しく社を去っていった。


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雑誌を作っていたころ(34)

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