22歳で世界一周に旅立ち世界中の遺跡の前でブレイクダンスしまくったケンシロウと僕の話
◆世界一周をした僕の弟◆
僕には5歳離れた弟がいる。その弟は大学を出ると同時に世界一周の旅に出た。便宜上弟のことをケンシロウ(あだ名)と呼び、彼の軌跡を紹介したいと思う。
※一子相伝の暗殺拳『北斗の拳』の話ではありません。僕の弟の話です。
■エピソード
・小さい頃
僕とケンシロウは正確には4歳半離れている。
1981年8月7日生まれの33歳の僕(ラオウ)と
1986年3月24日生まれの28歳のケンシロウ。
僕が小さくまだ妹と二人兄妹だった頃。父母に「弟が欲しい…」とお願いをしたそうだ。そうしたらケンシロウが産まれることになった。なんて子供思いの親。そして兄思いの弟だろう。雪の日に産まれたケンシロウ。ケンシロウ誕生の周辺日に大雪で停電となり真っ暗な中、お風呂に入ったことを覚えている。
・保育園時代
みんなでワイヤイがやがや。僕はその頃小学生高学年でラジオを聴き始め…そのエピソードはこちらで
ケンシロウは両親ともに働き始めたこともあり犬久保公園の近くの保育園に入った。そこで伸び伸びと育ち、友達をたくさん作ったケンシロウはよく我が家に友達をたくさん引き連れて遊びに来ていた。まぁ僕も小さい頃は大量の友達を連れて家やら友達の家に遊びに行ってたので文句は言えないのだが。
・小学生時代
小学生にもなると色んなものに夢中になる。兄弟とはそもそもお互いに影響を与え合うものだと思うのだが、ケンシロウの興味を持つモノは一通り僕も興味を持った。コロコロコミック(僕は少年時代コミックボンボン派だった)、ポケモン、ビーダマン、ミニ四駆、釣り、世紀末リーダー伝たけし、みどりのマキバオー、ハイパーヨーヨーetc.
高校時代にプロレスにハマった僕はケンシロウ達を連れて秋葉台体育館に新日本プロレスの興行を見に行ったりしたのも今では良き思い出。
・中学生時代
剣道部で汗を流すケンシロウ。僕はその頃大学に入り一人暮らしを始めて愛する藤沢の我が家を飛び出していた。早稲田でバイトで生計を立て自活を始める僕。面やら小手やら突きやらを素足で極める弟。
・高校時代
ハンドボールとダンスを始めるケンシロウ。どうやら湘南台の駅のフリースペースでブレイクダンスを練習していたそうな。その頃の僕は朝日新聞でバイトを始めていた。朝から夜まで朝日新聞の築地本社でスポーツ部や写真部のデスクのコピーにお茶くみ、原稿運びに電話取り。あくせく働き4畳半の部屋からオートロックのマンションに引っ越すことが出来る迄になった。そして貯めたお金で初めての世界旅に旅立つ僕。なんと初めての世界旅はアフリカ(タンザニア)に行くことになった。
⇒後ケンシロウも同じ場所に世界一周の過程で訪れることになるとは。。。当然この時知らない。
・大学時代
中央大学でバイトに明け暮れてアジアやイタリアを旅し始めるケンシロウ。我が家は不思議なもので人生の岐路に立つと母親が「旅に出なさい」と教えるんですよ。僕が大学2年生の夏に完全に行き詰った時にも「北海道でも行って来たら」と諭され青春18きっぷで北海道を一周してきたし、妹のシーナさんもなんだかんだでアジアを旅して旅にハマり旅にのめりこみ、ついにはアジアン雑貨を売ったり作ったりするデザイナーになり今やネパールに住んでるほどですから。母親の影響は大きなものです。そんなこんなで僕は社会の荒波に揉まれ起業を目指し就職。ケンシロウはダンスにのめりこみ世界一周の旅への準備を始める。
・世界一周にスタート(2008年5月)
僕は営業コンサルの会社で働き始め入社の前日にその復活ライブに行ったことからX(エックス)と呼ばれる。そんな中ケンシロウの世界一周は始まったのである。
一度きりの人生、後悔のない人生にしたい。
そんな思いから行き着いたのが今回の世界一周。
世界中で踊って、世界中の人と笑って、世界を肌で感じてこよう。
言葉も話せないけど、なんとかなるっしょ。
大事なのはやるかやらないか。
世界を見尽くしてやる。
んじゃ、ふらっと世界一周いってきまっす! ―ケンシロウ旅立ちのコメント
<世界一周ルート>
ケンシロウの歩んだ大体のルートはこうだ。下記の各地を回りながら感じたことを写真と共にブログにアップして、遺跡や名所の前でダンスする動画をYouTubeに上げながら世界を回った。
※リンク先は各国のダンス動画をまとめたもの。
音楽もダンスもその国の情緒に合わせてあるこだわり♪
日本→2008年4月
南米→2008年5月~6月(メキシコ)
2008年6月(ペルー)
9月(ブラジル)
3月(タンザニア)
4月(マラウィ・ザンビア・ボツワナ・ジンバブエ・南アフリカ)
2009年6月(ネパール)
2009年7月(インド)
2009年11月14日→日本へ帰国
そして旅を終えてこんな動画にその軌跡をまとめた。
◆ハプニングだらけの世界旅◆
1年半にも渡り世界中を回っていると色々なことが起こる。そんな中で僕がランキング形式でケンシロウに起こった様々な出来事を紹介したい。マラリアや高山病にかかるなど大変なことも多かったという。そんな中で僕的に印象に残った出来事をベスト5でご紹介。
第5位:アルゼンチンで騙される
2008年10月アルゼンチンでボカジュニアーズのサッカーを観戦しようとスタジアムに行った時のこと。チケットを買うべく発券所に並ぶと、まさかのチケット売り切れ。人気のボカ!しょうがないのでダフ屋でチケットを探してみる。24ペソのチケットを80ペソとか高い。
そんなこんなで探している合間に試合開始。盛り上がってる!見たい。でも高い。諦めて帰ろうとするとダフ屋の兄ちゃんに声をかけられた。
値段を聞くと30ペソで良いという。怪しいと思いつつも思い出はプライスレスで安さと急いでいたこともあり、購入してダッシュで向かう。しかし・・・
ダフ屋を探す。必至で走る。本気で走るケンシロウ。
そして見つけたダフ屋の兄ちゃん。見つけて逃げられないように服掴んでキレる
いやー学生じゃないんだけど。
散々やりとりしたあげくに出されたもう1枚のチケット。そのチケットを子供も警察も使えるという。入口に持っていくと「使えない」。学生なの?と聞かれて駄目だねと断られる。お偉いさんっぽい人に会されてチケット没収。たぶん学生用のだったのだろう。
偉いのはこんな経験をしながら、自分の責任と捉え相手を許そうと思えたこと。全て自分が悪いと反省できたこと。面白い経験をしたと思い満足することにしたこと。うーん前向き♪
詳しくはこちらの記事で。
第4位:YouTubeのTOPページに載る
世界中を旅しながらYouTubeにそのダンス動画をアップし続けてきたケンシロウ。いつのまにかYouTubeのTopページに動画が掲載されていたそうな。ヒカキンやMAX村井に先駆けて、なんとここに日本人YouTuberが誕生していたのである。アクセスが伸びに伸びたことはいうまでもない。
第3位:マオさんとの出会い
エジプトで出会ったマオサン。なんと彼は↑のようにケンシロウのダンスのキメポーズをTシャツにデザインしてくれた。意気投合した2人は別々に世界一周をしながら動画を撮ったらそれをマオさんが編集してくれる。新しいHPのデザインをしてくれたりケンシロウの世界観を具現化してくれる素晴らしい理解者であり、共同作業者となってくれた素晴らしい旅人だ。
旅で出会う縁は素晴らしい。そこでできた縁が今なお続くこの2人の関係性に感動の嵐だ。帰国後に作ったマオさんデザインのTシャツがこちら↓
<番外編:チリチリ頭になる>
南米ボリビアでくるんくるんのパーマネントスタイルになったケンシロウ。
その頭大仏の如し。色んなスタイルに世界を回りながら変身する様もまた面白し。
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