自分を信じられるようになったきっかけ

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僕は幼い頃から空手をやってたんですよ、そう5歳から。結構ちゃんと取り組んではいたんですけど、とにかく下手で弱い。部活でも空手でも、そうだったんですけど、中2で170後半ありましたからガタイには恵まれていたと思います。


けど、全然自信が失くてね。何をするにしても言い訳や消極的なことばかり。

そんな中学2年の頃のお話です。


幼い頃から空手習ってきたものの、一向に試合に勝てない、一回戦負けばかり。

そのうち「一回戦負けが当たり前」、自分でもそんなふうに思ってました。負けグセがついてるっていうんですかね。


道場の後輩連中からもバカにされ(弱い先輩は先輩扱い出来ないわなぁ)、同年からもバカにされ、相手にされず、ただ「昔からいるだけの人間」でした。


えーと、7月だったか8月だったか忘れちゃったけど夏休みだったと思います。


その年の夏に神戸だったか大阪だったか「花博」が開催されてたんですね。そこで僕が所属してた空手団体が大きな大会(ま、一応全国大会でした)を並行して催す、ということで参加しないか?と声がかかりました。予選ナシでの全国大会でした。


参加費用がバス代やら宿泊代、花博チケット代やら食事代で一人4万ぐらいだったかな。

結構な金額です。


下手な割には試合出るのは好きだったんで出たかったんですよね。ただ問題はその「費用」。


元々、兄弟3人で空手を始めて、その時兄貴はもうやめていたけど、僕が出るということは自然と弟も出るということになります。そうなると8万円、大金です。


当時、父親は「日本に仕事がない」という理由で単身赴任で台湾に行ってたんですよ。

ただ変わってるのは親父の給料は親父の手元にあって日本の家族には一切送られてこない状態でした。


親父は親父で慣れないホテル暮しと初の海外生活、日本人一人だけの現場なんで現地での付き合いや部下にメシおごったりで金要るもんだから致し方ないんですが、この時代が1番貧乏でした。

僕の中学・高校生時代って、僕も親に金貸してましたからね。


以前から「金ない」とは聞いてはいたけど、今までとはレベルが違う。ホントに余裕がないのがわかりました。母親は夜遅くまで仕事で走り回って、家事は僕がやる。

食卓にはカップラーメンのみなんて日もありました。


そんな状況なワケですから「8万」なんて金かかる大会に出たいなんて言えないし、強いならまだしも、劇的に下手で弱い僕ですからね、出るだけ金の無駄なんですよ。


出場断りの連絡をしなくてはいけないんだけど(本音では出たいもんで)言えない。

そんな日々が過ぎ、締め切りの日が近づいた夜、先生から電話がかかってきました。


「出るのか出ないのか、どっちだ?」と。


僕が電話をとり「いや、出たいんですけどお金ないんでやめようかと・・・」と言いかけた時、たまたま早くに帰宅して後ろで料理をしていた母親が


「行ってきてええよ」


と声をかけてきました。


僕は電話をそのままに「でも金ないやん。どうするん?」と聞くと「そんなもん、どうにかするから気にせんと行ってこればいい」という返事が返ってきました。


かなり嬉しかったのを覚えてます。今でも人生で1番母親に感謝した瞬間なんじゃないかな。

僕は先生に「行きます」と伝え、電話を切りました。

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