透明先生と、たくさんの不特定生徒のペンキ缶
人にはそれぞれ色があるっていう。
これまで生きてきた環境は異なるから、一人一人の色は違うんだろう。
その人が何色かなんてわからないけど、少なくとも個性っていう言葉でくくられる何かがある。
だから、物事を正確に伝えることはできないんじゃないかと思うんだ。だって、伝える人にも教わる人にも個性があるから。どうしてもバイアスはかかる。
でも、おれはそれでいいと思ってるんだ。個性がある=バイアスがかかる。
それが人間だと思うから。
でも、多くの教師たちは、みんなに分かりやすいようにと、出来るだけ自分のバイアスをかけないように教えようとするんだ。
つまり、無色透明になろうとするんだよ。おれはそのやり方に賛成できない。
だって、色をもたないから、人として感じられなくなるんだよ。ぼやけているっていうか、よくわからないやつになる。
それって人間が教えてる意味がなくなると思うんだ。
不特定多数に伝えようとした瞬間に、誰にも伝わらなくなるんだよ。
だから、教えるときは自分のバイアスをかけまくって教えた方がいいと思ってる。だって、何を教わるかよりも、誰に教わるかが重要だから。
主観だけど、おれらは目に見えるものに重きをおき過ぎている。
だから、だれの目にも明らかな色を放つ必要があるんだ。その色を嫌う人も絶対いる。でも、嫌われて当たり前だから。それが人間だから。
ちゃす
いまのおれができることは、
自分が実際に体験した「面白いこと」を紹介すること。
よかったら、見てみて。
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