雑誌を作っていたころ(38)

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後編: 雑誌を作っていたころ(39)

悠々社スタート!


 新オフィスの什器備品は、ほとんどが「貰い物」だった。椅子と机、キャビネット、更衣ロッカー、連結書架、コピー、冷蔵庫、台所用品、ビジネスホンは小さなオフィスに引っ越す青人社が廃棄したものを貰い受け、編集プロダクションを廃業する先輩から会議テーブルとコピー機を貰った。

 それでも地下と一階のオフィスには、まだまだ空間がある。そこに、知り合いのカメラマンが居候としてやってきた。上田健さんというロケットを追いかけているプロカメラマンだ。彼には「ドリブ」「おとこの遊び専科」「日本こころの旅」でさんざんお世話になっていたから、無碍には断れない。彼が持ち込んできた木製のデスクが気に入ったので、同じ物をいくつか注文した。


 電話を引き、上田さんのFAXをつなぐ。ビジネスホンの交換機を注文し、青人社から持ってきた余り物の電話機をつなぐ。電話はISBN3回線。ネット用に使う1本以外は、TAをかましてアナログ回線として利用した。パソコンはぼくの私物である東芝のサテライト・プロ。ウインドウズ95のノートパソコンだ。

 そうこうしているうちに、メンバーが集まり始めた。大浦君に佐藤君、紅一点の菅間さん。初めのうちは連日酒盛りばかりしていたが、やがて仕事が入った。嵐山さん経由で依頼されたMSNのコンテンツ制作だった。営業もしないうちから仕事にありついたので、ぼくらは有頂天だった。


 しかし、ちゃんと会社を回していくためには、定期的な仕事が必要だ。まだまだ「青人社難民」はやってきそうな気配だったので、それなりの規模の仕事を考えなければならない。考えた結果、利権争いでめちゃくちゃなことになっている「起業塾」のライバル誌を作ろうと思い立った。出版社に雑誌の企画を持ち込むためには、なるべくリスクを低く見せなければならない。その点、ぼくらに経験のある独立・開業情報誌なら、広告収入もある程度見込めるので有望と思われたのだ。

 そのためには広告営業をやる人材が必要になる。誰かいないかと名刺ホルダーをめくったところ、以前知り合いの広告代理店で働いていた若手がいたことを思い出した。菅藤君。若いが体力があり、人なつっこい性格なので、ぼくらのチームにうまく溶け込んでくれるのではないかと思った。さっそく連絡すると、すぐに話を聞きたいという。これで、広告営業の問題は片づいた。


 企画書を持って出版社を回る。何社目だったろうか。「バウハウス」という出版社の社長から、会いに来いと言われた。英知出版の兄弟会社で、若者向けの雑誌とエロ本で稼いでいるところだ。神楽坂に自社ビルを持っているので、資本力は問題なさそうだった。

 悠々社ができたのは1997年10月。バウハウスに話しに行ったのは12月。会社を立ち上げてからわずか2カ月で、月商1000万円の仕事が決まるかもしれない。ぼくは武者震いして神楽坂のビルに向かった。

 バウハウスの社長で、英知出版のオーナーである山崎さんは、抜け目なさそうだが人なつっこい好人物だった。だが開口一番、こんな話が飛び出してぼくは青くなった。


「青人社といえば、廣瀬という社長がいたな。あいつ、うちに企画を売り込みに来て、前渡し金を持ち逃げしたんだよ。きみもその仲間か?」

「いえいえ、とんでもありません。ぼくらも彼には煮え湯を飲まされた口で」

「あいつ、ゴルフと麻雀が趣味だったな。きみもそうか?」

「いえいえ、ゴルフはクラブの握り方も知りません。麻雀は学生時代に負けてばかりなのでやめました」

「そうか。この企画が実現したら、きみも取材に行くのか?」

「もちろんです。偉そうにふんぞり返っている余裕はありませんから。それに、編集者は現場に出てナンボです。取材に行っていろいろな人と会うから、次のネタが仕込めるのだと思っています」

「ほう、きみは連中とは毛色が違うな。やっぱり祥伝社出身かい?」

「ぼくは平凡社です。『月刊太陽』編集部にいました」

「そうか、そうか。道理で雰囲気が違うと思った。『月刊太陽』はいい雑誌だ」


 聞いてみると、山崎社長は絵が大好きで、高価な絵をたくさん集めているのだそうだ。自社ビルはコンクリート打ちっ放しであまり出版社らしくないが、それもそのはず、画廊にしようとして設計したものなのだという。

「編集者なんてのは、どんなところでも仕事はできるだろ。だから絵を飾ることを第一に考えてこのビルを作ったんだ」

 そのあとは雑談になった。肝心の企画の話は、あとでスタッフと相談しておくという。どこまで本気なのかいまいち不安だったが、年明けまで返事を待ってみることにした。

 明けて1998年1月5日。まだ枚数の少ない年賀状を見ていたら、山崎社長から電話があった。

「やることにしたよ。きみに賭けてみよう。隔月刊で、3月からやろう。今日来てくれたら、第1号の編集費のうち半金を小切手で渡すよ」

 天にも昇る心地とは、まさにこのことだった。


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雑誌を作っていたころ(39)

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