こだわらないこだわり
「信念を貫くということは、この世で一番過酷で孤独なことだと思う。
でも、届くためには誰かがやらなきゃならないんだ」
という小沢先生の名言があります。
(あひるの空っていう漫画)
僕はこの言葉がすごい好きで、この場面では鳥肌が立って立ち読みでしたが3回ぐらい読み返しました。
・・でも、信念・・?
僕はときどき考えます。
「自分の信念ってなんだろう?」
考えるたび、結論は安っぽい借り物のの答えになってしまう。
それなら、無くていいんじゃないの?と最近は思います。
逆に「あなたの信念は?」って聞かれてすぐに出てくるような軽いものは【信念】たりえない気がする。
それなら、「信念なんて無いです」とキッパリ言うほうが潔い。
なぜか最近いろんな感想が寄せられることが多く、僕のこんな思考はあながち間違って無かったんだなあ、とふと思った次第です。
「脱力しすぎた語りで、逆に新鮮でした。
飾りっけがなく、情報がストレートに伝わってくる印象を持ちました。」
「毎回、聞かさせていただいてます、ありがとうございます、
弟子は、無理だから、心の先生としてなにか掴みたいとおもいます。」
「期待半分って、依存しないって意味でもあるのかなぁ…??と思いました!」
「両者とも、肩に力が入り過ぎない 自然なスタンスで、好感が持てました。」
・・などなど。
そういえば信念と関連するかどうかしりませんが、ふと「死」について思いました。
「明日死ぬとしたらどうしますか?」的なありがちなテーマを時折誰かと話したりします。
これまたありがちな相手の回答は「お世話になった人に挨拶に~どうたらこうたら」とかですよね。
僕はそれってすごい謎なんです。
じゃあなんでそれをいますぐやらないのかな?と純粋に思います。
僕は仮に明日死ぬとしても、ふつうに1日を過ごして自然と死にたいです。
そもそも、いまの人生はもはやロスタイムとしか思って無いので。
いままででたぶん3回は死んでいるような感覚で生きているので。
だから「信念」みたいなものが持てない、逆に無いからこその発想がある。
・・将来の夢、みたいなものはあるに越したことは無い。
でも、それをむりやり作って語らせるのもちょっとお門違い。
だって、夢は見つけるものじゃなく、見つかるものだから。
みたいな誰かのJ-POPの歌詞にあるようなそれっぽいライトでカジュアルな言葉で締めます。
著者の佐藤 鳴海さんに人生相談を申込む
著者の佐藤 鳴海さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます