2度絶望を味わい、見えてきた世界 ~年収2000万円に到達するまでのMY STORY~ Part1

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夢を諦めること。

それはどれだけ辛いことなんだろう。

夢を追うこと。

それはどれだけ素敵なことなんだろう。


あなたの夢は何ですか?

その夢は叶いましたか?


僕はある一方では叶ったほうで、ある一方では挫折したほうなのかもしれません。


そして今ではその夢を見ること無く一つのことに取り組んで、表面的には幸せな風に生きてきているのかもしれません。


そんな僕の生まれてから今までのSTORYを書き残していこうと思います。


0才


首にへその緒が二重に絡まりながら長男末っ子として生まれる。

アトピー、アレルギー(卵など→現在は何とも無い)で悩まされていたらしい

北区→豊島区→朝霞台と姉弟ともにアトピー治療のため引っ越し回数が多め



4才~


両親が共働きだったため、保育園に預けられる。

初めて預けられた時は母に抱きついてわんわん泣いていたのを何となく覚えている。

保育園ではあやとりなど男の子の遊びよりも女の子の遊びに興味を持っていた。



小学校入学 


埼玉県朝霞市立朝霞第七小学校入学

保育園出身が僕だけだったのか幼稚園組とは距離感を感じる。


加藤淳君と言うガキ大将に喧嘩に負けたことでナンバー2的な感じで2年生まで過ごす。

ファミコンブームで月に一本ソフトを買って貰ってたためゲーマーに

家はファミコンが買えない友達のたまり場になっていった。



転校 


埼玉県大宮市立指扇小学校に転校

群れをなすというより、誰か一人と毎日遊ぶような学校生活を送る。

ゲームばかりの生活だが、外でもしっかり遊んではいた。


もしかしたら引っ越したということで、慣れるまでに時間がかかると言う事が億劫になり

この時期からみんなとつるむと言うことを避けるようになったのかもしれない。



クラス替え


クラス替えの伴ない、東京から引っ越してきた河合君による陰湿なイジメが始まる。

(誰か一人というより、順繰りしてシカトされるような感じ)

外でも遊ぶが折り紙やドラゴンボールの表示を写し紙に書き写す遊び

また、オリジナルのゲームなどを作ってクラスのトレンドを作ってたりした。



中学校入学


キャプテン翼、スラムダンクの影響でサッカー部かバスケ部に入ろうと思ったが

体験入部のトランポリンが楽しかったので器械体操部へ入部

二年上の三年生が全国大会に出場していたので全国大会を目指すようになる。



中学校生活


240人中230位など、学業の成績は最下位クラス

それを見かねた親が家庭教師を付けてくれるが勉強の話しはせずに女の子の話ばかり聞いていた。


部活では何とか全国大会はレギュラーとして出場

この時期にはゲームソフト会社に入りたいという思いは何となくあった。

深夜番組の特集でスクエアを特集していてフレックスタイム制と言う自由な働き方や

ファイナルファンタジーへのあこがれも有りスクエアを目指すように。



高校入学


1年生

新体操部からスカウトは来ていたが

中学校の先輩がウエイトリフティング部に入っていたので追いかけて入部

日曜日が休みだったと言うのもある。


国際情報技術科と言うパソコンの授業とワープロの授業がある学部に入学

試験勉強と言うものを初めてした所60位位になり少し勉強(一夜漬け)が楽しくなる。

2年生

ワープロ検定1級、パソコン検定1級を最速で取得

だが、プログラマー志望のオタクを見て自分には出来ないと思いプログラマーと言う道は諦める。

部活は椎間板ヘルニアにより筋トレだけをする生活を秋から続けていた。


3年生

インターハイに出場するのが当たり前の高校のため当たり前かのように目指し始める。

また、大学は推薦で行こうと思ったので内申書を良くしたいという思いもあった。


進路を考える時期になり当時CGの火付け役のデジタルハリウッドに体験入学をしに行く。

そこの校長にゲームソフト会社に入りたかったら美術大学に行ってたほうがいいと言うことで美大を目指し始める。


インターハイに出場し部活を引退後、夏期講習で新宿美術学院にて石膏像デッサンを学ぶが、

部活を引退した開放感から彼女が欲しくてたまらなく、その予備校で彼女を作る。


夏期講習下期は代々木ゼミナール造形学校に通う。

冬期講習も代々木ゼミナール造形学校へ。


自分の出来なさ加減に人生初めての挫折を味わい2日で行かなくなりひきこもりへ。

受験の申し込みはしたが受験には行かず引きこもり生活を続ける。


冬期講習が終わり3学期、専門学校や就職などの選択肢はあったが

ゲームソフト会社への夢を叶えるために浪人生活を選ぶ。


浪人生活が決まりつつも姉が日光江戸村で役者をやっていたと言うこともあってか芝居に興味がわき

2月頃にオーディションと言う雑誌に載っていた事務所のオーディションを受けてみる。


君は爽やか過ぎるから色々経験した方が役の幅が広がるよ。


と言われて色々経験したいと何となく思うようになる。


卒業後の3月、人生初のアルバイト。

フルキャスト、グットウィルなどで引っ越しなどをやる。


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