12泊って行くよ【息子たちに 広升勲(デジタル版)】
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この話は、わたくしの父が1980年に自費出版で、自分と兄の二人に書いた本です。
五反田で起業し、36で書いた本を読んで育った、息子が奇しくも36歳に、
五反田にオフィスを構えるfreeeの本を書かせていただくという、偶然に五反田つながり 笑
そして、息子にもまた子供ができて、色々なものを伝えていければいいなと思っています。 息子 健生
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泊って行くよ
毎日、どんなに夜おそくても母さんは電話をよこした。
父さんも、一日一回母さんと話をしなければ落ちつかなかった。
中田のオバアチャンは、二人の電話をききながら、
「顔みたばかりで気がすむならば、酒のみや樽見て酔うものか」と面白いうたをつぶやいて父さんをからかった。
その日も夜十一時噴母さんから電話があった。話している内に急に逢いたくなった。「逢おうよ」と言った。
父さんは戸越(品川区)からオートバイで新宿まで、母さんは三鷹から新宿まで、夜の十二時新宿で二人は逢った。そこで一時間半ぐらい喫茶店でしゃべった。
電車がなくなることは承知の上でだ。
「もう電車がないから三鷹まで送って行くよ。寒いけど乗りなよ」
母さんはスラックスだったがオートバイにまたがって乗った。
青梅街道を走りながら、父さんは大声で言った。
「ガソリンがないから、帰ることができそうにないや……」
「…………」
「きみのところに泊ってもいいかい?」
母ちゃんは、口では“いい”とはいわなかったが、父さんに抱きついて乗っているその感じで“泊ってもいい”と思っているなと解釈した。
深夜二時、母ちゃんのアパートに着いた。
母ちゃんと都おばちゃんが生活している部屋である。六畳と四畳の台所のあるその部屋はキチンと整理されていた。
部屋の隅に“赤旗”新聞が十数部つみ重ねであった。本棚には、左翼思想の本が沢山並んでいた。都おばちゃんは、学芸大学の入学試験が終り、柏崎に帰っていた。
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