19養子になっておくんなさいテ【息子たちに 広升勲(デジタル版)】

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この話は、わたくしの父が1980年に自費出版で、自分と兄の二人に書いた本です。

五反田で起業し、36で書いた本を読んで育った、息子が奇しくも36歳に、

五反田にオフィスを構えるfreeeの本を書かせていただくという、偶然に五反田つながり 笑

そして、息子にもまた子供ができて、色々なものを伝えていければいいなと思っています。 息子 健生

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養子になっておくんなさいテ



上野ではじめておじいちゃん達に逢ったあと、すこしでも父さんのことをよく理解してもらいたいと思って、父さんの出版した本やみんなの会の会報や印刷物を小包にして柏崎に送っておいた。その時も「親孝行な、いい息子になりますから、私を息子にして下さい」という手紙を添えた。

母ちゃんは、

「とにかく一度は柏崎に行って」という、父さんも、おばあちゃん達と直接逢って話をしなければ、と積極的な気持だった。だけど、あばあちゃん達は、

「あくまでも養子になってくれるという条件であいましょう」ということだった。

五月五日、母ちゃんは同級生の杉田さんが新潟十日町で結婚式をあげるのに出席することにしていた。その機会に一緒にゆくことに決めた。

式に出席するため母ちゃんは一日早く上野を発った。

翌日、日曜日、父さんは一人で上野に出た。みやげに、またお茶を買おうと思ったが、朝八時頃でお店が開いてない。「しかたない、途中の大きな駅で途中下車して買おう」と思って母ちゃんがおしえてくれたより一本早い特急列車に飛び乗った。

高崎駅で下車して“新茶”を買った。「そうだワイシャツも取り替えよう」とワイシャツも新品に取り替えた。靴みがきのおばさんを見かけて「そうだ靴もみがいてゆこう」はじめての訪問だけに父さんは気をつかい精いっぱいのオシャレをしたのである。

急行“よねやま”は定刻十三時に柏崎に着いた。母ちゃんが教えてくれた通り駅前でタクシーに乗り「荒浜駐在所前」というと車はスイスイ静かな海岸にそった県道を走った。

三時すぎだ。はじめて母ちゃんの家の玄関に入った。

おばあちゃん二人はすぐに父さんを、奥の客間に通してくれた。

そしてすぐ、ヨブ子おばあちゃんは、ビールやお刺身やゆでたカニを、それは沢山食卓に並べて、どうぞ、どうぞとすすめてくれたんだよ。

静江おばあちゃんは、あいさつをすませたあと、食卓などのことは全部ヨブ子おばあちゃんにまかせっぱなしにして、父さんの横にドッカリと坐り込んで、ビールをすすめてくれた。父さんがビールを口にするかしないかのうちに、

「ネエ、広升さん、養子になっておくんなさいテェ、美津子は、私の家を継いでもらうために、養女として育てたんですがね」と本題をズバリ切り込んで来た。

それは真剣な表情で……。

横でヨブ子おばあちゃんはニコニコとビールをすすめながらも、父さんがどう返事をするか、輿味しんしんに見つめていたんだよ。

「ハイ、お気持はよくわかります」と答えた。

静江おばあちゃんの気持はよくわかるのだが、父さんは養子になりたくない気持はかわらなかった。しかし最初から「養子になるのはイヤだ」とハッキリロにするのもおとなげないと思ってそういったのである。

静江おばあちゃんは続けた。

「私の財産を全部美津子に継がせたいですがね。兄さんも年をとったとき、この静かな柏崎に帰って来ることができれば幸福ですがね」

美津子の産んだ子どもをこの空気のきれいな荒浜で育てたいですがネ。

私の仕事は、小学校や中学校や高校の教科書の供給の仕事ですども、その権利を全部美津子に継がせたいですがね。教科書の仕事は人のためになる尊い仕事ですテ。

美津子は子どもの頃から、頭のいい子で成績もよかったから、父兄会に行くのが楽しみでしたがね。

養子になったからといって、私の老後の面倒みてくれ、一緒に住んでくれといいませんがね。

二人で仲よく東京で生活してもいいですが、何もいわないから、兄さんのお籍だけくださいテ」

静江おばあちゃんは、最初から籍だけくれれば喜んで結婚を許すといってくれた。

父さんは、年齢の差がありすぎること、みんなの会の職員ということで生活が不安定だろうということ、などを理由に反対されると思ったので、すこしでも詳しく父さんのこと、会の事を理解してもらおうと思って、先に印刷物など資料を沢山送っていたのである。

その資料をよく読んで理解してくれていたのか、父さんの人柄、会の事業や理念をよく理解してくれて受け入れてもらっていることはうれしかった。

問題は、唯一つ「養子になって籍だけおくんなさいテ」だけだった。

父さんは父さんなりに、養子になりたくない理由をはっきりと話した。しかし、静江おばあちゃんは、そんなことには耳にもかさず、

「養子になって下さいテ、美津子はやさしい娘ですが、すっかり兄さんに惚れてますがね。養子になったといってもお籍だけで、東京での生活では今まで通り“広升”で通してもいいですがね、老後見てくれ、柏崎に住んでくれといいませんですテ」

静江おばあちゃんは、テープレコーダーのように同じことを繰り返した。

父さんは、心のそこから養子になるのはイヤだと思いつつも、静江おばあちゃんの願いもわかるような気がしていた。

「お気持はよくわかりますが……ハイ」といいつつ、

養子になってもいい、といおうか、いうまいか、“もう一度、法律的なこともよく検討してみよううか……”と心の中はゆれうごいたのであった。

ヨブ子おばあちゃんは時々、

「姉がああいっておりますので籍だけ、考えてみて干さいませんかね」といわれた。

健二郎オジイチャンは、夕食の時ほんの二言、三言あいさつ程度の言葉をかわし、あとは酒をのみながら、手拍子をとって歌うだけで話しらしい対話はなかった。

オジイチャンはお酒を飲んで歌うのは得意で、どの歌もどの歌も全部三番までキチンと歌詞を知っていた。ともかく母ちゃんの家の事は、静江・ヨブ子両オパアチャンでとりしきっているように感じられた。


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