26女医さんの方がいい【息子たちに 広升勲(デジタル版)】
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この話は、わたくしの父が1980年に自費出版で、自分と兄の二人に書いた本です。
五反田で起業し、36で書いた本を読んで育った、息子が奇しくも36歳に、
五反田にオフィスを構えるfreeeの本を書かせていただくという、偶然に五反田つながり 笑
そして、息子にもまた子供ができて、色々なものを伝えていければいいなと思っています。 息子 健生
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女医さんの方がいい
生理の予定日の六月十五日から二日待っても、三日たっても生理がない。
「やっぱり赤チャンができたのかしら」と何日かくり返していたが、
「産婦人科に行くのはずかしいわ」となり、「行くのなら女医さんの方がいいわ」となった。
「女医さんを知っているのか」
「友達がおしえてくれたの、三鷹の保育園の近くなのヨ」と話はだんだん具体的になって来た。
土曜日十二時で勤務を終った母ちゃんはその女医さんの堀医院に行った。しかしもう診療時間がすぎたのか玄関があかなかった。
それから三日程して今度は五時の勤務が終って行ってみた。やはり玄関が閉っていた。
ベルを押して、診療時間だけでもきいてみようかと思ったが、何だかはずかしくて胸がドキドキしてベルを押すことができなかった。看板の電話番号をひかえて帰って来た。
「やっぱり一人ではいけないわ。二度も行ったけど、はずかしくて」
と母ちゃんに甘えられ、
「なにを甘ったれているんだよ。しっかりしろしっかり」と父さんはいいながらも、どこかうきうきした気分で、「ついて行ってやるよ」と約束した。
父さんは前の日に会の職員の川村さんに話して仕事を休むことにし、清水住宅の社長からトヨペットクラウンを借りた。
母ちゃんが何か、とても重大宣告を受ける記念日なのだから、父さんも精いっぱいのことをしなければならない、そんな気持からだったんだよ。
六月二十九日、小雨降る日だった。
八時半噴、母ちゃんと都おばちゃんが一緒に住んでいるアパートに着いた。都おばちゃんはもう学校に行って、母ちゃんだけ一人で待っていた。
朝食をご馳走してくれた。
その時、隣りの部屋の奥さんと母ちゃんが立話をはじめた。母ちゃんは、照れながら、
「結婚することにしている人です」と父さんを紹介をした。
「実は四年前からズーット惚れられ続けたものですから……。今日は産婦人科に行くんです。区役所より先に産婦人科に行くことになりました。すこし出っ張っていますか」と父さんは母ちゃんのお腹を指さしながら冗談をいった。
出かける前に、深くて強いキッスをした。
「区役所に行く前に産婦人科の門をくぐるのはあべこべだな」といいながら。
母ちゃんが二度も行ってベルさえもおすことのできなかった、女医さんの堀医院に向った。医院前の空地に車を停めた。
「じゃあ行って来いよ。一緒に行くのいやだから、車の中で待っているよ」
「そう、じゃあ行ってくるね」といってエヘンと咳ばらいをして母ちゃんは堀医院に入って行った。
父さんはカーラジオをききながら待っていた。
しばらくして、母ちゃんは複雑な笑いをして出て来た。
「ここのお医者さん、ご夫婦でやっているのネ」
「女医さんじゃないのか?」
「そうよ。男の先生だったわ」
「そんなことどうでもいいけど、赤チャンはどうなんだ」
「オメデタですといわれたわ。来年の二月二十四日出産予定日ですって。もう二ヶ月なのよ」
「そうか。よかったじゃないか」と父さんはいった。六月二十九日午前十時三十分だった。
「でも早すぎたわ。保育園の方がこまるのよ……でも産むわ」母ちゃんは、保育の仕事の責任上、予想より早く出産することに問題はあったようだが、産んで育てるという基本的な姿勢はかわらなかった。
そんな母ちゃんを“気持のやさしい立派な女性だな”と父さんはまた再び惚れなおしたんだ。
その日の午後、母ちゃんの友人で宝石の加工をしている松村さんのお宅を訪ねて、母ちゃんの指に合せて、ダイヤモンドの結婚指輸を注文したんだ。父さんの誕生石もダイヤモンドなのだ。
値段は二十万円、その頃父さんがみんなの会からもらっている月給は十五万円だった。
その翌日の日曜日、みんなの会では青年達二十数名でソフトボール大会をした。
正樹おじさんが勤めている昭島市の昭和高校のグラウンドを借りたんだ。その時母ちゃんは妊娠しているのにみんなと同じようにバッターボックスに立って打ったり走ったりしたんだ。
母ちゃんの元気さに、父さんは内心ハラハラしながらもたのしかったな。
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