雑誌を作っていたころ(43)

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新しい酒は新しい革袋に


「開業マガジン」創刊号は無事発売され、第2号の〆切が迫ってきた。2号の発売日は1998年5月30日だから、もろにゴールデンウイークの影響を受けてしまう。通常号より1週間以上も前倒しして原稿を入れなければならない。

 ところが、〆切間際になってカラーページが6ページ空いてしまった。広告が相次いでキャンセルもしくはカラーから1色に変更になったためだが、これは痛い。すでに特集ページなどはレイアウトデザインが進行していて、今さらページ変更するわけにはいかない。創刊したばかりなので、まだ予備の原稿もない。


 さらに困ったのが、その6ページを担当するスタッフがいないこと。みんな特集や連載などの担当についているから、今から大特急で取材・編集する余力などどこにもない。かといって6ページというのは雑誌の台割編成上、中途半端なページ数だから、減ページもままならない。

 一般に書籍は16ページ単位、雑誌は8ページないし16ページ単位でページ編成をする。それは印刷と製本の都合で、2ページ、4ページといった半端な単位は割高になるため、めったに使われない。だから6ページは中途半端なのだ。


 そんなとき、懇意にしている広告代理店の女性社長から耳寄りなニュースが入った。名古屋のモービルハウス販売会社が、記事広告を打診してきたというのだ。記事広告というのは、お金をもらって記事風の広告ページを作ること。それに対して広告主が制作する普通の広告は「純広告」という。

 先方の予算はカラー2ページ分。ということは、1ページをサービスし、あと3ページをこちらで作れば、合計6ページの企画が作れる。その瞬間ひらめいたのが、名古屋のキャンピングカー販売店だった。ぼくは少し前に、「オートキャンプ」に熱中していたので、キャンピングカーの情報を集めていたのだが、アメリカ製の大型モーターホームを扱っているディーラーが名古屋にあることを覚えていたのだ。


 取材先が2カ所とも名古屋なら、日帰りで取材が可能だ。カメラマンとぼくが取材に行けば、他のスタッフにも影響はない。すぐに広告代理店とキャンピングカー販売店に連絡し、翌々日の取材を申し込んだ。手の空いているカメラマンを探すかたわら、鉛筆で大まかな企画案を練り上げた。

 考えたプランは、モーターホームとモービルハウスを「移動オフィス」や「移動可能な店舗」としてはどうかという提案記事だ。取材した翌日にはデザイン入れ、その翌日には入稿という乱暴な記事作りの割には、読者の反応はよかった。ついでにいうと、小道具として写真に写し込んだノートPCと携帯電話は、ぼくの私物である。

 こういう短納期の記事作りは、平凡社でも青人社でもやったことがなかったが、やってみるとスリリングでおもしろい。じっくり寝かせて作った記事と違い、切ったら血が出るような新鮮さがある。零細企業はこういうワザで特徴付けをする必要があるのではないかと気づいた。


「新しい酒は新しい革袋に(Neither do men put new wine is old bottle.)」とは新約聖書の言葉だが、今までとは違う小さな所帯になったのだから、それに合った仕事のやり方を工夫する必要がある。その大きなヒントになったエピソードだった。

 だが、お馬鹿なぼくはそのことを真剣に考えようとはせず、赤字を垂れ流す運命を選び取ろうとしていた。




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