あの頃見た夢は終わらない 〜青春の京都学生ガイドクラブ〜

次話: 学生ガイドになる! 覚悟を決めて、はじめの一歩 〜青春の京都学生ガイドクラブ〜

総乗務台数226台(=総乗務日数226日間)


大学4年間で、わたしが学生ガイドとして、バスに乗務した台数です。


修学旅行をはじめとする京都を訪れる観光バスに乗って、現地ガイドとしてお客さまに観光案内をする大学生。それが京都の学生ガイドです。


わたしが、最も多くの仕事をこなしたのは、大学3回生の春です。


約2ヶ月半のシーズン中、45台の乗務を行いました。2日に1回はバスに乗っていた計算です。ゴールデンウイーク明けは、修学旅行のピークです。来る日も来る日も仕事で、2週間近く連続乗務したこともあります。


ガイドの仕事は一期一会。毎日毎日、違う現場で違うお客さまにお会いします。


日本中のあちこちから京都へやってくるお客さまの前に立てば、どんなに疲れていても前の日寝てなくても、もう、条件反射的に体が動き、しゃべり続けました。


「仕事が忙しくて、学校に行けない」


コレ、本当でした。(もう、アイドルかっ!! 笑)


怒涛の旅行シーズンが終わり、学校に行けるのは6月の終わり頃です。夏休みまでもう1ヶ月もない!夏休み終わったらすぐ前期試験! 単位を取るには友達のノートだけが頼りという、本当に綱渡り状態でした。ついつい、ガイドの仕事を優先させてしまい、学校はいつもこんな感じ。そうそう、卒論は締切間際に徹夜して仕上げ、時間ギリギリ、もう5分前くらいに駆け込み提出しました。


よく4年で卒業できたものです。


学生時代、わたしは学生ガイドとして、「京都学生ガイドクラブ」に所属して、仕事をしていました。


「クラブ」という名前で「学生のサークル活動だよん」という空気を醸し出していますが、果たしてその実態はと言うと、全国の旅行代理店や観光バス会社から仕事を請け負っていた「学生団体」でした。


構成メンバーは、主に京都市内の大学に通う学生で、わたしが在籍していた頃は、立命館大学、同志社大学、京都産業大学、京都大学、京都女子大学(わたしの母校です)等の学生がいました。ちなみに「ガイド」というと女性のイメージが強いのですが、メンバーの過半数は男子でした。


また、「学生が京都の観光案内をする」という似たコンセプトの団体は、あと2つありました。京都市がバックについていた「京都学生観光連盟(学観連)」と京都市観光協会が母体の「京都学生ガイド協会(協会)」です。


他団体のメンバーとは、仕事上、様々な観光地で顔を合わせることも多く、結構、ライバル意識、持っていましたね。組織に守られていた他団体とは異なり、バックになんの後ろ盾もなく、完全な自主運営は、「京都学生ガイドクラブ」だけでした。大人に頼らず、組織に頼らず、お金に頼らず、なんでも学生である自分たちでやっているということに、本当に誇りを持っていました。


ガイドの仕事のお取引先は、京阪神を始めとして、日本各地のバス会社や、J◯B、近◯ー、日◯旅行、東◯観光等の一流旅行代理店ばかり。


会社でもなく、社団法人でもない。そもそも法人じゃない。そんな学生団体に、よく各社様が仕事を発注してくれていましたね。そこら辺が何ともグレーだったと言うか、何と言うか……。いい時代でしたね。


お客さまは主に修学旅行生、そして、一般団体さん。活動範囲は、京都にとどまらず、お客さまの観光コースに合わせて、奈良・大阪・兵庫(神戸・宝塚・姫路等)・滋賀(比叡山・大津等)を含めた近畿一円に及んでいました。


ガイドの仕事とは、皆さんもご存知の、バスガイド(はとバスとかで、今でも見かけますよね。)、一言で言うと、アレです。


観光バスに乗り、車中で案内をして、お客さまと一緒にお寺や神社などを回って案内をしました。


車中でガイドをする時は、ガイド席でお客さまの方を向いて、つまり進行方向に向かって後ろ向きに立ちます。


この体勢では、自分の目で対象物を確認することはできません。なので、あらかじめ覚えておいた目印(看板や建物等)を頼りに、車窓に見える風景を次々紹介していきます。


車窓からでないとなかなか見られないベストポイントの風景をタイミングよくご案内できて、お客さまから歓声が上がった時の満足感は格別でした。


また、お寺や神社などの観光地では、お客さまについて一緒に回って、観光ポイントの説明を行います。1日中ガイドをすると、かなりの距離を歩きます。法隆寺とか奈良公園とか、本当に広いので、足はパンパンになりました。


ガイドの仕事は、仕事の発注元によって2種類ありました。


地方のバス会社のバスに乗り込む「現地ガイド」としての仕事と、京都や大阪の地元バス会社のバスに車庫から乗って仕事をする「社員バスガイドの代わり」としての仕事です。


地方のバスに現地ガイドとして乗り込む場合、そのバスには、バス会社のガイドさんが乗務してこられます。つまり、1台のバスにガイドが2名つくんですね。


わたしたちのガイドは、新人のバスガイドさんの「教習」として使われることも多く、わたしたちがマイクを握って話している内容を横で車掌業務をしながらメモしているガイドさんも多かったです。時には、超ベテランのガイドさんが乗務して来られることもあり、そんな時は、見られてる、聞かれてる感が半端なく、ちょっとドキドキでした。


地元のバス会社の仕事は、結構ハードです。


早朝から車庫に出勤し、バスの掃除から行います。地元のバスを使うお客さまは、新幹線でやって来られることが多いので、京都であれば、京都駅八条口の出口まで旗を持って迎えに行きます。修学旅行生は、お揃いの服装だったり帽子だったりするので、遠くから見てもすぐわかります。満面の笑顔で集まってくる子どもたちに出会うと、仕事が始まる前から楽しくなったものでした。


そして、1日ガイドをして、お客さまを旅館に送り届けても、仕事は終わりません。


バスを車庫へ回送し、掃除をして、やっと仕事終了です。時には、朝イチでお客さまを駅に送り届けてから、別のお客さまを迎えてガイドする……。ということもやりました。1台のバスをまるまる任されるという点で、仕事の満足感はかなり高かったですが、その分、かなりの肉体労働でした。


仕事はとにかくハードで、短いシーズンに集中するので、その分のストレスも相当なものでした。仕事そのもののストレスもありますし、学校との両立ができないというストレスも……。そんなストレスの発散方法も、普通の学生の常識とはちょっと違っていました。


仕事が終わると、メンバーは、三々五々「事務所」に戻ってきます。仕事のなかったメンバーも、学校帰りになんとなく集まってきます。夜の8〜9時頃になると、メンバーは、タクシーに分乗して祇園や四条に繰り出します。まずは居酒屋か王将で腹ごしらえしつつ、10〜11時頃になって、社会人が家路に着く頃に、スナックに繰り出して、気がすむまで飲んで歌う……。お開きになるのは深夜1時か2時。帰りは当然タクシー。と、こんな具合。


みんな、仕事をしているので、お金は持っているわけです。持っている分だけ、使う。学生の分際にもかかわらず、抵抗なくタクシーに乗る習慣がついてしまったのは、マズかったですね。深夜の豪遊では、翌日に仕事を控えているメンバーも当然いましたが、そんなのお構いなし。「どんなに飲んでも、遅刻は厳禁。仕事はしっかり」がモットーでした。


若かったので、こんな日々が続いても平気でしたが、今から思うとよくやってたな〜と思います。


ちなみに、ガイドの仕事は、時給ではなく「1本いくら」でいただいていました。なので、1日の乗務時間が多かろうが少なかろうが、1回の乗務についての給料は同じでした。(地元のバス会社の乗務の場合だけ、残業代をいただくことがありました。)


1回の乗務でいただいていたギャラは、学生のアルバイトの相場と比較すると、結構いい値段でしたが、いただいているお金の分、京都奈良のガイドにかけては、並みのバスガイドには真似のできない仕事をしていると自負していました。


誇りにかけて、メンバーは自分のやっていることを決して「アルバイト」とは言わず、「仕事」と言っていました。1本の仕事をするにあたっての準備にかかる手間ひまや時間は並大抵ではありませんでした。


さて、学生ガイドの4年間は、こんな風です。


1回生の春から教習を受けると、秋からバスに乗務できるようになります。最初は小学生の修学旅行で、京都奈良の定番コースを回る仕事から始めます。


2回生になると、もう主力メンバーです。経験を積んだ分だけ、ガイドできる場所も増え、仕事の本数も増えていきます。中学校の仕事や、一般のお客さまの仕事も受けるようになります。


3回生は、運営メンバーとなり、事務所での事務作業や、旅行会社やバス会社との交渉もこなすようになります。また、新人教育も3回生の役目になるほか、仕事においては、大規模なキャラバン(2台以上のバスが一緒に行動すること)を率いる立場になります。


4回生になると、直接の運営からは離れて、相談役的な役割になります。マニアックなコースや、専門知識を必要とされるお客さまへのガイドは経験がモノを言うので、4回生の役目です。そして、就活を終え、卒業後の進路が決まると、思い残すことのないように仕事しまくる人もいますし、仕事にかまけておろそかにしてきた学業に一旦専念する人もいます。


そして、大学卒業。大学卒業は、学生ガイドからの卒業を意味しています。毎年、ホテルの宴会場で「卒業パーティー」を開いて、卒業生を送り出しました。


そして卒業後も、メンバー同士の交流は続きます。わたしも、同期や先輩とは、今でも交流があります。ありがたいことです。


わたしが学生ガイドとして活動していた頃は、まだまだ、修学旅行といえばバスで回るものでした。


しかし、徐々に「グループ研修」「タクシー観光」「自分の足で回る」といったプランが増えていき、京都観光で「観光バスで回る」という需要は少なくなっていきました。


時代の流れには逆らえません。


京都学生ガイドクラブ、実はもう存在しません。2年ほど前に、その役目を終えました。


わたしの学生生活は、ガイドクラブと共にありました。大学4年間という期限付きながら、自分の可能性を信じ、精一杯に活動しました。単なる学生の集まり、趣味と実益を兼ねた収入を得る手段、人生勉強。そんな一言では片付けられない濃密な日々でした。


ガイドクラブにいたが故に、あの当時の学生だったら当たり前だったことを諦めたことも多々あります。サークル活動、アルバイト、習い事、等等。合コンなんて、1回しか行ったことないです。(笑)


今の自分をカタチ作ってくれたのは、ガイドクラブですごした時間です。わたし自身のかけがえのない価値を、わたしはガイドクラブの活動で手にしています。それは、今でもわたしの身を助け、夢の実現を後押ししてくれています。


あの時代、どんなことがあったのかを何かの形で伝えたい、残したいと思い、ここに物語を紡がせていただくことにします。

著者の都築 志摩さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

学生ガイドになる! 覚悟を決めて、はじめの一歩 〜青春の京都学生ガイドクラブ〜

著者の都築 志摩さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。