海外あちこち記 その8  昭和50年代の中国出張

1、初めて中国に出張したのは1979年(昭和54年)8月のことです。

 北京の町はまだあの緑色の人民服の人たちと自転車で一杯でした。マイクロバスで同行の人たちと交通部(運輸省)へ行く途中にえんえんと続く高い塀を巡らせ、門ごとに拳銃を吊るした紅軍の兵士が厳めしく門衛をしている広大なエリアがありました。「ここは何ですか?」とアテンドの外事課のエリート役人の若いミス曹に聞くと「共産党のカンブー(幹部)が執務をしたり、住んでおられる中南海というところです」と敬意のこもった口調で教えてくれました。

自分がそれまで何となく持っていた共産主義の国は皆平等という概念が、ありゃこれは違うとまず感じた最初の一歩でした。女性の幹部も多く、男女差別は殆どないようでしたが、一般人と幹部クラスの生活は天と地ほどの差があるようでした。例えば百貨店の玄関に、当時でもあまり見かけない紅旗という国産の運転手つき大型高級車が何台も女性や子供を乗せてやって来ます。「あの人たちは誰ですか?」と聞くと「幹部の専属車でご家族の方々が買い物に来られておられます」とミス曹はこれまた当然のように答えました。 

 出張目的は技術交流という名目の費用当方持ちの勉強会ですから、先方も気を使って日曜日に万里の長城にマイクロバスで案内してくれました。まだ観光客相手のレストランもなく昼食もすべてバスに積み込んでありました。長城はさすがにこんなものを作った漢民族の底の知れぬ力とこれを作らせた匈奴の想像の出来ない恐ろしさ、威力の両方を思いました。

 7月の暑さでお湯のようになった心尽くしのビールで乾杯をして、パサパサのサンドイッチを食べながらの話の中で、「何百年もかけてこの長城をつくるために中国全土から徴用された労働者を出来るだけ長く働かせるために毎食食べさせたものがあります。また、もう一つ月からも肉眼で見える人工構造物であるピラミッドを造るエジプト人労働者に同じく食べさせたものがあります。それぞれわかりますか?」と聞かれました。両方の正解は誰も出来ませんでした。 答えは中国が「にんにく」、エジプトが「ゴマ」でした。

北京の有名な焼き肉屋

 出張業務が終わり、気のいいメーカー(ボクの元勤務先)を中国へ連れ込んだ商社が「清の国」以来、北京でも有名な羊の焼肉屋で打ち上げをやってくれました。

後日札幌でサッポロビールがやっているビール園で焼肉を食ったとき、同じ道具が出てきたので、北京の「ヨースーロー」というあの店の道具をそのまま真似していると思いましたが、半球型の鉄板で焼いた羊肉を腹一杯食べました。

 漢民族の中国に「元の国」を作った蒙古族や「清の国」を作った満州の女真族の後裔も今の中国に当然中国人として暮らしていますが、いまやその出自を隠しているという話を元清の高官の出の一族と称する、いま中国政府の運輸省の下っぱの酔っ払ったお役人から宴会の席で聞きました。中国は多民族国家やなーと実感し、かつ差別はどこの人間、地域、いつの時にもつきものやなーと思い、漢民族中心主義は共産主義体制と関係なくしっかりずっとあるのやなーと思いました。 

2、1983年8月ごろに出張したときの話です。

北京飯店の冷や麦

 当時の中国のホテルはどこもいつも満室で、殆ど毎晩違うホテルを商社のSさんと二人相部屋で渡り歩きました。人気のタバコ、セブンスターを一箱フロントにつかませると、満室のホテルにも突如空室が一部屋出てくることがあります。

 ある日曜日、ようやく泊まれた郊外の古い北京中央体育館付属飯店からバスで北京一のホテルである北京飯店に麻雀とメシに行きました。そこに商社のオフィスがあり、支店長が住んでいます。ちょうどメインレストランで日本の「冷や麦」をホテルのコックに作らせて、出張中の各メーカー社員達と駐在商社員が十数人で食べはじめるところでした。ほとんど3ヶ月近く北京、天津、大連を渡り歩いて、中華しか食べてない身にとってこんなうまいものがこの世にあったかと涙がこぼれそうでした。 

 北京市内を一人でバスで行動すると(当時はタクシーが極端に少なかった)乗客全員から毎回奇異というより冷たい目で降りるまでずっと注視され続けました。当時背広を着ている人間は北京普通市民から見ると全員外人ですから、戦前の日本と同じで外人はみなスパイ?敵性人?ということかなと能天気な身も思わざるを得ませんでした(特にまたどう見ても典型的な日本人のボクにとって)。

 国営の新聞、ラジオ、テレビしかない(当時はインターネットがないから、お上の言う事と違う情報は一般市民は誰も入手出来ない)国へ普通の民間会社の人間が商売で行って、日本の大手メデイアのデスクがフィルターにかけた駐在員報道と随分違う面白い経験をしたのかも知れません。そうは言っても仕事で付き合う自分と同じような中国人と、あのバスの乗客達の落差は、生身で個人的に一回でも中国人と付き合えば、埋まって行くこともいろんなことを通じて実感しました。

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