自分の人生を真剣に生きたケンちゃんと、不真面目に「とりあえず」生きている僕の話

2006年6月のある晩、なぜか体が重く、部屋の中で動けなくなりました。特に体調が悪いわけでもなく、ただ動けませんでした。もうどうしても動けないので、その晩は早めに寝ました。

大学時代、僕にはケンちゃんという友達がいました。

ケンちゃんは、同郷の友達で1994年に進学のため上京した僕たちよりも一足早く、ミュージシャンになるために高校を中退して東京に来ていました。とりあえず高校卒業、とりあえず大学進学という「とりあえず」に全く意味を見出せなかったケンちゃんは、まっすぐに自分の夢を追っていました。

僕たち同郷の仲間が大学1年の時、東京で集まって騒ぐときには、そこにケンちゃんの姿もありました。ものすごく刺激的でもない、かといって退屈でもない「とりあえず」な大学生活を送っていた僕たちから見れば、自分の夢にまっすぐに突き進むケンちゃんの姿は自信に満ち溢れていてまぶしく見えました。

ケンちゃんの部屋には、今思えば懐かしいDATテープの録音機材が並び、そこでギターとキーボードで曲を作っていました。大学2年の時、いよいよデビュー間近になりました。ついに友達の中からメジャーデビューするヤツやつが出るんじゃないかと僕たちは興奮していました。

大学3年の時、そのデビュー話は流れてしまい、僕たちはすごくがっかりしました。もちろん、僕たちがバカ騒ぎするときには、そこにケンちゃんの姿もあり、それなりにバカ騒ぎにも加わわってはいるのですが、ケンちゃんはどことなく寂しそうでした。

その頃、ケンちゃんは、いつものバカ騒ぎグループの中の最も親しい友人であるHには、「30過ぎてデビューできなかったら、生きている意味はない。」と語っていたそうです。そんな話をHから聞いて知っていた僕は、ある日終電間近の電車の中でケンちゃんに言いました。

「実際、この電車の中の40歳以上はみんなクソだよな。よれよれのスーツでこんなにくたびれて、立ちながら居眠りして。こんなにみっともない感じなのに、なんで生きているんだろうね。僕だったら、こんなふうに生きていたくはないな。」

半分はケンちゃんの話に合わせて、そして半分は本気でした。ケンちゃんは、何も言わずに、だまって笑っていました。同調するでもなく、否定するでもなく。

大学4年生の時、ケンちゃんは僕たちのバカ騒ぎに顔を出さなくなりました。何でもケンちゃんは、自宅でもできる医療関係の試料検査のアルバイトをしながら作曲を続けているということでした。

それから大学を卒業して、僕は地元で就職し、ケンちゃんには全く会わなくなりました。ケンちゃんの話も消息も全く聞くことはなくなりました。1998年ごろのことです。

それから、僕は日本語教師としてタイのバンコクに行きました。それは2003年のこと。もうすっかりケンちゃんのことは忘れていました。2005年にHの結婚式がインドネシアのバリ島でありましたが、ケンちゃんのことは話題にも出ませんでした。

どうしても体が重かった2006年6月のあの晩の翌朝、日本にいるHから連絡がありました。

ケンちゃんがビルから飛び降り、命を絶ったと。

それはケンちゃんが31歳になる誕生日の直前だったとのこと。メジャーデビューできなかったケンちゃんは、あの頃Hに言っていた通り、自分で自分の人生の幕を引きました。

当時、タイのバンコクで月給7万円ほどのその日暮らしを楽しく送っていた30歳の僕は、どんなことをしても「とりあえず」生きていけるのに、ケンちゃんはなんでそんな極端な手段を選ばなければならなかったのだろうかと思いました。

その半年後、僕は31歳になり、それから毎年1つずつ年を取っています。でも、メジャーデビューできなかったケンちゃんは、今でもずっと30歳のままです。それ以来、毎年誕生日が来る頃になるとケンちゃんのことを思い出します。

今日、僕は39歳になりました。

僕はケンちゃんほど自分の人生に真剣に取り組んでいるだろうかと。バンコク時代から相変わらず「とりあえず」生きている僕をケンちゃんは、どんなふうに眺めているだろうかと。

あの日、終電間近の電車の中でだまって笑っていたケンちゃんのちょっと寂しそうな笑顔を今年もまた思い出しています。

人生を不真面目に「とりあえず」生きている僕はたぶん、とーっても長生きするでしょう。そして、これからも誕生日の頃にはケンちゃんのことを思い出し続けるのだと思います。

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