アメリカの大学を辞め、20歳の青年がたった4万円で東京にやって来て、どん底から這い上がっていく話③
4ヶ月ぶりのアメリカ。
って言っても、16時間で着いちゃった。
24時間あれば、世界中どこでも行けそうだね。
便利な時代だ。
アメリカに戻った俺は、日本語を教えるというバイトをやり始めた。
バイトをしながら、空いた時間で情報を求め、インターネットで色んなことを調べていた。
終わったら授業へ。
それから身体を鍛え、バスケをするという毎日。
何一つとして、不自由のない日々。
更に香港人の彼女もできた。
幸先良し。笑
そんなある日。
母からSkypeがかかってきた。

何も聞いてなかったからビックリ。
手術?


急展開すぎる。
来週って。
1週間後やん。
学校に1週間の休みをとる旨を伝え、いざ日本へ戻る。
が、しかし急すぎたこともあって、大阪直通がない。
一旦東京で、そこから夜行バスで大阪に。
大阪に戻って、病院へ。
変わらない顔がそこにはあった。

元気そう。
少しホッとした。
たわいもない話ばかり。
笑顔がこぼれる。

身近な人が手術を受けるのは初めての俺にとって、それは不安を和らいでくれる言葉だった。
手術の内容も一通り聞き終わり、

手術室へと母は運ばれていった。
そして、手術が始まった。
。。。
30分程経ったくらいの頃だろうか。
看護婦さんに別室に呼ばれた。
そこには主治医の人も立っていた。
そこには摘出されたと思われるものが2つ置かれていた。

片っ方は2cmあるかないかに対して、もう一方は10倍くらいの大きさがある。
とても同じものには見えない。
そして、主治医の口から思ってもみない言葉が飛んできた。


それからその手術内容を聞かされた。
お腹の横から少し左右に小さな穴をあけると言ってたところから、大幅な変更。
お腹を切って摘出したと後から聞かされたのだ。
少し説明があったが、よく分からない。
そして。。手術が終わった。

主治医のところに呼ばれる。

手術で何が起こったかの全体像を聞かされた。
そして、
これから主治医が言った言葉を、
そして光景を、
俺は今でも鮮明に覚えている。


サラッと言われて、思わず言葉を失う。
思考がついていかない。

虫垂癌の説明をされる。
しかし、
聞いている途中で衝撃的な事実に氣付いた。
主治医の目がよくチラチラ、パソコンの方を見ているのだ。
目が点になった。
この人。。虫垂癌のこと全然知らないんだ。

2013年2月末のことだった。
著者の西澤 良磨さんに人生相談を申込む
著者の西澤 良磨さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます