【Part 9】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~精神病棟へ入院編②~
~退院までの道のり~
・午前中に泣いて、午後笑う人々。
・なぜ入院しているのかわからない人多数。
・帰ることのできる家がある事が、退院の第一条件。
・品行方正の入院生活
・熱い男、「サカツメ」くん。
・マシンガントーク「オシミ」さん。
・バカな考えは捨てろ「ヒラハラ」さん。
・ジェネレーションギャップを捨てなさい。「お姉さま」方。
・一家に一台「タカミアミ」
・ヒサコおばあちゃんのジェラシー
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・午前中に泣いて、午後笑う人々。
若い女の子が泣いている。日常茶飯事すぎて、もしくは、あえて、愛情を持って理由を聞かない姿勢もある。
しかし、ある時が我慢ならず聞いてみた。
しかし、そんな女の子も、午後には笑っている。ここでは、情緒不安定なのが、安定の証拠なのだ。その子も含め、なぜ入院しているのかわからない人多数いる。
一般的に、精神病棟と言うものは、誰かれ構わず奇声をあげ、暴れまわる病棟だと思われるかもしれない。そういった科もあることにはある。しかし、家に帰る事が出来ない事情があり、仕方なく入院している人も、多数いることを知っておいてもらいたい。
・帰ることのできる家がある事が、退院の第一条件。
自分の中で、「天丼君」と名付けて言う男の子がいる。その彼が、自分より早く退院する事になった。
原因は、引き取り手のお姉さんが見つかったとのことだった。
そうか。帰る事が出来る家、環境があれば、あとは、自分の体調次第なんだと気付かされた。
ちなみに、「天丼君」の名前の由来は、昼ごはんのメニューで天丼が出たときに、誰かれ構わず、「天丼!!天丼!!」と叫んでいたからだ。
「今日、天丼ですね!!」
と、どんだけ、天丼楽しみにしてんだよ!と、突っ込みたくなる、忘れ得ぬ人だった。
そういった、忘れ得ぬ人々が、たくさん居た4カ月と10日の入院生活だった。
・品行方正の入院生活
帰る家、帰る環境、あとは、自分次第。暴れない。それが一番大事だと気付いた自分は、品行方正の入院生活を送る事になる。ヘルパーさん(看護士さんではなく、看護士のサポートをする人)が困っていれば、手を差し伸べていたし、風呂に入る時は、いの一番で風呂から出て、ゆっくりと、しかし着実に病院の服(その当時は、「唐衣・からころも」と言うのが流行っていた)を着こなし、颯爽とドライヤーで髪を乾かし、母親からもらったジュースを一本飲む事が、慣習となって行った。
しかし、そんな自分でも、一度、ブチギレてしまった事がある。入院中にもかかわらず。
それは、朝の情報番組で、「突然死」を扱った時間、隣で座っていた50代ぐらいの女性が、
と、口走った。
自分は、怒り狂った。
多分、子どもが生まれても、同じことを言うと思う。
「自分で自分を殺める行為」
ほど、自分は激怒する事はないと思う。
その後、赤羽先生にもなだめられ、逝きたいと口走った人も、「申し訳なかった」と、詫びを入れてもらった。
・熱い男、「サカツメ」くん。
部屋が隣通しだった、サカツメくんは、一人でぶつぶつ言う事が多かった。しかし、芸能に詳しく、ダウンタウンのごっつええ感じが終わった理由から、「VISUALBUM」が、全て即興劇であることを知っていて、とても博識なんだと思った。
ある時、看護士の男の人と会話をしていると、
「自分も、そろそろ年だし、お母さんやお父さんを安心させたい」
と言っていて、胸が熱くなった。
退院間際の五月、話す機会があった。
サカツメくんは、頑張ってるよ。自分も、負けないぐらい、頑張らないと、と言うと、励ましてくれた。自分はなぜか、涙を流していた。
心が洗われていくようだった。
・マシンガントーク「オシミ」さん。
一番仲が良かった入院患者さんと言えば、この人、マシンガントークの「オシミ」さんだ。
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