天と地の間に生きて*現実とスピリチュアルというふたつの世界を生きていく苦しみと喜び【1】
自分が見ている世界、聞いている世界が、みんなと違うなんて・・・。
なんとなく、それが違うんだってわかった時、
私は、この世界にいる自分を
どうしていいのかわからななくなった。
私はなぜ、ここにいるんだろう・・・と、いつも思っていたように思う。
ひとりぼっちで、さみしかった。
目を閉じて、耳を塞ぎたかった。
実際、小さいころの私は、モノモライと中耳炎のオンパレードだった。
やがて私は、自分からは話さなくなっていった。貝のように閉じてしまった。
私は、聞く人になった。そして、聞いたことを、ひたすらつなぎあわせていた。
わからないことだらけだったけど・・・。
始まりも終わりもない物語のように、ただただつなぎあわせていた。
そうすることで、この世界に自分をつなぎとめていようとしていたのかもしれない・・・。
ふたつの世界を同時に生きて苦しかった幼少期
小さいころから、見えない誰かとおしゃべりしたり、
人や物の周りにゆれている光や色を見たり、
風の中の光の粒子を追いかけたり、
植物と話をしたり・・・
そんな不思議ちゃんだった私は、
ある時、自分の生きている世界が、みんなと違うことを知る。
たぶん、小学校の1年生ごろだったと思う。
とか言っても 友だちには、全然通じない。
通学途中に、人と話はできなくても
木々や草花と友だちのように話す。
友だちのことで思い出すのは、この言葉だけ。
毎日、呪文のように言われていた。
友だちや学校の先生が話すことと、自分の目の前の世界が
咬み合わないことは、山ほどあった。
朝起きてから夜寝るまで、言葉の通じない、文化も違う、異国の国に
ひとりぼっちで 生きているような感じだった。
怖いくらい ひとりぼっちだった。
思い出せば、あんなに孤独で、よく生きていたと思う。
子どもなので、死ぬすべなどわかるはずがない。
生きるしかなかったのだと思う。
そして
毎日孤独で、悲しい思いをしても、それを帳消しにしてくれるものがあった。
それがあったから、壊れないで、生きていられたのかもしれない。
それは
自分を取り巻く、美しい世界。
木々や草花など、自然の植物は透き通っていて、とても綺麗だった。
川や、時折家族でいく、海の水も、キラキラキラキラしていて、本当に美しかった。
その自然が、いつも私を、癒してくれた。
だから、学校帰りには、河原にいくのが好きだった。
家に帰ると、まず庭に出て遊び、遊び疲れると、樹の根元で寝て
パワーを充電していた。
あの自然との関わりがあったから、
自然のパワーが、
人々のエネルギーの、何百倍、何千倍もすごかったから、
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