天と地の間を生きて*現実とスピリチュアルというふたつの世界を生きていく苦しみと喜び【2】

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それは、忘れもしない小学校3年生の夏の日だった。


学校の教室の、黒板の前にいる先生が、竹刀のようなもので


バーン!と教卓を叩いた。


ものすごい音だった。 私には、そう聞こえた。


そして、その瞬間、私の視界は、すっかり変わってしまった。


その瞬間のことを、私は、今でも鮮明に覚えている。





物たちは、くっきりと見えるようになった。


だけどそれは、不透明絵の具で描かれた絵のようにとまっていた。


クレヨンで描かれた絵のように、固まっていた。







その時から私は、先生や友だちたちの声がはっきりと聞こえるようになった。


まるで、耳栓を取った時のように、声が耳の中へ流れ込んできた。





だけど、私を包んでくれていた光の世界は、私のそばからいなくなった。


それは、服をきていても、何も着ていないような感覚だった。


私を包んでくれていた世界が、どこか遠くにいってしまった感覚だ。



ひとりぼっちだった。



私は、いままでとはちがったものを見ることができるようになって、


いままでとはちがったものを聞けるようになったけれど、


たくさんの、大切なものを失ったように感じていた。









私は、泣いた。


誰かが亡くなった時のように、深い悲しみの涙をこぼし、たぶん何時間も泣いていたと思う。


その日は、母が学校へ迎えにきた。


私は、何を言われても、泣き止むことがなかったらしい。




私は、私の中に生きていたと思う。


あまりにも、辛い世界の中にいて、そうするしかなかったんだと思う。


時折、草花や木々の精と交信して、エネルギーをもらっていたのに・・・


その美しい世界に、いきなりベールがかかってしまった。


大人の言葉でいえば、私は失望のどん底にいた。




今考えれば、両親や森羅万象のエナジーの保護から出て


やっと自分という人間として、外の世界を、歩き出したのかもしれない。


もしかしたら、私はこの時、ルビコン川を渡ったのかもしれない。


突然すぎたかもしれないけれど、何かの大きな力が働いて、渡らされたのかもしれない。


このことがなかったら、たぶん私は、


ずっと自分の中だけをみて、自分の中の世界にだけ生きていたように思う。




目の前の景色は、変わってしまったけれど


いろんなことが、重なりあって、何かがいつも、私を守ってくれていたように思う。


このころ私は、音楽という世界の中で、


今まで感じたことのない、心からの喜びを感じることができるようになっていた。


喜びに対する、初めての経験だったと思う。





ピアノを習っていた私は、ピアノを弾くことがとても好きだった。


練習をするのではなく、自分で好きな音をひろって、


いつまでも、いつまでも、好きなように弾きつづけた。


その時間だけが、私が私でいられるような気がしていた。


幸せな時間だった。


そして、その時だけは、


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