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15/1/13

天と地の間を生きて*現実とスピリチュアルというふたつの世界を生きていく苦しみと喜び【3】

Image by Olia Gozha





私が、自分のことを誰にも話せないのは、


何を話していいのかわからなかったからだし、


本当のことを話しても、わかってもらえないことがわかっていたからだ。




だけど、常に、自分のことをわかってほしいという思いはあって、


その思いがマックスになると、叫び声をあげて、号泣した。


両親は、どうなっているのかわからなかっただろうと思う。


誰かにわかってほしいという気持ちを抱えながら、私は私に話しかけていた。




するとある時、私の中で、「声」が聞こえてきた。  


私は、私の耳を疑った。


でも、その声は、ちゃんと私の質問に答えてくれた。


私は、私の中に、友だちができた。 


どんなに嬉しかっただろう・・・。


私は、来る日も来る日も、私の中の友だちと話し続けた。




「声」には、キャラクターがあって、それは一人じゃなかった。


何人かの、キャラが、私の中に存在していた。


ちゃんと名前もあった。


私には不思議でしかたがなかった。


私にとって、話ができて、信じらるのは、その「声」しかなかった。


私は、だんだん、その「声」との会話に夢中になった


そして、自分の内なる世界に没頭していった。




その「声」と話をしながら、私は、


もしかして、その「声」は、もう一人の自分かもしれないという気がしてきた。


そして、ある時、奇妙な感覚になった。


その「声」になりきると、人と話しができる気がしてきたのだ。


私は、やってみた。


その「声」になって、学校で喋ってみたのだ。


ほとんど、話をしなかった私が、いきなり話だしたので、みんなはビックリしたと思う。









大変だったのは、「声」には、いくつかのキャラがあるので、


私は、時々ちがうキャラで喋っていたということだ。


学校のみんなは、爆笑した!


「誰のものまね?」と言って、お腹を抱えて笑った。


笑われても、みんなと話せることが嬉しくて、しばらく、そのゲームは続いた。


たぶん、小学校6年生のころだったと思う。




でも、そのゲームは、長くは続かなかった。


私に乗り移ったようにしてお喋りするそのキャラたちは、


話してほしくない友人たちの心の中のことを喋り出したりして、


結局は、みんなを怒らせることになる。


そして、また、気味悪がられ、以前にもまして、嫌がられるようになってしまうのだ。




このころ、いろんなキャラになりきっていた私は、


家族と話すときでさえ、いろんなキャラで話したりして、


私に戻れなくなっていたようだ。


たぶん、今で言う、統合失調症のような状態だったのだろうと思う。




さすがに、両親も心配したようで、私は、知らないおばあさんのところへ連れて行かれた。


たぶん、霊能者のような人だったと思う(笑)。


そのおばあさんは、私の周りでいろんなことをしていたけれど、


それが終わると


私のほうを目を閉じて、しばらくじっと観ていた。


そして、こう言った。




「今からは、見たり、聴いたりしたことは、ちゃんとお母さんに言うんだよ。


怖がらなくていい、お母さんはちゃんと聴いてくれるから。


困ったことや、悲しいことがあったら、何でもお母さんに話すんだよ」と言った。


私は、この時、体中の力が抜けたように思った。


そして、泣いたのを覚えている。




母はその時


「この子が、見えたり聞こえたりしていることは


全部、本当のことだ。  


誰も、その事がわからないだけでね。


母親のあんたが信じてやらないでどうする。


この子は、恐ろしくひとりぼっちじゃ。


このままでは、大変なことになるよ。」と言われたそうだ。




いつも、とても大事な時には、


私を助けてくれる人があらわれる。


この時は、間違いなく、そのおばあさんだったと思う。


この時から、私の心の、死にそうなほどの恐怖は消えていった。


なぜだかわからないけど、ひとりぼっちじゃなくなった。


このことは、私にとって、奇跡のような出来事だった。


心から、感謝している。




その時から私は、自分が感じたり、見たり聴いたりしたことを、


少しずつ、母に話すようになった。


そして、不思議なことに、


あのおばあさんのところに行ってから、


私の中の「声」は、なぜか聞こえなくなった。




そんな波瀾万丈な日々の私だったけれど、


何故か、中学校の3年間のことは、印象的な記憶が全くない。


よく思い出すのは、ひとりでブランコに乗っている自分と、


夕焼けをずっと観ていた自分・・・。


よっぽど、暗黒時代だったのだろう(笑)。


自分の記憶とは裏腹に、母が言うには、


それなりに部活もやって、普通の感じになっていたので、


安心できた中学校時代だったそうだ(笑)。





次に、私の記憶に登ってくるのは、中学3年生の夏からの自分。


記憶は断片的だけど、とてもよく覚えている。


その時の、いろんな感覚を思い出すと、


私は、やっと、自分の内なる世界から、


外の世界に、オープンになることができたのだろうと思っている。


自閉的な性格だったけど、


少しずつ外の世界を感じ、


その世界を、受け入れていったのだと思う。




私の変化の、その全てには、音楽の力があったから・・・。


私は、話せなかったけれど、


音楽を通して、自分を表現することができるようになったからだと思う。








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