アホの力 2-3.アホ、はしゃぐ
2-3.アホ、はしゃぐ
『まちなかひろばに、変な奴がいる』
という噂は、徐々に広がって行っていた。
Hさんを始めとするまちなかひろばの幹部を訪ねてきて、幹部から紹介された私とも、ついでに話をしていったという人が、徐々に噂を広めたのだ。
地元の有力者や、市役所職員などにも、少しずつ知り合いが増えて行った。
地元新聞やTV 局の取材を、初めて受けたのもこの頃だった。まちなかひろばの活動に、TV局が注目していたのだ。それだけまちなかひろばという場所は、注目されていた。
だが、当時の私には、想いはあっても、それをどういった具合に南相馬の街づくりに活かしていったら良いのか、スキルも手段も無かった。
想いを言葉にする方法すら、よく分からなかった。
分かっていたのは、
“南相馬が好きで、みんなの仲間に入りたい!”
という事だけだった。
仲間に入りたいと言っても、どの仲間に入りたいのかすら分からない始末(笑)。
要するに『ダメダメ』だった訳である。
しかしそんな私にとって、まちなかひろばという場所は最適な場だったのだ。
市民活動の先輩方だいる。その先輩方を訪ねて、有名な市民活動かがやってきたり、東京からコンサルタントがやってきたりするのだから。
私のようなアホが学ぶには最高の『実学』の場という訳である。
そしてある日、Hさんがある場へ私を紹介してくれた。
その頃、南相馬の市民活動の中で、それまでとは全く違う、新しい試みが始まっていた。
震災以降南相馬では、復興活動を目的とした市民団体が、たくさん立ち上がっていた。もともと存在した様々なコミュニティーを母体とし、小さな規模で団体を作って活動していたのだ。
一説によると、南相馬市全体で、200ほどの団体が立ち上がったそうである。そうした団体が、てんでばらばらに活動していたのである。
そんな中で、2011年の11月に、ある人が声をかけた。
『震災からもう半年以上経つし、そろそろ現状復旧以外の、街の未来の事も話そう!』
活動をしている人が集まって、街の未来に向けた、楽しい話もしようぜというのだ。
Hさんが私を連れて行ってくれたのが、まさにその場だった。
名付けて『南相馬ダイアログ』
ダイアログとは、『対話』という意味である。市民有志が集まる『対話の場』だ。
その『南相馬ダイアログ』のミーティングがあるというので、11月のある日そこに参加してみた。スタートしてから2回目のミーティングだったらしい。
そしたら…いるわいるわアホどもが!
20人程の老若男女が集まって、新しい南相馬について、暑苦しく、しかも楽しげに話している!
『うひょ!何か楽しいぞ!?』
『でも、この人たち、俺の事知らんよな?俺もこの人たちの事、よく知らんし(笑)。』
『まぁいっか~楽しいし!』
その時のミーティングでは、南相馬市民を大勢集めて、『フェスティバル』を行おうという事が決まった。全体会とテーマごとの分科会を開いて、新しい街づくりを市民全体で共有する為の催しだ。
これは、それまでの南相馬では、起こった事の無い新しい試みだった。
『楽しむ』『つながる』『育む』『暮らす』『食べる』という大きなテーマを設け、そのテーマごとに班を設定し、興味のあるテーマの班に加わって、『フェスティバル』においてそれぞれが分科会を開催し、研究した成果を発表したり、その題材に沿った『対話』を、参加してくれた一般市民と行うのである。
しかも、南相馬市民文化会館『ゆめはっと(以下ゆめはっとと呼びます)』全館を、2日間も借り切って!
うぇぇぇぇぇぇっ!
そんな事しちゃっていいの?
そういうのって、国や県や市町村や、どっかの大学か何かが主催でやるモンなんじゃないの???
一般市民でも、そんな事出来るモンなの?
しかも…そこにアホ&能無しで鳴らした私が、運営側で入っちゃっていいの?
好き勝手言っちゃうんだけど(笑)???
とはいうものの、運営側の参加者に、そういうお堅い立場の人は誰もいないらしい。
そこにいた人たちと喋ってみると、そのミーティングに参加していた人の大半は、震災前は市民活動には無縁だった。
『南相馬ダイアログ』に参加した理由は、それぞれ少し違っていた。
自分の想いをとにかく訴えたい人。
想いを同じくする人と繋がりたい人。
仲間が参加するから、一緒に参加したという人。
私の場合はどうだったか…?
今にして思えば、上に挙げた理由すべてが当てはまってたと思うが、その時は『何かオモロそうだったから』参加を決めた感じだった(笑)。
それまでに南相馬市社会福祉協議会と繋がって活動していたことを踏まえ、『つながる』チームに加わった。そしてそこで、一般市民と公的団体(市役所や社会福祉協議会など)との繋がりの大切さを、サブテーマに設定させてもらい、分科会を開く事になった。
それにしても…参加してるみんな、何か楽しそうだ。
でも、間違いなく言えるのは、その場の空気を一番楽しんでいたのは、私だって事(笑)。
地元の人と一緒にフレンドリーに話が出来て、一緒に何かを行えるのが、とにかく嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。
旗から見れば、子どもがはしゃいでたのと同様に見えたに違いない。
『楽しんで良い』状況なのか…震災後なのに…そんな事は、アホ故に考えられなかったのかもしれない(笑)。
少なくともその場には、私がはしゃぐのを抑えようとするマイナスのエネルギーはほとんど無かった。
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