アホの力 2-2.アホ、加わる
コミュニティカフェとしての活動は、11月から始まる事になっていた。
場所は『まちなかひろば』内にある『市民市場』というスーパーの中の1スペースである。
『まちなかひろば』は、小さな飲食店や小規模なスーパーといったチャレンジショップが店を構える、南相馬市が運営する場所で、屋台村もあったりする。原町区の駅前、中心市街地の中にあり、市民のアクセスもとても良い。
先述のHさんと、『市民広場』の社長、チャレンジショップの店舗の一つである印刷屋さんの社長の3人が、『まちなかひろば』の立ち上げから関わっている、実質的な感じとして『まちなかひろば』を運営していた。
そこに『加えてもらう』事になったのだ。
『市民市場』の内部には、元々休憩コーナーがあって、そこには丸テーブルが3つほど置かれていた。その休憩コーナーは、広さにして畳40畳分くらいは有ろうかという、なかなか大きなスペースだ。
んでもってそこで言われた。
『さぁ!ここで無料のコーヒーサービスをしながら、色々やって良いぞ!好きな事やってくれ!』
マジか…どうしよう?何したらいいんだ?
まっっっっっっっったく分からなかった。
けど…取りあえず…屋号くらいは決めないと。
という訳で
『コミュニティカフェ べんりDaDo』
という名前にしてみた(笑)。
・人々が集まって、便利に場を利用して欲しい
・私を便利に使って欲しい
・便利な情報を発信したい
こうした事が出来る場所という意味を込めて『便利だよ』という言葉を相馬弁にしてみて、一部をオシャレにアルファベットにしたのだ(笑)。
でも…依然として、何をしたらいいのか分からない。
何となくコンセプトがあるだけである。
そんな中、もう一つ重大な事に気付いてしまった。
『そういえば俺…この街の事よく知らねえ!』
『街の人も俺の事…全然知らねえ!』
当たり前だ…。
気付くのが遅いというか何と言うか…。『軍曹』と言う通り名を頂いた事は前に話したが、街に根差して活動出来るほどの有名人(笑)では無かった。地元の方々からすれば、“どこぞの馬の骨ともわからない怪しいおっさんが、いきなり『まちなかひろば』でコーヒーを入れ始めた”といった認識だったはず。
だが、実は『まちなかひろば』という場所は、震災前から、南相馬の街づくりに関する活動を行っていた場所だったのだ。
店舗前のスペースを使って、季節ごとに祭を開催したり、近くの里山で、自然と触れ合う体験型の公園を開いたりといった、街づくりに関する様々な『実験』を行ってきたのだ。
『市民市場』は、震災後に、南相馬市内で最も早い時期にオープンしたスーパーだったし、屋台村の店舗も、私が来る前に既に営業を再開していた。
何かを始める前に、もうそこは人々が集う『場』だったのだ。
じゃあそこに足りないものは何か…それは、『私の中身』だ。
より深く街を知り、人を知り、人々の心を知る事で『私の中身』は出来上がる。
先ずは最初のひと月半、毎日仮設住宅を訪問した。南相馬市社会福祉協議会にお願いし、市内に30か所ある仮設住宅全てを訪問した。そこで開かれているサロン(交流会)に参加し、とにかく話を聞いて回った。
だが、そこでも気付くのである。
初めは、仮設住宅にお住いの方々の『被災者』の声を聞き、『出来る事』を考えるつもりだった。
けど、いつの間にか私は、そこに集う地元のお年寄との交流を楽しみ、そこから人と関わる温かみを得ていたのだ。
『支援者』として私はそこにいるのではない。
仲間に『加えて』もらっているのだ。
サロンに参加していたお年寄りは、私が移住したという話をすると、本当に喜んでくれた。
『ありがとう』と言ってくれた。
単なる『思い込み』『勘違い』でやって来た私に…である。
まだ何もしてないのに。
そこで気づいた。
“大事なのは、『何をするか』『何をあげるか』ではない。『どう付き合うか』『どうやって仲良くなるか』なのだ”
と。
もちろん、『何をやるか』も重要だ。必要とされていない事をしても、邪魔になるだけ。
だが、『どう付き合うか』『どう仲良くなるか』を突き詰めていけば、必要とされていない押しつけ的な『支援』など、やろうとも思わなくなる。
そして、そこで得た想いを発信していくと、そこに共鳴してくれる人が徐々に集まってきた。
私はそうした人たちを、ある時は仮設住宅のサロンに連れて行き、ある時はまちなかひろばの『べんりDaDo』の中で、イベントやワークショップを開催した。
私自身は何もしていない。
『支援したい』という想いを持ってきた人を、その『支援』という想いを『交流』という新たなエネルギーに昇華して、市民と触れ合ってもらうように促したのだ。
そうする事で、市外から志を持ってやって来た方々と南相馬市民が一緒に、心と体を満足させる事が出来るのだ。
『べんりDaDo』では、毎日イベントを行っていた訳では無い。
基本的に、何もしない日の方が圧倒的に多かった。
『市民広場』に買い物に来たお客さんを相手にコーヒーを入れ、お話を聞き…といった活動をしていた。
そうした活動の話が徐々に広がって、少しずつ訪ねてくれる人も増えてきた。
遠くの仮設住宅から、わざわざコーヒーを飲みに来てくれる人も出てきた。
何とも嬉しい事である。
地方というのは、良くも悪くも『ムラ意識』が強く、他の地域からやって来た人を『よそ者』と呼び、なかなか仲間として迎え入れない傾向がある。
埼玉のベッドタウン生まれの私には『地元』『よそ者』という感覚は、理解出来なかった。
この頃の私は、全くのよそ者だった。だが、当時の南相馬は、よそ者に対して寛容だった。
地元のある人が言った。
『この地域は、相馬武士の気風が未だ息づいている。義の心には礼を尽くすのが、相馬武士の気風なのだ』
と。
『義の心』ではなく『アホの心』一つで南相馬に移住した私だったが、この頃から、歴史と伝統に育まれた、南相馬を始めとする相双地域に、憧れを抱くようになっていた。
そして思った。
『本当の意味で、地元の仲間に加わりたい』
と。
元々『まちなかひろば』が、震災前から市民活動の場になっていたとは先に書いたが、そんな関係もあって、街づくりのキーパーソン的な人がちょこちょことやってくる。
そしてそんなつながりが、新たな爆発力を生みだす事になっていく。
著者の戸田 光司さんに人生相談を申込む
著者の戸田 光司さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます