ダイアログインタビュー ~市井の人~ 岩井哲也さん 「エネルギーと恩のやり取り」 1

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~岩井哲也さんダイアログインタビュー~

インタビュー日時:2016年10月11日 15時30分~17時30分

インタビュー場所:南相馬市立図書館内 喫茶『Beans』

天気:金木犀の香り漂う晴天

 

 

 岩井さんは、鹿島区の国道6号線沿いにある「みそ漬処 香の蔵」という漬物店の店長さんだ。私は岩井さんの事を、日頃親しみを込めて「店長」と呼ばせてもらっている。

 この「みそ漬処 香の蔵」という漬物店、ただの漬物店じゃない。まずはラインナップされている商品の種類の多さに驚かされる。そしてそれに加え、どんどん新しい商品が売り出されている。しかもどの商品もとても美味しい!いつ行っても、何を買おうか迷ってしまうほどだ。だけどここの店では、好きなだけ悩む事が出来る。何故なら、試食品がずらりと並んでいるテーブル席があり、そこでお茶を飲みながらゆっくりと品定めが出来るからなのだ!何だろうかこの「ホスピタリティにあふれた至れり尽くせりなシステム」は!

 漬物店と併設してジェラートの販売も行っており、さらに、まるで博物館のような甲冑の展示コーナーもある。それら全てを、お茶と漬物の試食を頂きながら楽しめるという、只者では無い漬物店なのだ。

 一つの店舗に色々な要素を盛り込もうとすれば、ともすればごちゃごちゃした雑多な感じになってしまうものだ。だけどここには、そんな雑多な感じは無い。何でだろう…と、いつも思っていた。その理由は、お店で働いているスタッフの皆さんによるような気がしていたので、このインタビューでその辺りの謎が解けるかも知れない。「謎が解ければ良いなぁ」などという事を考えながらインタビューを始めたのだった。

 

◎地域に根差す

 

 戸田(私。以下戸田):今日はお時間を頂き、有難うございます。まずは形式的な話から。お名前とお勤め先をお願いします。

 

 岩井哲也さん(以下岩井):はい。名前は岩井哲也(いわいてつや)と申します。勤務先は、鹿島区の(株)菅野漬物食品(以下「菅野漬物」と記す)でございます。

 

戸田:え~と「みそ漬処 香の蔵」という屋号のお店がありますが、これは菅野漬物さんの販売店になるんですかね?

 

岩井:そうです。正式な会社名で言うと「㈱菅野漬物食品」という漬物作りのメーカー業なんです。昭和15年創業で、漬物一筋で商売しています。会社の商標登録としては「タマゴヤ」という商標を持っていましてね。何で「タマゴヤ」なのかというと、戦前は卵を扱っていたらしいんです。鶏卵ですね。当時、卵を籠か何かに入れて売り歩くようなスタイルで営業してまして、「卵屋さん卵屋さん!」なんて呼び止められていたそうで、それをそのまま商標登録して「タマゴヤ」としたそうです。そしてその次に、福島県から委託されて海水から塩を作る事業をしまして、そのうちその塩から梅干し作りを始めるんです。

 

戸田:そこから漬物の事業が始まるんですね。

 

岩井:はい。そうして作った梅干を、海軍に納めたりしていたんです。その頃は海軍に納めたはずの梅干しが海にぷかぷか浮いてたなんて事もあったらしいです。船が沈められたんだか座礁したんだかは分かりませんが。そんなものを見つけた時は「あれ?これ海軍に納めた梅干だべした」みたいな話をしたなんて事もあったらしいです(苦笑)。

 

戸田:ちょっと悲しい話ですねそれ(苦笑)。

 

岩井:そうして梅干やっててそこから漬物を本業として本腰を入れていったんですね。

 

戸田:工場は鹿島区の小池ですか?

 

岩井:小池にあるのは倉庫なんです。工場は町ウチ(この地域では、中心市街地を指してこう呼ぶ)にあります。本社と工場がくっついてるんですけどね。

 

戸田:創業は戦前なんですね。

 

岩井:そうなんです。でも今、漬物がだんだん食べられなくなってきてるんですよね。昔は、ご飯に味噌汁にメザシに漬物みたいな食事が一般的で、ご飯と漬物はセットみたいなもんだったじゃないですか。でもだんだんと…朝はパンにコーヒー、昼はお蕎麦かスパゲッティかラーメン、夜はハンバーグかカレーか…みたいな感じに食生活が変わってきちゃってるでしょ。そうすると漬物が入る隙間が無いんですね。せいぜいカレーに福神漬けかラッキョウが加わるかどうかみたいな話で。一日の食費のうちの、本当にわずかなパーセンテージしか漬物に割いてもらえなくなってしまったというね。米を食べてるうちはまだ良かったんですけど、だんだんとパンや麺類に食生活が変わってきてるじゃないですか。でもね、それをまた「漬物を食べて下さい!という風に戻そう」なんて言うつもりはさらさら無いんです。変わってきてるものはしょうがないんで、その食生活に合うものを提案していければ良いなという感じですね。そこで「豆腐のみそ漬」「クリームチーズのみそ漬」「あん肝のみそ漬」「合鴨のみそ漬」といったみそ漬のシリーズに加えて、最近「ゴルゴンゾーラ(チーズ)のみそ漬」や「ほたてのみそ漬」なども発売しまして、お陰様で非常に受け入れられています。そういうところからも、進んでる方向性は間違ってないかなという感じは凄くしています。

 

冒頭に書いた通り、「みそ漬処 香の蔵」では、新商品がどんどん発売されている。その中には、伝統的な漬物の枠にとらわれていない、岩井さんの言う「食生活の変化に見合う商品の提案」という性格の強い商品もある。屋号に「みそ漬処」という言葉が付いている事からも分かる通り、香の蔵の商品には「みそ漬」の数が多い。中でも特に人気なのが「豆腐のみそ漬」や「チーズのみそ漬」といった、一見変り種なのだが、食してみるとビールにも日本酒にもワインにもよく合う、つまみにぴったりなシリーズだ。これらは店頭販売のみならず、ネット通販で全国から注文があるし、岩井さんが全国で行っている物産展での出張販売でも人気を博している。

新商品の提案だけではない。冒頭に書いたが、「みそ漬処 香の蔵」ではジェラートの販売や甲冑の展示まで行っている。そうした漬物以外のサービスや豊富な試食品をお茶を飲みながら楽しめるスタイルは、漬物屋の新しいスタイルと言えるだろう。ロードサイドに広い駐車場を備えたそのお店は、「どうぞゆっくり楽しんでいって!」という雰囲気がとてもよく出ている。スーパーマーケットには出せない雰囲気だ。

 

 

戸田:この間食べましたけど、「ほたてのみそ漬け」美味いっすね!気に入っちゃった(笑)。関東から来た私からすると、ロードサイドにどーんとお店を出してる「みそ漬処 香の蔵」を見た時、結構びっくりしたんですよ「漬物屋さんがこの規模で出店してるのか!」って。

 

岩井:有難うございます(笑)。まだまだ知名度も低いですし、その点これからだなという気はしています。福島市に出張販売に行っても、同じ福島なのに知名度は無いんです。仙台に出たらますます知名度は無いわけですね。だから露出を高めて、口コミもあって、徐々に仙台も福島もリピーターのお客さんが付いてくれて、それが着実に増えてきてます。んで、これを続けていくしか無いかなと思ってます。

 

戸田;私が初めて出会った「みそ漬処 香の蔵」の漬物が「さきいかキムチ(その名の通り、さきいかと一緒に付け込んであるキムチ)」だったんです(笑)。

 

岩井:あはは(笑)有難うございます!「さきいかキムチ」は…来月(このインタビューは2016年10月に行っているので、2016年11月という事)からかな~。ちょっと味が変わります。仙台味噌が入って甘みを少し落として、より美味しく変身します。

 

戸田:あれがね、初めて食べた時、びっくりしたんですよ。「何て酒のアテにぴったりなんだ!」ってね(笑)。

 

岩井:ちびちびやりながらね(笑)。最高ですね!

 

戸田:それに「豆腐のみそ漬」「クリームチーズのみそ漬」でしょ?「漬物にしちゃ変わってるなぁ。でもこれ美味いなぁ!」と思ってました。

 

岩井:お客さんの層も、以前は50代60代70代のお客さんがメインで、ほとんどその層のお客さんしかいなかったんですけど、震災後チーズやあん肝のみそ漬けなんかが主流になってきて、20代30代40代のお客さんが増えてましてね。だから、このままの方向性で商品開発をしていこうというところです。

 

◎材料が無い!

 

戸田:市外から南相馬を訪れた人に「チーズのみそ漬」なんかを勧めると、み~んなリピーターになるんですよ(笑)。私に「通販で売ってないのかしら」なんて聞いてきたり。「売ってますよ」と教えると、家に戻っても取り寄せたりなんかしてるみたいで。そんな様子を見聞きして、「大したもんだな!」なんて感心したりしてました。でも、今となっては名物の「豆腐のみそ漬」も、震災直後は作れなくなった時期もあったんですよね?材料の豆腐の生産が出来なくなったと聞きましたけど。

 

岩井:そうなんですよ。豆腐の生産をお願いしていたのが、小高区にある豆腐屋さんだったんですね。福島県産大豆を100%使って、みそ漬専用に水分を抜いたカチカチの豆腐を作ってもらって、それを使ってみそ漬を作ってたんですけど、その豆腐屋さんが福島第一原発から20㎞圏内に位置していたんで、震災後「豆腐が作れません」という事になったわけです。ウチは営業を再開したわけなんですけど、豆腐が無くてですね。ウチの社長が豆腐屋さんをあちこち駆けずり回って、原町に生産を引き受けてくれるという豆腐屋さんを見つけて「じゃあやってみますか」みたいな感じで試しに作り始まったんです。けど、にがりの入れ具合なんだか、水分の抜き具合なんだか、大豆を宮城産や青森産のものに変えた影響なのか、出来上がりがボソボソになってしまったんです。半年間漬け込むんで、バンバン作らないと品切れになっちゃう。そこで10,000個作ったんですけど、10,000個全部ボソボソなわけです。はて…これどうしようと。そこから豆腐のにがりを調整したり付け込むみそを調整したりしていって、品質もほぼ前のものと同等に戻ったなという頃に、ボソボソの10,000個をぜ~んぶ廃棄して、新たにスタートしたんですね。

 

戸田:それはいつ頃の話なんですか?

 

岩井:さっきも言った通り、半年漬け込むので、新たに売り出せたのが震災1年後くらいかなぁ。いや、1年半後くらいかな。ボソボソのものを廃棄して新商品で復活するまでにはそのくらいかかりました。

 

戸田:そうですか。

 

岩井:んで、その震災の年に、クリームチーズのみそ漬が発売になったんですよ。その頃は震災でお客さんがいなくなってしまって「さて…どうする?」なんて状態の時でしたんで、新商品を考える時間はたっぷりあったんですよ。お客さんもいなくなって、会社もどうなるか分からない時に、新商品と言っても…どんなもんが良いかななんて話し合いをしてて、そこで「クリームチーズは当たっかも知んないよ」なんて事になりまして。実はクリームチーズは震災前にも少し取り扱ってましてね。「じゃあクリームチーズのみそ漬をやってみよう」という事になったんです。んで、震災の年の12月に発売したんですけど、これがガッと凄い勢いで売れましたね!今、年間通して一番売れてるのがあの「クリームチーズのみそ漬」ですね。

 

戸田:その他の普通の漬物も、かなり美味いですけどね。

 

岩井:美味しいんすけど、さっき言ったように、市場が狭まってるんですよね。「漬物いりませ~ん!」って感じになっちゃってるんですね。

 

「食生活の変化」…これは地域性や、ましてや震災の有無にかかわらず、日本全体の「時代の流れ」として起こっていた事だ。恐らく「漬物離れ」は、日本中の漬物屋さんで言われていた事柄だろう。そんな中で「みそ漬処 香の蔵」として、ひいては菅野漬物としての工夫の賜物の一つが、この「豆腐のみそ漬」「クリームチーズのみそ漬」といったシリーズなのだ。工夫が感じられるのは商品ラインナップだけではない。地域の人気を集める場所でもある「みそ漬処 香の蔵」というお店そのものが、工夫の賜物なのだ。

震災で「豆腐のみそ漬」の生産に影響が出たのは痛手だった。その一方で、新たな主力商品「クリームチーズのみそ漬」が誕生したのも、ある意味震災の影響だったのだ。これぞまさに「災い転じて福となす」と言えるかも知れない。

 

 

◎移り住む

 

戸田:岩井さんって、ずっと「みそ漬処 香の蔵」で働いていたわけじゃないんですよね?

 

岩井:そう、私は転職組でしてね。最初の仕事は医薬品卸の商社です。大学を出てそこに就職して、その配属先が当時の原町営業所だったんです。んで、原町で嫁さんを見つけ、結婚をして…え~と10年いましたかねその会社には。病院だとか調剤薬局だとかをくるくる営業して回ってました。

 

戸田:いわゆるMRですか?

 

岩井:MRはメーカーの人(「 Medical Representative=医薬情報担当者」の意)でして、私達はMS(「Marketing Specialist=医薬品卸業者の営業担当者」の意)と呼ばれてました。まぁお医者さん廻りも大変でしたよ(苦笑)。

 

戸田:何となく大変そうな感じはします(笑)。

 

岩井:土日も結構接待に回ったり、ゴルフに釣り、テニス、酒飲みもあったし、結構大変でしたね。やり甲斐もありましたし達成感も味わいましたし、それなりの給料ももらえてましたから、良いなとは思ってましたけど。んで10年目に転勤の話が出てきましてね。転勤となると、当時もう子どもも学校に上がってて友達もいて、簡単に転校というわけにもいかなくてですね。単身赴任するかとも思ったんですけど、踏ん切りつけて辞めちゃいました。

 

戸田:どこに転勤しろという話だったんですか?

 

岩井:郡山です。

 

戸田:浜通りと中通りって、同じ福島なのに全然違いますからね(笑)。気候風土からして全く違うし。

 

岩井:そうですね。

 

戸田:岩井さんって、生まれはどこなんですか?南相馬なんですか?

 

岩井:いや違いますよ。郡山の南にある須賀川市です。

 

戸田:須賀川なんですか。円谷プロの(笑)。

 

岩井:そうですそうです!円谷プロもそうですし、東京オリンピックのマラソンの円谷幸吉もそうですし。あとは有名人は誰がいっかなぁ(笑)。

 

戸田:そうですかぁ。

 

岩井:だから、郡山への転勤の話が出た時、結婚してなかったら喜んで郡山に行ったでしょうね(笑)。故郷のそばだし。

 

戸田:でしょうね(笑)。

 

岩井:単身赴任では大変だなと思ったんで、辞めちゃいましたね。でも、辞めて良かったというか…今はまた良い感じですよ。

 

戸田:私はてっきり、ここの生まれなんだと思ってました。この街にすっかり馴染んでる感じですもんね(笑)。

 

岩井:よそ者なんです(笑)。原町は結構よそ者を受け入れてくれるんですよ。どっちかっつーと、相馬はちょっと受け入れられにくい感じはありますね。ガチガチに受け入れられないわけじゃないですけど、何とな~くそんな感じはありますね。あと、会津もよそ者は受け入れられにくいですね。

 

戸田:何でなんですかね。そういえば、埼玉の川越もそんな感じはありました。一時期私、川越に住んでたんですけど。

 

岩井:という事は、お城があった街はそんな感じなんすかねぇ。その三つの街の共通点はお城ですよ(笑)。

 

戸田:かも知れませんね。

 

思うに、江戸時代の城下町は、見知らぬ人が街にいたら警戒したのかも知れない。何と言っても、お城には殿様がいるわけで。となると、他国からの見知らぬ流れ者は敵の可能性もあるし、警戒したのだろう。城下町は道路の敷き方からして警戒に警戒を重ねた造りだったくらいだし、文化としてそういう雰囲気が残っていても不思議は無い。

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