世界は苛立ちに満ちているのかもしれないという話の続きの続き
フランスの雑誌社に対しての襲撃事件をきっかけにこれまで2回にわたり「世界が抱えこむ苛立ち」について考えてきた。
欧米が抱えるイスラム社会への苛立ちや暴力、それに対するあの兄弟(一体、彼らを何者だと考えればよいのだろうか?フランス人?イスラム教徒?原理主義者?ジハーディスト?)の苛立ちと暴力、そして日本社会に充満する苛立ちついて考えた。
グローバル社会におけるさまざまな格差から分泌される閉塞感と拠るべき価値観の崩壊がこの苛立ちの熱源だろう。しかし、同時に現実として存在しているシステムそのものに怨嗟のまなざしを投げかけることの無意味さについても考えた。
そして、ある哲学者の「世界に対する告発」を通して、1930年代のドイツにおける閉塞感と苛立ち、それが生み出した思考停止と想像力の欠如による大量殺戮の責任の所在について考えた。アイヒマンという男が「活躍」する舞台が現われ出たのは、閉塞感と苛立ちが生み出した思考停止と想像力の欠如が人々の間に蔓延した結果によってであった。
こんなことを考えている間に、跪いた二人の日本人の後ろに立ち、黒いマスクで顔を覆い隠した男が属する「国」の苛立ちは、私たちの社会に向けられてしまった。この苛立ちに対し、救出に対する有効な手立てが打ち出せないまま、閉塞感の中である人々は自己責任論を苛立ちとともに振りかざす。
自己責任論が声高に叫ばれる中で、悪いのは拘束された2名であるという免罪符によって、思考停止と想像力の欠如の状態が現出しつつある。この状態が完成されれば「全ては自分には関係なく、責任は一切問われない。」という錯覚が社会に充満する。
私たちはこのような閉塞感の中で苛立ちを伴って現出する思考停止と想像力の欠如にどのように抗うことができるだろうか?
前回は1930年代のドイツの例から考えた。今回も1930-40年代のヨーロッパをめぐる社会情勢から考えてみようと思う。アイヒマン裁判は、ホロコーストの加害者からの視点であったが、今回はその被害者が「理解した」現象をめぐる経験についてである。
ボリス・シリュルニクという精神科医がいる。
1944年1月、対独協力政権であったヴィシー政権下のボルドーでわずか6歳半だった彼は、ジロンド県の県令モーリス・ハポンが発令したユダヤ人の一斉逮捕によって監禁される。彼はトイレの壁をよじ登ることで辛くも監禁場所から脱出し、以降、戦争が終わるまで逃亡生活を送る。
(逮捕命令の発令と執行の時間を意図的に遅らせ、ユダヤ人逃亡を助けた多くの県令とは反対に、ハポンは自らの業績と栄達のため、予定時刻より1時間早く逮捕を実行し、ユダヤ人を「一網打尽」にした。戦後、彼はこの逮捕命令をめぐって告発されることになる。ちなみに、この逮捕命令の発令と実施はもちろん、準備段階である「ユダヤ人逮捕者名簿」の作成を拒否したシェリフ・メシェリはフランス初のイスラム系知事であった。)
彼がこの経験を1人称で語ることができるようになったのは、戦後40年以上が経過した70歳近くになってからだったという。語っても信じてもらえない、決して共感を得られない激烈な経験はトラウマとなって彼を苦しめ続けた。
そこで、彼は心の中に「地下礼拝堂」を作り、自らの物語を繰り返し聞かせることによって、トラウマを克服しようとした。
この物語の中では、自分を捕縛しようとしたドイツ軍の将校ですらも「意図的に自分を見逃した心ある軍人」に読み換えられ、誰しもが自分に悪意を持っていたわけではなかったと記憶を改竄した。また、たった3段しかないちっぽけな階段は、彼の記憶の中では長い長い階段に改竄され、この階段を駆け下りることで達成された監禁場所からの脱出は、勇気に満ち溢れた英雄的な行為に昇華されていった。
このようにして彼は精神の危機を乗り越え、貧困の中で苦労を重ね精神科医になる。精神科医の立場から彼は、自分のようにトラウマを抱えた子どもたちがその後、困難を乗り越え成功を収めることができるのか、あるいはトラウマに苦しみ続けられ、人生を失っていくのかは「へこたれない精神(レジリエンス)」を持てるかどうかにかかっていると考えた。
「へこたれない精神」とは、トラウマを自分が受け入れられる物語へと読み換えていける力であり、その源泉は幼児期の両親からの愛情と言語能力が重要な要素であると彼は説明する。トラウマに囚われるづける人は、憎しみの感情から思考停止に陥り、自分のトラウマを「克服の物語」に読み換えていくことができない。
彼は言う。
『私にとっての選択肢は、罰するか、許すかではなく、ほんの少し自由になるために理解するか、隷属に幸福を見いだすために服従するかである。』
紋切り型の役人口調の文句でしか会話ができなかったというアイヒマン。
愛情と言語能力でトラウマを「理解し」乗り越えたシリュルニク。
閉塞感と苛立ちの中で思考停止と想像力の欠如に陥ってしまう人、あるいはそれを「理解」しようと試み、トラウマを「克服の物語」へと読み替えていける人。
この両者を分けるのは、愛情と言語能力の有無であるという。
このあたりから、言語教育についての話になるのだが、言語の教師は学習者に両親のような愛情を注ぐことはできないし、そんなことを求められてもいないのだが、言語能力についてはその責任の一端を負っているはずである。
トラウマの克服とまでは行かなくても、現象を理解することによって思考停止と想像力の欠如に抗っていくことは言語の教師の大切な仕事の一部なのではないかと思う。
(つづく)
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