ヤリチンが人生の岐路に立って自らの半生を振り返り、本当に大切な物に気づく話
はじめに
初めまして、私は都内の大学に通う3年生です。
これは同じ大学に通う女好きで有名な友達に、自身の半生を文章にしてどこかに残したいが自分はネットに疎いので是非手伝って欲しいと頼まれ、おもしろそうだと思った私が彼の独白を文章に書き起こしたものです。
この話を聞いて友達の私ですら色々と思うところがありますから、いわんや皆さんもそうであると思います。でもまずは、最後まで読んでやって欲しいです。
初めまして、ヤリチンです。
これは僕が、自堕落で退廃的な生活を何年も送って送って送って、本当に大切な物はなにか、その答えを見つけるお話です。
〜因幡〜
僕がヤリチンになった直接のきっかけは高2の夏にほとんど強制的に一ヶ月の短期留学にいったことです。当時国内旅行の経験すらほとんどなく、英語に至っては全くと言っていいほどしゃべることのできなかった僕が、突如として送り込まれたのが、アメリカのロサンゼルスでした。英語をほとんど何も話せず、さらに内向的であった僕は、コミュニケーションにおいて大変な苦労を要しました。話すことが全ての語学学校で、話せないというのは本当に致命的でした。周りが何か面白そうな話をしていても、会話に参加する度胸も英語力も無い僕は愛想笑いしかできませんでした。
「こ、このままでは…孤独死してしまう!」
そう直感した僕は、勇気を振り絞ってとにかく色々な人に話しかけました。刻一刻と状況の変化するティーンエイジャーの会話においては、「流れ」や「ノリ」がなにより大事で、文法や単語、発音のミスなんかに構う暇などありません、ミスなどはあとから調べて正せば良いのです。時にはミスが笑いの種になったりもしますので、「とにかくしゃべる」ということはとても大切なことでした。その甲斐あってか、1週間たつ頃には日常会話をこなせる程度の語彙力と、話の流れについていく「ノリ」を身につけることができました。そこからは友達もぐんぐん増え、イベントに参加する機会も増え、そこで様々な女の子と出会います。欧米の女の子は日本人の同世代の女の子と比べて、比較的ガードが緩い傾向にありましたので、僕はその子らと遊び回りました。高2の多感な時期にこのような経験をすることで、僕の中の貞操観念が大きく変化し、一般的な日本人の男子高校生とはかけ離れてしまいました。これが僕のヤリチン生活のルーツとなった出来事です。
〜紅白・三色・丹頂〜
帰国直後から、僕は遊び回りました。暇な女の子を見つけては遊びに行き、ねんごろになる。そんな生活を1年ほど続け、卒業を控えた三年生の暮れに転機が訪れました。僕の通っていた高校は進学校ではありましたが、それほど学力の高い学校ではなかったので、国公立大学を受験する人は稀でした。その中で僕はなぜか上位にいましたので、都内の国公立大学を受ける予定で、クラスメートが続々と受験を終えていく中黙々と勉強していました。勉強しなくても志望校に合格する自信はありましたが、それでも勉強を続けていた理由は、同じ国公立大学を受験するクラスメート(学校でも1,2を争う美少女)の存在があったからです。言ってしまえばこのクラスメートと同じ時を過ごしたいがために、自由登校にもかかわらず律儀に登校して、遅くまで学校に残っていたのです。当たり前な話ですが、彼女に恋をしてからは他の女の子と遊ぶのをキッパリやめていました。
〜卒業後〜
結局僕は志望校に合格し、クラスメートは不合格という結果になってしまいましたが、それでも連絡は取っていて、入学後しばらくしたある日、意を決しクラスメートに告白しました。果たして彼女は僕の思いを受け入れてくれ、僕らは交際を始めます。この頃の僕は精神的には今よりも随分幼かったのですが、彼女を慕う気持ちは確かに本物でした。
〜喜劇〜
しかし、そんな幸せな生活も長くは続きませんでした。付き合ったのが四月で、別れたのが七月だったと記憶していますので、正味三ヶ月の短い春でした。しかし、フられたことは別にいいんです、僕なんかが彼女と釣り合うとは思ってもいませんでしたし、どうしようもなく子供だった僕は彼女を満足させられていなかったことを自覚していました。そしてついにその時が来ました。別れ文句は無味乾燥なメールで、本文には次のような意味合いの文面が、淡々とした口調で書かれていました。
「やはりあなたのことを恋愛対象としては見ることはできません。人間的には尊敬していますが、ただ、それだけです。あなたとは手も繋げませんし、キスも無理です。」
衝撃を受けました。
もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいじゃないか!
ここまでどストレートに言うなんてあんまりだ!
と、思いました。なまじそれまで女の子に不自由していなかった僕は、見事なまでにプライドをズタズタにされました。現実を突きつけられるとやはりショックなもので、ひたすら落ち込みました。しかしながら、こういうことをヌケヌケと言うところも含めて僕は彼女のことを本気で好いていたので、到底嫌いになるなんてできないな、とも思いました。
当時のことを思い出さないように、半ば記憶に鍵をかける形でなんとか立ち直りましたが、この時受けた衝撃が、僕の中でゆっくりとトラウマに変化し、後々僕を大いに苦しめることになります。
〜転移〜
こっぴどくフられてしまった僕の、悪い癖が再発してしまいます。大学生となったこの頃は時間にも融通が利き、バイトもしていたのでお金にも余裕があり、より一層ヤリチンに磨きがかかります。入学当初から入っていた運動サークルにも顔を出さなくなり、大体1,2週間に1人のペースで、女の子を取っ替え引っ替え遊んでいました。
〜晴れ、曇り、雨〜
そんな生活を半年ほど続け、僕は大学二年生になりました。新一年生が入って賑やかになる大学、暖かな日差しが優しく降り注ぐそんな四月のある日、同級生と食堂で昼食をとっていた時のこと、「サークルの後輩に、めちゃくちゃ可愛い子がいる」突然同級生はそんなことを言い出しました。よくよく話を聞いてみると、この同級生が所属するサークルというのが、僕が一年生の時に所属し、二年生開始時には既に疎遠になっていたあの運動サークルでありました。そこで僕は、そんなに言うのならば見に行ってやろうじゃないか、ということで、疎遠になっていた運動サークルに再び通い始めました。
〜鮎原こずえ〜
同級生の力説したその女の子は聞きしに勝る素敵な子で、僕は再び恋に落ちました。この頃もまた女遊びはピタッと止まり、僕は彼女にひたすらアタックしました。脈が有ろうが無かろうが無関係で、持てる引き出しを全て使ってアタックしました。が、なんと彼女には付き合って1年になるイケメン彼氏がいることが判ってしまいました。彼氏の写真を見た人がことごとくイケメンだと証言するので、僕は半ば心が折れかけていましたが、よくよく話を聞いてみると彼女は彼氏とあまりうまくいっていない様子でした。ただ、僕はこの時には彼女のことが心から好きなってしまっていて、付き合うなら向こうにも僕のことを好きになってもらってから付き合いたかったので、わざわざ彼氏との仲を引き裂こうとは思いませんでした。しばらくは彼女の話を聞いて、慰めて、という日々が続きました。しかしその時は唐突に訪れます。その日は電話で、いつものように彼氏の愚痴を聞いていたところ、突然彼女が泣き出してしまったのです。話を聞いてみると、彼氏の精神年齢の低さに疲れてしまったらしく、もう限界だ、とこぼしていました。そんな彼女をかわいそうに思った僕は、ついに彼氏と別れたらどうかと進言しました。僕の進言を受け入れた彼女は、後日彼氏と別れたことをスッキリした様子で僕に報告してきました、しかしこの時の僕は、このことが後に僕に第二のトラウマを植え付ける事になろうとは思いもしませんでした。
〜気苦労〜
1年付き合った彼氏との破局を経てしばらく経ったある日、僕はついに彼女に告白し、彼女からは明るい返事が来ました。この時暦は6月、彼女と出会ってから2ヶ月のことでした。実際のところ彼女との日々は、お世辞にも平穏とは言い難いものでしたが、それでも僕は幸せでした。彼女は結構なヤキモチ妬きで、僕が他の女の子と話しているだけで妬いてしまうので、文系の大学で、それなりに友達の多かった僕はとても苦労しました。彼女といる時に他の女の子に挨拶をすると、彼女は妬いてしまうので、僕は知り合いの女の子が近くに来ても、極力目を合わせないように、気づいていないふりをして、やり過ごしました。こうした態度は友達の目には不義理に映ったようで、僕から離れていく人も少なくありませんでした。さらに彼女は
「なんで大学なんかに入ったのだろう、早く卒業したい大学やめたいつらい」
などとよく癇癪を起こしましたので、それをなだめるのも僕の役目でした、夜遅くまで電話して、彼女の愚痴を聞き、励ます。面倒臭いなどとは微塵も思いませんでしたが、しかし着実に疲労は溜まってゆきました。
〜波乱〜
スッキリした様子で元彼と別れた彼女ですが、ふとした時に元彼との思い出がよみがえり、感傷的な気分になることが少なからずありました。すれはそうです、ほとんど毎日顔を突き合わせる高校時代の1年間というのは、とても密度が濃く、簡単に忘れられるものではありません。そして元彼も彼女のことが忘れられなかったらしく、ついに彼女とコンタクトを取り始めました。もともと感化されやすい彼女は、いよいよ僕と元彼の間で揺れ始め、一度は別れを言い渡されてしまいます。彼女のことが本当に好きで、諦めきれなかった僕は、最後に1度だけデートしてほしい、と、彼女を夏祭りに誘います。終止気まずい空気の中屋台を数軒回り、花火を鑑賞して、電車で帰路につきました。それなりに大きなお祭りでしたので、車内は満員で、お祭り帰りのカップルでごった返していました。ひどい揺れの中フラフラする彼女をとても愛おしく思った僕は、他のカップルがそうしているように、彼女をそっと抱きしめ、支えました。彼女は驚き目を丸くしていましたが、嫌がる素振りは見せず物憂げな顔をして、ただじっとしていました。彼女の地元へ到着し、電車を降りはしたものの、お互い何も言い出せずただ黙って歩いていましたが、しばらく歩いたところで彼女は立ち止まり、目に涙を浮かべながら言いました。
「本当は今日、お断りするつもりだったのになぁ、ふれなくなっちゃった。」
この時ばかりは僕も涙をこらえきれませんでした。
かくして彼女と再び付き合うことになり、今度こそうまくいくと、そう思っていました。そう願っていました。
〜ジャメヴ〜
ところが現実という物はどこまでも非情なもので、2度目の交際も長くは続きませんでした。彼女にはひとつどうしても譲れないこだわりがあって、それは「初体験は初めて同士がいい」というものでした。僕はこの話を聞いて愕然としました。汚れきってしまった僕ではこの願いはかなえられない。既にどうしようもない所まできてしまった僕には、彼女を幸せにすることはできないと思いました。とても悔しかったです、この時初めてそれまでの自らの行いを悔いました。しかし嘘をつくに忍びなかったので、性交渉の経験はあるかと彼女に聞かれた時、僕は正直にあると答えました。僕は彼女に対して誠実でいたい一心で正直に答えたのですが、僕の想像以上に彼女の「初めて」に対する思いは強く、徐々に彼女の僕に対する態度が冷たくなっていくのを感じていました。
そして、再びその時が訪れました
普段自分から電話などかけない彼女から突然の電話
「ごめん、やっぱり無理、お互い初めてじゃないと自分が許せないし、そういう人を気持ち悪いと思う」
唐突にそんなことを言われ、僕はひたすら泣きました、彼女も一緒になって泣いていました。
「なんでお前が泣くんだよ、しかも気持ち悪いって何だよ、失礼すぎるだろふざけんな、泣きたいのはこっちだよ!」
そんなことを思いながらお互い声を上げて泣きました。
〜宗兵衛・権兵衛〜
彼女と別れたのが大学2年生の8月のことで、それからは彼女を忘れるために、ひたすら退廃的な生活を送っていました。大学が夏休みに入っていたことも手伝い、ひたすらバイトに耽り、バイトが終われば女の子や友達と遊んで朝帰り、昼過ぎに起きてまたバイトにいく、2ヶ月間の夏休みをずっとそんな調子で過ごしました。そんな生活を送っていましたので、休みが明けてもまともに授業に出られるはずもなく、いくつも単位を落とし、友達にはすっかりクズ呼ばわりされるようになっていました。僕はすっかり心が荒んでしまい、2年生が終わる頃にはさらに女遊びが激しくなってしまいました。
しかし、いくら無心でバイトしようが、いくら女の子と遊ぼうが、一向に僕の心が満たされることはありませんでした。それでも遊び回っていないと正気が保てないと感じていた僕は、心が荒むのも構わず女遊びにさらにのめり込んでいきました。
〜未知との遭遇〜
そんな生活を続け、卒論や就職のことも意識し始めてうんざりしていた大学三年生の4月、ある一人の女の子に出会いました。
彼女の名前は岩井美香(仮名)
短大に入学したばかりの18歳、彼女は僕が今まで遊んでいたどんな女の子のタイプにも当てはまりませんでした。不二家の「ペコちゃん」の目を細くしたような、はっきり言ってしまうと地味な部類に入る子です。しかし同時にとても興味深い子でもありました。面白いことを言っては場の雰囲気を和ませようとし、気遣いに長けていて常に周りに気を配っているのに、彼女自身はすごくわかりやすい子で、何を考えているのか手に取るようにわかってしまう、不器用だけど素直な子でした。そんな不思議な魅力を持つ彼女は、僕にとってはまさに“エイリアン”でした。彼女にはひとつもイヤミなところがありませんでしたので、一緒にいる時、僕はとても楽でした。無理に自分を偽らず素のままの自分で話し、アニメヲタクという自分の本当の趣味を包み隠さずさらけ出すことができた女の子は彼女が初めてでした。
しかしこの時の僕は、何もわかっていない大馬鹿者でした。
〜李徴と優駿〜
僕は2度手痛いフられ方をしています。その時の経験がこの時には厄介なトラウマへと変化しており、偏った物の見方をさせるようになっていました。すなわち「人としての価値を容姿に置く」というわかりやすく最低な価値観です。「可愛い子」以外は認めず「不細工」な子には目もくれない、そんな生き方をしていました。ほとんど元彼女に対する当てつけに近いものでしたが、この時の僕は唯一その価値観だけを頼りにしていました。より可愛い女の子と、より多く遊ぶことで自分の価値を保とうとする、ちっぽけなプライドです。それでも、そうでもして自分を安心させていないと僕は正気を保っていられないところまで追いつめられていました。
〜足蹴〜
彼女と出会ってから、自然と女の子と遊ぶ回数が減っていきました。長い間ずっと自堕落な生活を送っていた僕にとってはかなり大きな変化でしたが、この時の僕はそんなことには全く関心を向けず、単に女遊びに飽きたからだろう、くらいにしか思っていなかったのです。何度も彼女と遊ぶうちに、彼女は僕に好意を寄せてくれるようになりました。愚かな僕はその好意さえも都合のいいように利用したのです。自分が暇な時にだけ彼女を呼びつけ、事が終わればその後はしばらく連絡をとらず全くのアフターケアもしないという、彼女の気持ちを踏みにじる態度をとっていました。しかしそれでも、彼女は僕から連絡がくると本当に嬉しそうにしていました。僕との時間を、いつでも、どこへ行っても、何をしていても本当に楽しそうに過ごしていました。
ある時こんなことがありました、普段は適当な場所にドライブへ行って遊んでいた僕らでしたが、たまには違うことをしようと思い彼女をその当時学生の間で人気だったサーカスに誘うことにしました。僕からの急な誘いを、美香さんは本当に嬉しそうに受けてくれて、多忙であったにもかかわらずわざわざ予定を詰めて、さらには座席の予約までも取ってくれました。よほど嬉しかったのか、当日はいつも以上にご機嫌で終始ニコニコしていました。最低な僕はこの時も「ありがたい」くらいにしか思っていませんでした。
〜泥棒〜
日に日に思いを募らせていく彼女は、いつまで経ってもふらふらとしている僕の態度にとても苦しめられていました。一方でそんな彼女の様子を見ていた僕は、心苦しさを感じながらも、彼女を邪見にするようになりました。なるべく表に出ないようにしていたつもりでしたが、彼女のことですから、きっと気がついていたと思います。
ある時、ふと強烈な罪悪感に苛まれた僕は彼女に嘘をつきました。
「好きだ」
と言ってしまったのです。
決して本心からの言葉ではありませんでした。
ずっと彼女の気持ちを蔑ろにしていた重圧から逃れようとしてついた、とても。
僕の言葉が本心ではないことに気がついていた彼女は堪えきれずに泣き出してしまい、この時初めて自分がとんでもない間違いを犯してしまったことに気がつきました。嘘にまみれた「好きだ」という言葉は、かえって彼女の心を深く傷つけてしまったのです。それでも彼女は、隣でみっともなく狼狽する僕を気遣って気丈に振る舞おうとしました、「取り乱しちゃってごめんね、びっくりさせちゃったね」と。僕はいよいよ罪悪感に押しつぶされそうになりながらも、ここで僕が謝ってしまったら、嘘をついたことを認めてしまったら、今度は本当に取り返しのつかないことになってしまう、そう直感して喉元まで出かかった「ごめん」という言葉をなんとか呑み込みました。その日はもうそれ以上いられる空気では無かったので、彼女を家まで送り届けてすぐに別れました。
次の日から、自分の放ったある意味では「嫌い」だと言うよりもタチの悪い言葉が頭の中をぐるぐると回っていました。バイト中も、読書中も、他の女の子と行為に及んでいる最中でも、ずっと僕の心に重くのしかかっていました。数週間してとうとう耐えきれなくなった僕は決心をして、美香さんを呼び出しました。「付き合おう」と言うために。もちろんこれも本心ではありませんでした、つくづく最低です。こんな状況でも彼女は僕の誘いを快諾してくれてすぐに会ってくれました。彼女を車で迎えに行き適当な場所に停車して、僕は話すタイミングを窺っていました。弱虫な僕はこれから発しようとしている言葉の重み、それにつきまとう責任に気おされてなかなか言い出せずにいました。
なかなか思うように言葉にできないぼくを見かねて彼女は、
「この前はいきなり取り乱しちゃってごめんね、あれから私も色々考えたんだ。それで、付き合うことを望むのはやめにした。お互い忙しいし、私は今のままでも幸せだから、だからたまにこうして会ってくれるだけでいいよ」
そう、言いました。
このときの彼女の寂しそうな、儚げな笑顔を僕は、今でも忘れることができません。
彼女の言葉を聞いた僕は、それが嘘だということはわかっていたのに、彼女の悲痛な気持ちが痛いほどわかっていたのに、心のどこかでほっとしてしまい。
「そっか…」
と言ったきり二の句が継げずにいました。しばらくして美香さんが
「何か話したいことあった?」
と聞いてくれたのですが、僕は結局
「いや、なんでもない」
と答えたきり、「付き合おう」というたったのひとことをついに言い出せませんでした。僕は彼女の優しさに甘えてすぎてしまったのです。
〜急逝〜
そんな折、小さい頃から僕をとても可愛がってくれたおばあちゃんが亡くなってしまいました。死因は老衰でした。
もとから体の弱かったおばあちゃんは、74歳という年齢のせいもあり、この頃は横になっていることが多くなっていました。それでも僕が顔を出すと自室から少し離れた居間まで起きてきて、嬉しそうにしてくれていました。そんな様子を見る限りでは差し迫って命に危険があるとは微塵も思っていませんでした。しかしおばあちゃんの体は着々と老いて、弱っていたのです。
おばあちゃんの突然の訃報を聞いた僕は、頭が真っ白になり、泣くことすらままなりませんでした。それでも葬儀の準備は進めねばなりません。おじいちゃんは僕が3歳の時にすでに亡くなっていたので、喪主は長男である僕の父がつとめました。その息子である僕も当然葬儀を手伝いましたが、通夜が終わり、葬式が終わりに近づいても涙の一滴すら流すことはありませんでした。しかし、おばあちゃんの棺に花を添え、出棺のために棺の蓋が閉められたその瞬間に、えも言われぬ悲しみがこみ上げてきて、僕はその場で泣き崩れてしまいました。これまでの分を取り戻すかのように、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになるのもお構いなしに、泣きました。
その後のことは、映画でも見ているような気分で現実味がありませんでした。
火葬場まで、親戚をのせて霊柩車の後をついていったことも、死装束を着たおばあちゃんがいつのまにかスカスカの骨だけになって、その骨を親戚とともに拾い集めたことも、行きとは違う道順で家まで帰ってきたことも全て覚えてはいます。でも、自分のこととは思えないほど淡々とした色の無い記憶としてしか残っていません。
〜グレー〜
おばあちゃんが死んで、二つ変化がありました。
1つ目は、「悲しい」という感情が無くなったこと。僕は生来泣き虫で、涙もろい性質でありましたが、おばあちゃんの死後はどんなことが起こっても泣けませんでしたし、それらについて「悲しい」という感情が起こることも一切ありませんでした。これは今まで読むたびにホロリとしていた「ごんぎつね」を読んで、何も思わない自分がいることに驚きたまたま気がつきました。
2つ目は、心から笑えなくなったこと。友達とどんな楽しいことをしていても、どんな面白いことを言われても、僕は笑うことができなくなってしまいました。これまで通りの笑い方ではうまく笑えず演技だとバレてしまう。余計な心配をかけることになるし、なにより気を遣わせてしまうと思った僕は、演技っぽくなく自然に笑っているように見せることができるという理由で、この頃から「ひき笑い」(芸人の明石家さんまさんのような笑い方)をするようになりました。
〜きづき〜
これら二つの変化は、僕の生活をより一層陰鬱なものへと変えました。おばあちゃんの衰弱に気づけなかった後悔、何をしても感動のない無味乾燥な日常、関係のあった全ての女の子と連絡を絶ち、学校へ行くのも億劫になり、布団から起き上がることさえできない日もありました。
何もすることが無いと、人は考え事をするものです。
来る日も来る日も、最近運動してないな、だとかあの小説の続きが気になるな、などのとりとめのないことを考えていました。
大学が夏休みに入った8月のある日、そんな生活にほとほと嫌気がさした僕は、すこしでも現実から逃げたくなって、関係のあった女の子で唯一連絡先を消していなかった美香さんと実に1ヶ月ぶりに連絡を取りました。メールで少しばかりのやりとりをして、彼女に会いたい旨を伝えましたが、この時は体調が悪いからと断られてしまいました。
結局しばらくして連絡も途絶え、それから3ヶ月の月日が流れました。この頃には徐々に大学にも行けるようになってきていましたが、生活が元通りになるにつれてはっきりとは言えない、喪失感や物足りなさを感じていました。僕は原因を考えました。友達も居て、ちゃんと学校にも通えている、大学生活はそれなりに楽しい、この生活のどこに不満があるのか。
そして、何気なくメールの履歴を眺めていた時に、
ほんとうにようやく、理由がわかりました。
———美香さんがいない
思い返せば、美香さんと過ごした時間は本当に楽しかった。楽しくない時などありませんでした。不甲斐ない僕を一生懸命楽しませようと頑張ってくれて、落ち込んでいる時には黙って話を聞いて励ましてくれました。そんな素敵な子をどうして今まで自分は放っておいたのか、どうしてあそこまで無下にしてしまったのか。
———僕は美香さんが好きだ。
ちっぽけなプライドに邪魔されて見えていなかった本当に大切なことに、やっと気づくことができました。それと同時にこれまでの美香さんに対するひどい仕打ちを心から悔い、恥じました。僕のしてきた行いは、どんなに謝っても足りない、到底許されないことです。それでも、もしも美香さんが許してくれるのなら今度こそ心からの「好き」伝えよう、そう思いました。
〜許衡〜
僕は急いで美香さんに話したいことがあると連絡しました。しかし、あるいは僕には当然の報いだと思っていますが、現実はどこまでいっても非情な物です。
美香さんからの返信には短くこう書かれていました。
「ごめん、彼氏ができたからもう会えない」
根拠はありませんでしたが、なんとなくそんな気はしていました。
僕には当然の報いです。それでも最後に少しだけ話がしたいとみっともなく食い下がりました。彼女はそんなみっともない僕の願いを、彼氏の反対を押し切って聞き入れてくれました。彼女も最後に話しをすることで、僕との決別を望んでいたのだと思います。美香さんの家の前で落ち合って、近くの公園で話をしました。僕は時々言葉に詰まりながら、たどたどしくも思っていることを全て伝えました。彼女は、目に涙を浮かべながらそれを聞いていて、やがて僕の話が終わると自分の話を始めました。
僕と過ごした日々はとても楽しかったこと、
サーカスに誘われた時は本当に嬉しかったこと、
やっぱり付き合えないのはつらいということ、
そして僕のことが本当に好きだったこと、
でも今は彼氏のおかげで幸せだということ。
全てを聞いて、再度僕も本当に美香さんが好きだったということを伝えました。その言葉をきいた彼女は「…でも、付き合えないんでしょ?」と僕に聞きました。これ以上彼女の心をかき乱したくなかった僕は、「付き合えない」と最後に嘘をつきました。これでよかったんだと納得したようにうなずいた彼女は立ち上がり、「今までありがとう」と言いました。つられるように立ち上がり、彼女にならって「僕も今まで本当にありがとう」と応えました。彼女は微笑んで「バイバイ」といったきり僕に背を向けて家の方へと向かっていってしまいました。いつも別れ際は「またね」と言っていたのに、この時は「バイバイ」で、もうこれで本当に最後なんだと思うと悲しくて、僕はおばあちゃんが亡くなってから初めて泣きました。みっともないくらいに声を上げて泣きました。どのタイミングでもいい、僕が少し勇気をだして「付き合おう」と言えていたら彼女はここまで苦しい思いをしなくても済んだ、僕もこんな風に彼女を諦めなくても済んだ、終わったことをひたすら悔いて、悔いて、悔いました。今更言ったってどうにもならいことはわかっています、気づくのが本当に遅すぎました。でも美香さんと出会ったことは心から良かったと思っています、彼女と同じときを過ごしたことは微塵も後悔していません。今こうして自分自身のことを話せているのも全て彼女のおかげで、彼女が居なかったら僕は今でも灰色な生活を続けていたことでしょう。彼女が僕をトラウマから解放してくれたおかげで僕は今日も晴れ晴れとした気持ちで過ごすことができています。彼女との一件で僕はトラウマやつまらないプライドに囚われすぎると本当に大切な物がみえなくなってしまうことを学びました。彼女には本当に感謝の思いしかありません。
〜あとがき〜
今こうしてお話しをしているのは美香さんとの別れから約3ヶ月後の大学3年生の2月です。風の噂によると彼女は現在も彼氏との仲は順調なようで、評判の仲良しカップルだそうです。僕は現在お付き合いしている人は居ませんが、もうしばらくは必要ないと思っています。ご縁があればその内素敵な人に巡り会うだろうと楽観的にみています、でももし巡り会うようなことがあればそのときは本当に大切にしようと思っています。今回このお話をしようと思ったのは就活を目前に控えて、やりたいことが何なのかを考えていた時に自分を客観的にみるという意味でも、そろそろ自分のことを人に話してもいいかなと思ったので、友達の助けを大いに借りて僕の拙い言葉をつなぎ合わせてなんとか一つの文章としてまとめていただきました。
最後に、僕のお願いを快く引き受けてくれた友達と、最後までお話を読んでくださったみなさまへお礼を申し上げまして、結びの言葉とさせていただきます。
ありがとうございました。
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