お金もないのに憧れのウェディングドレスを貸してくれたハツコエンドウ
持ち金数万円。
そんな私たちが、創業110年、皇室の挙式も手がけた歴史と格式あるハツコエンドウのウェディングドレスとタキシードを纏って、仙台で結婚パーティーを開いてもらうことが出来ました。
近年では市川海老蔵さん麻央さんの婚礼衣装とヘアメイクなども手がけた一流のブランド。
普通ならあり得ないことだらけ。奇跡的と言えることの連続でした。
なぜそんなことになったのか。
ハツコエンドウがなぜ協力してくれたのか。どのように協力してくれたのか。
それをお話したいと思います。
お金が無くなっていったわけ
そもそもなぜお金がそんなに無い状況になっていったのか。
私は一部上場企業ってやつに勤めていました。が、以前のパートナーの入院・治療費やその後の後始末など、多額の借金もありました。
人を看取るという経験の後、生気無くただただ日々を過ごすという生き方をやめ、悔いなく生きようと決意。何かのお役に立ちたい思いでボランティア活動など初めました。
2011年の東日本大震災の後には、地元仙台の企業や女性を応援するためにさまざまなイベントを行っていた会社を応援するため、資金を提供したり頼まれた事務作業などをお手伝いするようになりました。
そして2011年12月末に勤めていた会社も辞め、そのお手伝いにますます力を注いでいきました。
そんな時出会ったのが今の主人でした。
いつしか2人でカフェに行くようになり、食事をするようになり。
あまり人と長時間いることが得意ではなかった私たちでしたが、気がつけば4,5時間経ってたなんてザラでした。
一緒にいても疲れない。話さない時間も気にならない。
それでも初めは互いに恋愛感情に気づいてませんでした。
そんなある日、2人共が師と仰ぐ方から電話をもらいました。そして、へっ?と思うことを言われます。
意識したのか、その後交際するようになるまでそんなに時間はかかりませんでした。
そして2012年9月末、私たちは一緒に住み始めたんです。
しかしセミナーやイベント開催費用や準備費を提供したり、イベント準備のため出張したりするうちに、生活資金もままならなくなっていきました。
それでもお米をいただいたり、果物をいただいたり。
そんな心遣いくださる方もいらっしゃったりして、イベント開催で喜んでいただけてる様子を見ると嬉しくて、そのイベントが大きな広がりを遂げられるようにと活動を続けていました。
ハツコエンドウとの出会い
そんな時、東京に来て手伝って欲しいとの声がかかり、私だけ東京に行くことになります。
2013年6月のことでした。なるべく安いホテルに泊まりながら、友人を手伝っていましたが、金銭的にもかなり厳しい状況。彼は仙台。初の遠距離。
1週間もするとかなり焦燥感にかられていました。何を見ても何をしても楽しくない。。
2013年6月28日。
夜、丸ノ内のパレスホテルに呼ばれました。
地下鉄大手町駅で降り、地下通路を歩いてパレスホテルへ。
初めての場所だったので、キョロキョロしながら歩いて行き地下のショップ街に入り歩いて行くと、
一番奥の正面になにやらすてきな雰囲気を醸し出すお店が。
そのウィンドウにディスプレイされていたものを目にした瞬間、思わずハッとして足を止めて両手で口を覆ってしまった私。息が止まるかと思うほど。
ディスプレイされていたのは、ウェディングドレス。
一歩、また一歩とそれに近づいていくと、ショーウィンドウにはHATSUKO ENDOの文字。
近い将来彼と結婚できたらいいなと思い、仙台で模擬披露宴などのイベントに2人で出かけたり、雑誌もいろいろ見ていたのです。でもあまりピンと来るドレスに会えず、こんなものかな〜なんて思ってたのです。
それが!出会ってしまった!!!
このドレスを見た瞬間から、目がまったく離せなくなりました。
呼ばれて来ているので行かなければならないのですが、足が動きません。
「ぅわ~~~。なんて、なんてすてきなんだろう♡♡♡」
こんなに目を奪われるウェディングドレスがあるなんて。
こんな風に出会えるなんて。
ものすごい感動でした。
後ろ髪を引かれる思いで待ち合わせの場所へ急ぎ行くと、予定の仕事がキャンセルになったと。
そのまま友人と食事に行くことにしました。
彼女にもこの感動を伝えたい!もう誰かに言いたくて仕方なかった私は、彼女を連れて再びドレスのあるフロアへ。
写真をいっぱい撮りました。
彼女は目を輝かせてドレスに魅入る私を見て、私がそのドレスを着ているのを想像したと言って涙を流していました。
式を挙げることが出来るかどうかわからないけど、試着とか出来るのかな。。。
彼女と別れホテルに戻り、早速パソコンでハツコエンドウを検索。
明治からもう110年続く老舗で、一流のお店だということがわかりました。
利用される方も上流階級の方が多いようです。
「はぁ~~、ハツコエンドウのドレスで式を挙げるなんて無理かな~。レンタルもしてるみたい。着られたら嬉しいな~」
彼にも早速写真を送ってみました。(なんてゆーかな)
「いいね〜」と返信あり♪
一緒に見に行けたらいいな~。
それから一週間後。
彼も東京に呼ばれて来ることになりました。
やった~~!!。
一緒に仕事をする中で、パレスホテルに行くと、
なんとディスプレイのドレスはもう別のドレスに変わってしまっていました。
がーん!!!
じゃあ銀座のサロンに行ってみようか、というわけで
すぐに銀座のハツコエンドウウェディングスを訪れました。
初めて入るウェディングサロン。
案外堂々としている彼に勇気をもらいドアを開けます。
いらっしゃいませの温かい笑顔。
品よく、美しく展示されているウェディングの小物。
スマートな身のこなしのスタッフの方々。
1階奥のテーブルに通され、カタログを見せていただき、事情をお話しました。
すると・・
「ディスプレイは定期的に変更しておりまして・・・」
「パレスホテルか、どちらかのホテルでご婚礼のご予約はお取りになっていらっしゃいますか?」
「そちらのドレスでしたら確かに当店のドレスですが、今こちらにはございません。」
などなどお話いただきました。
どうやら、ディスプレイされていたのは確かに銀座のサロン所有のドレスのようですが、
式の予定がなければ試着も難しいということでした。
式の予定は無い私たち。
試着することも、生のドレスを彼に見てもらうことも叶わず、お店を後にしたのです。
それからさらに1週間後、私と彼は2人で仙台に戻ることになりました。
仙台に戻ってからも「ハツコエンドウ」で検索して情報を探したり、図書館に行ったり本屋さんに行ったり、ウェブで検索してみたりするうちに、私の中でどんどんハツコエンドウが魅力的に思えていきました。
現在の常務取締役兼スタイリングプロデューサーで、四代目遠藤波津子さんのお孫さんである遠藤晶子さんのことも知り、そのご活躍の様子を拝見する中でどんどん憧れ感が強まっていきました。
しかしその後もいろいろなことがあり、お金にもすっかり余裕がなくなり、
結婚式はおろか仙台に住み続けることも難しくなり、2013年7月31日仙台を離れ2人の地元である八戸に戻りました。
そんなこんなでいつ入籍するかとか結婚するかとかは話に出ることもなくなっていきました。
まずは頑張りますかね♪
入籍しちゃえ!
八戸は地元。当然実家もあります。
でも私の両親は80代半ば。兄が病気になり心配しすぎて体調を崩している彼らにこれ以上心配の材料になる情報は入れられない。彼と一緒に頑張ろうと決めたし離れるのは考えられない。
そんなわけで結局、私の親には言わずに彼のご実家に行くことにしたのです。
彼のご両親はひとまず受け入れてくれました。
その後、彼のご実家の近くにアパートを借り2人で住むことに。
彼は依頼のあった仕事をこなしたり、学びながら。私は相談を受けたりお話をしたり、文章を書いたりしながら、過ごしていました。
そんな中、東京に住む彼の妹さんが八戸で結婚式を挙げることになりました。
その結婚式に私も出席するよう彼のご両親に言っていただいたんです。受付を彼と一緒に務めて欲しいと。それだけでなく結婚式当日には、ご親戚のみなさんにご挨拶もさせていただきました。
なんだか受け入れていただいていことを感じ、とてもありがたかったです。
思い立って入籍を決めたのは2014年7月。
八戸で暮らして1年が経った頃でした。
所持金は2人合わせても1万円あるか・・・という、相変わらずの状況。
もちろん胸を張って絶対大丈夫~とは言えない状況だとは思います。
でもこれから先の人生2人で生きていくんだな~と確信を深めていましたし、この辺で気持ちを引き締めようと思い、私から彼に話してみたんです。
入籍するのは無料だし♪籍入れちゃう?みたいな軽い感じで言うと、
彼もウンウンと言ってくれ、決定~~~!
こんなにお金がない時に決めるっていうのも、ちょっと面白いかなと。
結婚式も披露宴もやらないということで。
ホンネを言えば、結婚式はしたかったー。
ウェディングドレス、着たかったんです。
あのウェディングドレスだったら最高だけど、そうじゃなくても着たかった。
ウェディングドレスとタキシードで、皆の前で結婚を誓いたかった。
でもまぁお金もないし、両親も疲れやすくなってるし食事も時間がかかるし。
なにもしないのが親にとっても負担にならずいいと思いました。
ただ写真だけはなんとか撮って、親に見せられたらいいなと、そう思っていました。
双方の実家に行ってそのことを報告すると、両家の両親ともに同意してくれました。
娘の結納の時に・・・と床の間を作ったりしていた父は少し残念そうで、
でも自分の体力などを考えるとやっぱり無理だと思えるようで。申し訳なさそうでしたが、「そうしてくれるか」と言ってくれました。
その気持がありがたく、なるべく身体の負担にならないように整えようと思いました。
両家の顔合わせは2014年9月11日に決定。
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