アメフトで首を骨折し、四肢麻痺になった青年がヘッドコーチとしてチームに復帰した話。パート11
もしかしたら今日死ぬかもしれない-
最近、フッとこんなことが頭に浮かびました。
これから先にどんなことが起こるか僕達には分かりません。
でも人生ってそんなものだと思います。
だからこそ、「後でしよう、明日でいいかな、来年でいいや」と目の前のことを後回しにせず、毎日をできる限り精一杯生きることが明日に繋がるのではないかと思います。
そういう日々を過ごして最後に「あぁ楽しかったなぁ」って死ねるような人生を送りたいですね。
小学生のときに先生から言われた「一日一日を大切に」の意味が少し分かるようになりました。
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2010年4月、天理大学への復学が決まった。
そして僕は大学の近くのマンションを借り、母と兄と愛犬のトイプードルとともに天理へ引っ越した。
ちなみに父は、現在も僕らのために一人山口県の実家へ残り、逆単身赴任で仕事を続け生活を支えてくれている。
新居での生活に心を躍らせる一方で、これから始まる新たな生活に期待と不安が入り混じり、不思議な気分だった。
復学するに当たり、伊藤部長が僕の授業をサポートする団体を作るために、大学側へ声をかけてくれた。このサポート団体の目的は自宅とキャンパス間の移動や授業中のサポートで、僕の「珍晴」の珍の字とサポーターを合わせて「珍サポ」と名付けられた。そしてアメリカンフットボール部のチームメイトや大学のボランティアサークルの学生がメンバーとして協力してくれることになった。
チームメイトをはじめ、多くの学生が関わってくれたが、その中でも中心的に関わってくれたのが同級生で僕の幼なじみであるNくんだった。
彼は僕の幼馴染で、幼稚園、小学校、中学校、大学をともに同じ学校へ通った。「どんだけ仲良しやねん!」と言われそうだが、そこまで仲は良くない。笑
腐れ縁という言葉がしっくりくるような間柄だろう。
山口県の小学校、中学校ではともに野球に打ち込み、青春の時間のほとんどを一緒に過ごした。高校では彼は広島の野球有名校へ進学したため、唯一別々に過ごしたが、不思議な巡り合わせで奈良県の天理大学へ進学し、同じ学部でともに過ごすことになった。
天理大学に入学後、彼は野球を続け、僕はアメリカンフットボールを始めたため授業以外で顔を合わせることはなかったが、お互いにそれぞれの道で打ち込んでいた。
そして残暑残る2007年9月、神戸市の競技場であの事故が起きた。
当時は夏休みだったため彼の耳に事故のことが入ったのは、後期の授業が始まった約1ヶ月後のことだったらしい。彼は事故のことを知るとすぐにお見舞いに来てくれ、退院後、自宅でリハビリ生活をしているときには季節が変わるたびに新幹線に乗り、僕の様子を見に来てくれた。遠距離恋愛の恋人同士ってこんな感じなのかなと思いながら、一緒にお酒を飲むのが当時の楽しみだった。
また僕の復学が決まったとき、誰よりも喜んでくれたのも彼だった。そして「珍サポ」が立ち上がるずっと前から彼は授業のサポートを申し出てくれ、復学の手続きや引越の手伝いにも来てくれ準備をしてくれた。
普段、面と向かっては恥ずかしくて言えないが、僕は彼のことを心から感謝しているし、誰よりも尊敬している。
そして復学初日の朝-
僕はNくんに車いすを押してもらい、天理大学に向かった。
駅裏の公園には桜の花が満開に咲き誇っている。花見を楽しんでる人を横目につい口元がほころんだ。
大学に到着するとキャンパスは春の匂いで溢れ、ほのかに入学式の記憶が蘇ってきた。
約900日振りの登校だった。
大学に到着するとそこには大学4年生になった当時の同級生たちが集まっていた。あの頃に比べ、少し大人びた同級生たちが僕の復学を喜んでくれた。
みんなに祝福される中、心の中でそう思った。
同時に事故当日から経験してきた起伏の激しい道のりが頭に浮かんだ。
この日を迎えるまでの道のりは決して楽ではなく、むしろ辛いことのほうが多かった。もちろん自分の足で歩いているわけではなく、車いすでの移動なので、不便なことはたくさんあった。
しかし、病院のベッドで動けず天井を見つめるだけの日々に比べると、友人と一緒に笑えるこのひと時が素直に嬉しかった。純粋にこの時間がこのまま続いてほしいと願った。体の自由を奪われ、何もかもが思い通りにならない苦しい時間が、当たり前な日々がとても幸せなことなんだと教えてくれた。
自分の好きなことに打ち込めること
学校で友だちと過ごす他愛もない日常
家族と一緒に食卓を囲む時間
もっと言えば、自分の足で立ち歩くこと、目が見えること、息ができること
これらのこと皆さんにとっては当たり前なことかもしれない。
事故以前の僕も当然と思っていた。しかしそうではないと気づかされた。
人間は欲深い生き物だ。気づかないうちに「今よりもっと〜」の気持ちが強くなり、その欲求が満たされなくなると不満が生まれる。
幸せとは何かを手に入れることで得られるものではなく、何気ない日常の素晴らしさに気づくことなのかもしれない。
桜吹雪が舞う中、当時の同級生と懐かしみながらこんなことを思った。
こうして僕の第二の大学生活が始まった。
そして、この1か月後に僕はもう一度フィールドへ戻ることになる。
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