中学生のときはじめて、自分が障害者だと知った。ショックだったけど、でも、それは財産だった。自分の障害を財産だと思えるまでの10年間の葛藤。
「じゃあ、なにをしたらいいと思う?」
自分はいったい何を持っているんだろう?と考えました。こういったことを考えるのは今回が初めてではなく、就職活動時など、何回も何回も考えました。すると登場するのはいつも中学時代のいじめのはなし。言語障害を自覚して、ばかにされて、ふさぎ込んで、それが今の自分をつくりだしている。人と深く関わることを恐れる自分をつくりだしている。
ひたすら自分の障害を隠していること、いじめられていたことを隠していたこと。傷ついたが故に寄り添うように人の話を聞けるようになったこと。それらが全部財産だということに気づきました。障害を持っているが故に見えている世界は、それだけで貴重な財産です。
ぼくの持っている口蓋裂という先天異常は500分の1の確率です。感音性難聴はおそらく遺伝性で、確率は約1万分の1。これをかけ算すると5万分の1で、日本に約2000人くらいしかいません。障害は裏を返せば数が少ないってことで、その感覚世界は独特で、それを表現していくってことはファッションになりえます。おしゃれ。だから障害はおしゃれで、財産なんだと思うようになりました。ぼくはそれをこれから体現していく。
自分の障害を財産だと思えたのは良いものの「なぜ母は、ぼくに黙っていたのだろう?」といった疑問が残りました。その疑問はなんとこの「Storys.jp」をキッカケに解決しました。母がたまたま、ぼくの投稿したstory「中学生時代、自分が言語障害だと知って衝撃を受けた話」を読み、誕生日にその旨のメッセージをくれたことでぼくの疑問はなくなりました。以下、本文をそのまま引用します。
”ハッピーバースデー。
偶然にも英太の、storys.jp
を、読みました。
中学の頃、休んでいたのは、きっとわかったのだろうと、思ってました。
苦しみをよく乗り越えたね。
さすが我が子です。
何も話さないでいた親を恨んだ事でしょうね。
障害を持たない子供として産んであげたかったけど、500人に1人の割合で、私に授かった命でした。
私には障害を持った子として育てるのではなく、この子は、みんなと一緒、元気な子として育てたかった。
だから、あえて、説明をしなかったこと、申し訳なかったね。
辛い過去はあるけれど、夢を持って生きてください。
私はずっと応援しています。”
(母からもらった最高の誕生日プレゼントから引用)。
このメッセージを読んでぼくは
たくさん泣きました。
とっても安心しました。
仕事中に泣いてはいけまいと
平静を装っていたら1日が終わりました。
以上、ぼくが障害を財産と思えるまでの物語です。
障害は財産で、かつファッションになると思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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