アメフトで首を骨折し、四肢麻痺になった青年がヘッドコーチとしてチームに復帰した話。パート15【最終話】
突然の打診でした。
前シーズンまで8年間ヘッドコーチを務めたコーチの方が東京に転勤することになり、後任として僕の名前が上がりました。確かにチームに復帰してから糸賀さんに自分が指導者になったらこんなチームにしたいという話はよくしていました。だとしても、コーチになって1年目の人間にチームのトップを任せようとする発想がすごいと思いました。まぁパイオニアになることを大切にしている糸賀さんなら普通のことかもしれませんが。笑
僕は引き受けるかどうか一瞬迷いましたが、その場で首を縦に振りました。
今回はその理由を綴り、そしてこの連載を締めたいと思います。
「アメフトで障害を負ったのに、なぜ今でもアメフトに関わるの?」
今でも取材の際などに必ず聞かれる質問です。確かに人生を180度変えるような怪我をしたスポーツをもう二度と見たくないというのは自然な流れかもしれません。僕と同じようにスポーツで頸髄損傷になった同世代の方にそういう人も多くいました。そして中には学校や競技団体を相手に訴訟を起こしている人もいました。
そのこと自体を否定する気は全くありません。なぜなら、自分の思い描く未来を一瞬で奪われる絶望感を僕も知っているからです。
しかし、僕はその道を選ばず、むしろ今は自分が指導者の立場になり、障害を負うことになったアメリカンフットボールに関わることを選択しました。これには理由があります。そして同時にこの理由がヘッドコーチを引き受けた理由でもあります。
それはアメリカンフットボールに恩返ししたいから。
残念ながら現在の日本で、この競技の知名度はそこまで高くありません。関西では大学の試合がテレビで放映されるなど、目にする機会はありますが、日本国内で詳しいルールを知っている人はあまり多くないと思います。そのため僕の車いすの姿を見て「アメリカンフットボールの怪我でこうなったんです」と説明するとほぼ「やっぱりアメリカンフットボールは危険で野蛮なスポーツなんだぁ」というような反応が返ってきます。
ときには「なんでアメリカンフットボールなんてやったの?」と言われることもあります。
自分のことをどう言われようと大して気になりませんが、アメリカンフットボールのことを悪く言われることはとても辛く感じました。
なぜなら、この怪我は僕自身のミスにより招いた自損事故だからです。
アメリカンフットボールは激しいコンタクトを伴うスポーツなので、やはり打撲や擦過傷のような怪我は他のスポーツに比べて多く発生します。しかし、僕が負ったような頚椎の重大事故の発生率は他のコンタクトスポーツと対して変わりません。むしろ少ないくらいです。それはヘルメットと防具で体を守っているため、ルールを守り正しい姿勢で相手と接触すれば大きな怪我に繋がることはありません。
実際に僕は「頭を下げた状態で相手と接触する」というアメリカンフットボールで絶対してはいけない姿勢でコンタクトしたため首を骨折しました。もちろん接触した相手選手に非は全くありません。
自分のミスで招いた怪我のせいで大好きなアメリカンフットボールにマイナスのイメージが貼られてしまうことが辛かったし、何よりもこのような事態を招いてしまい、この競技に関わる全ての人に対して申し訳ない気持ちでたまりませんでした。だからこそ自分がもう一度この競技に関わることで一人でも多くの人にアメリカンフットボールの素晴らしさを知ってほしいと思い、どうせやるならとことんやろうとチームの指揮を取ることができるヘッドコーチという役職を引き受けました。
もちろん僕一人の影響力なんてたかが知れています。それでも可能な範囲で今の自分にできることを懸命に取り組むことが些細ではありますが恩返しだと思っています。
いくら嘆いても過去は変わりません。
2007年9月1日に起きた事故の事実はどんなことをしても変えることはできません。
そして「障害が辛いから、引きこもって嘆き過ごす」
それとも「残された環境の中で自分の可能性を信じ努力する」
どちらの道を選ぶも自分の考え方ひとつです。僕は自分に降りかかる全ての出来事に意味があると思っています。たとえその出来事が人生を辞めてしまいたいくらい辛いことであっても、無駄な試練はありません。
苦労を学ぶ時期。
幸せを感じることが出来る時期。
数々の失敗と挫折を繰り返して、時には立ち止まり、逃げ出したいことがあっても、その苦しみに向き合い行動することで人間の魂が磨かれていきます。そしてこのプロセスこそが人の成長だと思います。
人生の旅で出逢う全て事が、僕たちが行くべき場所へと連れてってくれます。
障害を通じて、いい意味でも悪い意味でもいろんなことが変わりました。
ウソのように聞こえるかもしれませんが、今はこの障害にとても感謝しています。ただ「障害を乗り越えた」わけではありません。実際に今も車いすで生活していますし、自分の体のことで悩む日もあります。それでも今の生活がマイナスかと聞かれると「No!!」と言い切れます。あの日の事故があったからこそ、たくさんの素敵な出会いと巡り合い、大切なモノが見えるようになり、些細な事でも感謝し幸せを感じる自分がいます。
今でも立ち直れないほど落ち込むことはありますが、僕の周りには大切な家族がいて、信頼できる仲間がいて、そして大好きなアメリカンフットボールに関わることができています。これほど幸せなことはありません。
そして死に直面するような経験を通して「今を懸命に生きる」ことの大切さを学びました。
時間は誰しも無限にあるわけではありません。もしかしたら今日、人生が終わるかもしれません。でもそれは誰にも分からない。だからこそ、今この一瞬一瞬に心をこめて、感謝を忘れず生きていく。今日自分は何をすればいいのか、どう生きたらいいかを考えて行動に移す。そういう日々を積み重ねて、人生の最後の日に「僕の人生っていろいろあったけど楽しかったな」と笑って終えることが僕の目標です。
人生が長いとか短いとか、幸福だとか不幸だとか、それは他人が決めるものではありません。そのため後悔せずに生きるためには、自分の人生を自分で決め、日々を一生懸命に生きることが大切だと思います。
全15話の話を通じて僕の考えや想いを綴りましたが、すべてが正しいとは思っていません。ただ障害を負ってもこんな生き方をしている青年がいるんだなと知って頂けたらそれだけで十分です。
欲を言えば、これをきっかけに少しでもアメリカンフットボールに触れてくれたらとても嬉しく思います。
最後にこれを読んでくださったすべての人の明るい未来を願い、僕の生き方を示すこの文章で連載を締めさせて下さい。
「僕は車いすに乗っている。ただそれだけのこと。」
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!!
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