アメフトで首を骨折し、四肢麻痺になった青年がヘッドコーチとしてチームに復帰した話。パート14
夏場のグランドでの過ごし方に慣れて、頻繁に練習へ参加することができるようになった。
しかし自分もチームに貢献したいという気持ちが日に日に大きくなる一方で、雑用を手伝うことすらできないことがとても歯がゆかった。
そんな僕の姿を見て、糸賀さんは何かきっかけが見つかればとアメリカンフットボールに関わる様々な場所へ連れて行ってくれた。半ば強引に連れ回してくれたという方が適切かもしれないが。笑
ノートルダム・JAPANボウルの時もそうだが、この機会を通して、糸賀さんの顔の広さには驚かされた。
あるときには関西学院大学や神戸大学、同志社大学など関西学生のトップチームの練習に参加させてくれ、ある時には社会人チームで活躍するコーチや選手と個人的に話をする場を設けてくれた。
どれも一般的な大学アメリカンフットボール部員が会える人ではない。
僕は訪れた場所で見たこと聞いたことから自分にできることはないか必死に探した。
そのような日々を過ごす中で、チームに復帰して半年たった2011年3月、関西学院大学のコーチと話をする機会があった。関西学院大学は現在、学生日本一を4年連続で達成している強豪校だ。
そしてこのときの話を通して、これなら障害を持っている自分でも努力次第でできるかもというものが見つかった。
それは戦術を考えるということ。
ここで少しアメリカンフットボールの特徴を紹介したい。
アメリカンフットボールはラグビーやサッカーように常にボールが動き攻守が入り乱れる競技と異なり、1プレーずつプレーが途切れ、毎回サッカーのフリーキックのようにボールを置き直して始まる。
毎回プレーが止まり、お互いに戦術の選択や情報を分析する時間が与えられるため、アメリカンフットボールは事前にあらゆる戦術を用意することができる。
この点が他の競技と大きく異なり、アメリカンフットボールの魅力のひとつだ。
そして選手は試合までに下記のような作戦(1試合当たり約100プレー)をすべて覚え、完璧に再現できるまで練習を繰り返す。
そのためアメリカンフットボールの勝敗の5割は、どのような作戦を用意するかで決まる。そして、この戦術を考えることがコーチの仕事であり、たとえフィジカル面で相手に劣っていても、戦術次第で勝つことができる。
つまりアメリカンフットボールとは他の競技に比べ、コーチの頭脳が勝敗に大きく影響する競技なのだ。
関西学院大学のコーチから対戦相手の情報を分析し、作戦を考えることの重要性を教えていただいた。
僕は障害があるため選手としてチームに貢献することはできない。しかし幸いにも脳に障害は残らなかったため、この仕事であれば自分にもできるのではないかと思った。
アメリカンフットボールを初めて半年で怪我をしたため、作戦のノウハウについて無知に等しかったが、チームに貢献したいという気持ちが「そんな理由はただの言い訳だ」と払拭してくれた。
そして糸賀さんに「コーチの勉強がしたい」と伝えた。
返ってきた言葉は短かったが僕の背中を押してくれた。
人はなりたい自分の姿が明確になると、苦労があっても頑張れる。
そして当時、天理大学でコーチをしていた皆さんは何も分からない僕に基本から丁寧に教えてくれた。
また知識が乏しい僕は時間があれば試合のビデオを見て勉強した。当時、日によっては5,6時間続けてビデオを見ることもあったが全く苦ではなかった。練習を見ていることしかできない日々に比べると、アメリカンフットボールの試合を見ている時間が楽しくて仕方なかった。
今なら漫画「スラムダンク」で桜木花道が2万本のジャンプシュート練習を楽しいと感じていた理由が分かる気がする。
そして、他大学のコーチや外部の関係者の方もこの挑戦を応援してくれた。
その中のひとりが2010年シーズンのチャンピオンチーム、オービックシーガルズ(社会人チーム)でオフェンスコーディネーターをされていた新生剛士(しんじょう たけし)さんだ。
新生さんは現在独立され、QB道場というQuarter Back(ポジションのひとつ)に特化したクリニックを主催している。
詳しくはぜひQB道場のブログをご覧ください。
新生コーチにはQB道場を通してオフェンスのノウハウなど教えてくれ、分からないことがあれば親身になって相談に乗ってくれた。そしてひとつずつアメリカンフットボールの知識を身につけ、少しずつだがチームに貢献できるようになった。
このように天理大学のコーチの皆さんはもちろん、新生コーチをはじめ数えきれないほど多くのコーチが僕の挑戦を支えてくれた。
振り返ってみると本当に周囲の人に恵まれているなと思う。
チームに貢献したいと決めてからのすべての人との出会いが、僕をコーチという第二のフットボール人生に導いてくれた。そしてコーチという立場では、障害がある人もない人も同じ目線で勝負することができる。僕はこのことが何よりも嬉しかった。
不思議なものでアメリカンフットボールでの事故で生きる意味を失ったと思っていたが、どん底の中で生きがいを与えてくれたのもアメリカンフットボールだった。そして、コーチという僕の第二のフットボール人生が始まったが、それは失敗と挫折の日々の幕開けでもあった。
それからコーチを始めて1年経った2011年シーズンの終わり、糸賀さんからあることを提案された。
著者の中村 珍晴さんに人生相談を申込む
著者の中村 珍晴さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます