偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その②

前編: 偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話
後編: 偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その③

18歳の夏。大手予備校の夏期講習を受講して衝撃を受ける。


3年社会人として働いた後、大学に進学した話を周囲にすると、必ず聞かれることがある。「何がキミをそうさせたのか?」と。無論、「夢」であったからだ。付け加えると、社会人として零細企業に勤めているから小バカにされることが多かったから、バカにしてきた連中を見返したいという気持ちがあったのは事実である。


さて、ボクは塾に通いはじめてから猛勉強に猛勉強を重ねた。風邪を引いても、友人に遊びに誘われても断り、毎日机に向かった。もちろん、机に向かわずに勉強するスマートな方法だっていくらでもある。ただ、当時のボクが恐れていたことは「慢心」であった。時間が無いのは百も承知である。効率を求めるのは当然であるが、効率を求めると、余裕が生まれ、余裕が生まれると自分に甘くなってしまうと考えた。何が何でも合格を勝ち取ってやるという気概があり、そのために毎日死ぬ気で過ごそうと決めていたのである。勉強はまさしく、自分との戦いだったのだ。


日々の努力もあり、順調に成果が出始めた頃、大手予備校の夏期講習に行った。そこで、衝撃的な内容を目にする。それは現代文・小論文の講義であった。テーマは「親の所得と子どもの学力は比例する」といった内容であった。「まさしくボクのことじゃないか」思わずつぶやいた。所得が低い家庭は、子どもが早くから労働する必要があり、学業に専念できない。普通に考えればそうだ。そうだけれども、文章で書かれるとまた違った感想を持ってしまう。やりきれない気持ちだった。


当時の日記にボクはこう記してある。「確かに、ボクの世帯は年収100万以下の低所得だ。正直に言えば、高所得な世帯が羨ましい。しかし、そんなこといっても不毛だ。この世に生んでくれたお母さんに合格通知と一緒に「ありがとう」を届けよう。それがボクが生まれた意味だ。」ボクは、その日からより一層受験勉強に精を出すことが出来た。辛いことが続いても、このことを振り返って元気をもらうことができた。


勉強を続けるうちに、色々なことが見えてきた。将来のお金のことだ。いくら「夢」である大学に進学したとしても、投資分を回収できなければ意味がない。そして、学費もかかる。前述の通り、学費を出してもらえるような家庭状況ではなかったため、全額自腹である。(ちなみに、高校の学費も自分で支払った。)


つまり、受験だけにお金を全額使ってしまうと、入学後支障がでてしまうのである。この時点で、私立大学に進学するという選択肢は消えた。自宅から通えて、学費の安い国立大学に進学する必要があるという判断になった。


考えれば考えるほど、受験に失敗できないという思いが強くなってきていた。受験もただではない。そして、時間も有限である。仕事も、いつ忙しくなるかわからない。ズルズル受験を続けるよりも、一番見込みがある時に、勝負を決めようと決心した。


決心した次の日、ボクは自衛隊の一般曹候補生の願書をもらいに、大阪・梅田の自衛隊支部に出向いた。そこで、30分足らずで願書が完成し、提出の手続きまで行ってもらった。ボクが志願したのは航空自衛隊だった。万が一、受験に失敗したら、自衛隊に行き、母親に全額仕送りする腹決めをその時した。漠然とした不安がそのときから、自然となくなり、期待と焦燥感が入り混じった何とも言えない気持ちを抱くようになった。初夏にはいり、街行く人々は半袖になり、夜空を見上げれば満点の星空であった。

国立大学合格まで残り1年






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