偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その③

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最後の10代。「受験」に全身全霊の思いの丈をぶつける。



当時のボクの日記を読むと、高校の推薦枠を使って、有名私大に進学した人を羨む記述が散見される。「あの時、ああやっていれば」と。しかし、こう続く。「頑張り時に頑張った人が報われて当然なんだ。ボクは、今の会社に入って受験を目指すことで気づくことができたんだ。むしろ、応援してくれる人を見つけることができて幸せだ。」と。


いよいよ、大学受験も半年後にせまり、勉強も大詰めに入る。何度もいうが、ラストチャンスである。泣いても笑っても、コレが最後。もし、落ちたら自衛隊に行く。そう腹決めをして、ボクは死に物狂いで頑張った。


しかし、一筋縄ではいかなかった。当時、会社で人事異動があり、本社勤務からお客様勤務となった。仕事も覚えることが多くなった。恥ずかしい話、仕事でミスを連発していた。仕事は「準備が7割」だと思うが、準備をするためには、覚えておかなければいけないことがたくさんある。異動で新しい仕事を1から覚える余裕はボクにはなかったのである。


会社側からすると迷惑な話である。やる気がないなら辞めろという話になる。ボクは受験のことを隠していたし、会社側からすると何も配慮しなくて当然なのである。3年目であるボクには、仕事と向き合うか、受験と向き合うかの選択が迫られたのである。


ボクの答えは明確で、受験と向き合うであった。合格すれば退職してやる。という意気込みで仕事を続けていたが、そんなに甘いものじゃなかった。一生懸命頑張っても、仕事が増えればミスも増えた。仕事でミスをすると、もちろん怒られる。当時はコンプライアンスなどうるさく言われていなかったし、殴られることもあった。


「全ては仕事ができない自分が悪い」そう思い、堪えながら仕事を続けた。仕事をやらなければ、お金を稼ぐことができないからだ。あまりにも辛い環境が続くので、退職やアルバイトも考えた。しかし、当時のボクは思いとどまった。なぜなら、このまま辞めるということは、如何に事情があったとしても、何も解決しないまま、受験という言い訳を作って逃げることになると考えたからだ。かっこをつけるつもりなんて一切なかった。


仕事ができていなかったのは事実だし、かといって受験は順調なのかといわれれば、結果は出ていないので、自身の思い込みに頼るしかない。自分の能力を「過信」して、見切り発車してしまうのが怖かったのだ。


まさに絶対絶命であった。受験で結果を出すための大事な時期に、仕事でも大事な時期がかさなったのである。シンプルに大事な方を選べば良いと思うが、当時のボクには難しい状況であった。仕事と受験勉強のバランスが崩れた今、どのようにして問題解決をすればいいのか。必死に考え悩み、相談にのってもらっていた。


そんな中、転機が訪れた。社長と話す機会を頂いたのだった。結論から話すと、ボクは泣きながら思ってることを言った。受験のコト、落ちたら自衛隊に行こうと思ってるコト、夢のコト。そして、大学に受かったら会社を辞めようと思っているというコト。全部正直に話をした。


社長は、全部認めてくれた。ボクのことを応援してくれた。ボクは嬉しくて、泣きながら話していたのに、また涙が止まらなかった。「ありがとうございます。」と言いながら常駐先の客先で涙をずっと流していた。


翌週から、ボクは自社勤務に戻ることになった。受験の不安が無くなり、思う存分勉強をした。同時に、何が何でも合格をもぎ取らなければならないという気持ちでいっぱいになった。来る日も来る日も勉強をし、あらゆる誘いも断り、全神経を受験勉強に集中させた。


そして、月日が経ちいよいよ全身全霊で勉強を続けてきた思いの丈をぶつける時がやってきた。まず、センター試験を受けた。結果は好調で、模試よりも少し得点が高かった。しかし、油断は禁物であると戒め、二次試験の日まで勉強を続けた。


そして、二次試験当日。ボクは、真冬の寒さの中、全神経を集中させるため、大学近くのホテルに宿泊し、最後の調整をしていた。窓を見ると、闇の中からぼんやりと銀世界が広がっていた。ボクが受験を決意した日も寒く雪が降っていたな。と過去を思い出していた。そして、ここまで応援をしてくださった、恩人にこのようなメールを打った。


「受験をはじめてから、今に至るまで、ボクは後悔の連続でした。しかし、会社に入り、応援してくれる人と先生に出会うことができました。そのおかげで今のボクがいると思っております。今まで後悔してきた思いを、取り返すために、そして、これからは自分で未来を手にするために明日の試験で思う存分、思いの丈をぶつけてまいりたいと存じます。」


翌日、ボクは一人スーツに着替え受験票を手に試験会場へと出発した。試験会場の大学行きのバスは学生でいっぱいだった。ボクの頭はクールに、だけど心はだれよりも熱かった。この会場、いや日本全国でこの一日、この瞬間にかける思いは誰よりも熱かったと自負できる。


国立大学合格まで10日


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