偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その④

前話: 偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 その③
次話: 偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 エピローグ

大団円!ボクの受験記!


ボクの受験を応援してくれた本がある。福沢諭吉先生の「学問のススメ」である。本書の冒頭にボクが感銘を受けた言葉が載っている。どんな内容かを書く。「天は人の上に人をつくらず、人は生まれながら平等であると言われている。しかし、現実には大きな差がある。それはなぜか。その理由は、学んだか学ばなかったかによるものである。」


ボクは将来のことなんか、ハッキリ言ってわからない。だけど、1浪2浪という言葉があるとおり、大学に行くのに浪人が許されているというのは、それほど学ぶことが貴いということなのではないか。当時のボクはそう思った。


センター試験を経て、二次試験を受けている最中、何度も既視感のある問題に出くわした。だけど、丁寧に問題を解いていると、全く時間が足らなかった。結果、試験官の辞めの合図ぴったりに鉛筆を置いた。周囲を見渡すと、時間を持て余している学生がちらほらいた。


「ようやく終わったな。」ボクは帰路の途中自分にこう話しかけたのであった。文字通り、全身全霊をかけた。何があっても後悔は無い。この時点で、自衛隊の試験にも合格していたので、後は天命を待つのみであった。


そこからは、日々仕事を平凡にこなし、合格発表日まで時を待っていた。そわそわが止まらない毎日を耐え、寝る前に解けなかった問題の解をひらめいたりする時間を過ごしていた。


そして、合格発表の日。その日もボクは仕事であった。午前10:00から合格者のみ番号開示ということであった。私の受験番号は9517であった。時間になったことを確認し、ボクは仕事を途中で抜けだし、会社のロビーで携帯から自分の番号を探していた。


確認を続け、いよいよ、受験番号951*台へ突入した。こっから先は、心臓がバクバクして指も震えていた。最初に確認すると951で始まる番号は3つしかなかった。ひとつずつ確認をする。一番最初は、、、9511。次は、9516、、、次で無ければ番号は無いことが確定する。イコール受験に失敗したことになる。


覚悟を決め、より一層震える指先で最後の番号を確認する。









9511

9516

9517

-----合格者は以上です。-----


ボクの番号を確認した瞬間、ボクはこれまでの辛かった思い出が一気に込み上げてきた。ずっと、不安でずっと、このままでいいか悩んできたんだ。だけど、その結果、この合格を勝ち得たんだ。ボクは大学生になれるんだ。万感の思いを、携帯のモニターから感じとった後、ボクは無我夢中で電話をかけた。


発信先は母親である。実は、ボクが受験勉強を始めてすぐに、母も仕事先が潰れて新しい職場に移ったのである。新しい職場では、母が一番高齢で、かつパソコンを触らなければならない環境であった。日々、辛い環境であるにもかかわらず、愚痴ひとつもらさない母親に対して、白髪が増えてきた母に対して、ボクはボクの口から「産んでくれてありがとう」を言いたかったのである。


電話を発信する。この気持ちを真っ先に母に伝えたい。発信音が凄く長く感じる。しばらく発信の後、母が電話を取る。母が「もしもし」と呼ぶその声は、ボクが待ち望んでいた声だった。


そして、母に合格を伝えようと思った矢先、不思議なことに気づいた。声が一切出ないのである。たった一言。「合格したよ。」が出ないのである。陰ながら応援してくれた一番の応援者である母に伝えなければいけない、たった一言がでてこなかったのである。


出てきたのは、涙だった。大の大人が、会社のロビーで携帯片手に泣いているのである。思っているのに、どうしても言葉にできない。別の言葉で伝えるのはどうか。そう思った。その時、万感の思いがこみ上げて来た。どういう思いだったのか。今でも形容し難い。ただ、今でも憶えてることがある。それは、ボクのこんなボロボロだったボクの「夢」を見捨てずに応援して下さった人々に対する感謝の気持ちである。そして、一番そばにいてくれた母に対して伝えようと決めている言葉があったことを思い出した。


今度は言葉がすぐに出た。電話がつながって、30秒ほどの沈黙の後、「お母さん、ボクを、こんなボクを産んでくれてありがとうございます。」電話越しにようやく伝えることができた。思えば、この一言を伝える為に、大学受験を目指したんじゃないかな。ボクは必死だったけど、母も生きるのに必死だった。こんな小さな物語がようやく、ハッピーエンドで終わろうとしている。


電話越しの母は、ずっと泣いていた。一番辛かったのは母なのに、家で泣いたことを見たことがないのに、何で泣いてくれるのか。いっぱいいっぱいだったボクを理解してくれて、合格したといわずとも、合格したことを分ってくれた。そしてボクも泣いていた。泣いて、目が真っ赤になった。ついに、ついにボクは「夢」を手に入れることができたんだ。無邪気に喜ぶ気力はボクには無かった。ボクは仕事にもどり、母に合格を伝えることができた喜びをかみ締めていた。


そして、急いで家に帰ると、母が赤飯を買ってきてくれていた。そして、合格祝いで5万円を用意してくれていた。


ボクは知っていた。働き詰めで、母が高血圧になり、薬代でお金に余裕がなかったことを。

ボクが受験を目指していたことを知ったあと、貯めていた学費を当てにせず、自分の貯金を切り崩していたことを。

どこにそんな余裕があるのか。ボクは聞かなかった。あるのは、笑顔だけだった。涙を流しながら、2人で笑顔でいた。


ボクは、母から祝い金を受け取ったあと、赤飯を食べた。この時の味は今でも憶えている。涙と鼻水が混ざったびちゃびちゃの赤飯は、世界で一番美味しかったと。ボクは、一口一口、赤飯をかみ締めながら、絶対に親孝行をするんだと、このとき改めて誓いをたてた。




---以上で物語は終了です。全部実話です。関西の話です。



このような文章を公開する機会を作ってくださった[STORYS.JP]様に感謝いたします。

次の日記のページをかくのは「あなた」です。

それでは。

続きのストーリーはこちら!

偏差値37の工業高校でビリだったボクが、社会人を3年やりながら夜は予備校で勉強し、学費を250万貯めて国立大学に合格した話 エピローグ

著者の齋藤 淳平さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。