母に抱く殺意 第3章

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財布のやりとりから、母への不信感は募るばかり。病院で必要なオムツなどの消耗品や洗濯物も、私が届けることが増えていった

姉は、子育てを理由に忙しいと言って、見舞いもあまり来ていなかった。電話をかけても子供のいないあなたは暇でしょ、と言わんばかりの態度だった

私は、自営業の夫の仕事を手伝い、深夜までや徹夜の仕事になることも多々あった

時間的融通が利いたことは不幸中の幸いだったかもしれない

ある日、いつものように父の見舞いに行くと、珍しく同じ病室の入院している方の奥様が、話しかけてくれた

「入院しているのは、お父さん?」

「はい。心室細動で倒れて、低酸素脳症に…」

「うちも、脳症だよ。もう10年近くこの状態。いつもは、自宅で介護しているけど、肺炎おこしちゃって、入院になっちゃったの。」

「10年ですか…!そんなに長く生きれるんですね」

希望が見えるような気がした

「でも、人それぞれだよ。すぐに亡くなる人もいるしね…この状態では、本人にとって長く生きることが良いことなのかも、ね~」

鼻からチューブで入れて、栄養補給。痰を取る作業は、意識がない状態でもつらそうに見えた

確かに、生きていることには変わりないけど、この状態で生き続けることが父にとって幸せなのか…?

でも、父に触れると暖かく、反応があるだけでも、やはり嬉しかった

「耳って、聞こえているんですか?」

「多分、聞こえているよ。だから、たくさん話しかけてあげたらいいよ。音楽を聞かせたり、手足をマッサージしたりするのもきっと喜ぶよ」

奥様は、そういって温水で濡らしたタオルでご主人の顔や手を拭き始めた

「寝たきりになってから、まだ日が経ってなくて、どういうことならしても良いのかもわからなくて…」

「最初はおっかなびっくりだろうけど、大抵のことは、大丈夫よ」

寝たきりのご主人が、暖かいタオルで拭いてもらって、何だか反応が多くなった気がした

その日の夕方、私は実家に立ち寄った 

あの財布のやりとりから実家に近寄らずにいたが、父の脳の刺激になればと、父がいつも聞いていたクラシックやジャズのCDを探すためだった

父の好きなバンドのCDを10枚ほど書斎の引出しや車の中から出して車に載せた

母は、私の姿を見つけると、

「あんた、父さんの通帳とカード知らない?」

「知るわけないじゃん!」

「お金、下ろせなくて困ってるのよ」

そんなことを、姉が電話で言っていたことを思い出した

「母が父の預金を下ろせずに困っているから実家に行ってやって」と。

実家なら、姉の家からの方が近いのに。

深夜2時すぎまでの仕事で疲れていたけれど、父の物がある場所を探し始めた…

父は、大切なものは持ち歩いているはず。

閃いて、車のダッシュボードを探したら、通帳と印鑑が見つかった

覗き込むように見ていた母が、驚いていた

無言のまま母に渡した。

「ありがとう!これで助かったわ」

元々、母に対しての信頼などなかったのだけど、母に対する不信感は、積もり積もっていくばかりだった

その日を境に、母がいない留守中に、父に関する書類を探し、コピーを取るようになった

この行動が、後々、役に立つとは……



私と実母とは、仲が悪かった

小学生の時点で、母に好かれていないことがわかっていた

成績優秀の姉、成績は普通の私、どこの家庭でもあるような姉妹の個性の違いだった

母は、聞き分けの良い姉を可愛がり、私はわかりやすいほど差別されていた

それが中学生になると、大きな歪みとなって現れる

夜勤のある仕事をしていた父は多趣味でもあって、家を空けることが多く、パートで働く母に、子供や、家庭のことを任せていた

何か私に問題があると、父に母が怒られ、そして、母は私に「あんたが問題起こすと、私が怒られるのよ!」と激怒した

中学1年の時、些細なことで誤解を招き、先輩に目をつけられ、不良の仲間入りをしてしまった

幼いころから父と母は、父の両親との同居が上手くいかなかったことから、親族の冠婚葬祭の参加不参加で喧嘩を繰り返し、母は、自然と父の姉、弟、妹とも仲が悪くなった

私が中学2年生になる頃には、母も趣味を理由に外出が増え、毎朝、誰かと話すのが日課になっていた

学校へ行くため支度をする娘たちなどお構いなく、電話の相手と朝の挨拶を交し、笑ったり弾んだ声で話すことが毎日続いた。

私は、自然と帰宅時間が遅くなり、不良の先輩とつるむことが増えていった

堕落していくのには、時間がかからなかった

父は、帰宅の遅い私をずっと起きて待つ生活になり、私が帰宅しない日は、行く当てなどわからないのに、車で探し回った

帰宅すると、父は何も言わなかったが、(何か言っても無視したが…)無言のまま2階の自分の部屋へ。

部屋の明かりが消えると、父も2階へあがってきて、隣の寝室へ行く。

私は父の思いをわかりながらも、戻ることなど出来ない状態に陥っていた

母は、夜に私がいようがいまいが、関係なくいびきをかいて寝ていた

早朝からの仕事があるから、が理由だった

早朝からの仕事を終え帰宅したら、すぐに誰かに電話する

その時間がちょうど、私と姉が学校へ行く時間だったのだ

素行の悪い娘、父から怒られる日々、母の私に投げかける言葉が罵詈雑言になっていった

更に私は、家にいつかなくなった

母の外泊も増え、毎日の見知らぬ相手への電話も私が結婚するまでの10年近く続いていたことを確認している(父が倒れた後もあったのかもしれない)

母と私の関係を悪化させる出来事がいくつも勃発し、不仲は確執に変わっていく…


そんな反抗期真っ直中のある日、私は体調がすぐれず一日寝込んでいて、24時すぎに痛みがひどくなり、病院へ連れて行ってと母に頼んだら、母は痛み止めを渡して、外出してしまった

私は近所の人に伝言して、自分で救急車を呼び付き添いもなく病院へ行った。運悪く姉は不在、父は夜勤の日だった

3日日間の絶食、そのまま、1週間の入院…

夜勤から早退して帰った父が病院へきて、母がカラオケに行っていたと話し、ケンカになったと告げた

父はどう思ったのだろう?

母は、私が嫌がるだろうからと父に話し、入院中一度も病院へ来ることはなく、必要なものは父が届けてくれた

荒みきった毎日、母からの罵詈雑言、ごく自然な感情のように、母への殺意が芽生えた

日々繰り返されるラブコールのような甘い母の電話。

母の愛情を向けられることのない苛立ちが、母が電話中に後ろから首しめてやる!と思わせた

チャンスは毎日あったのだから。

電話相手にも、母の死ぬ瞬間を教えてやる!と……

まだ少年法が無かった時代、いかに短絡的犯行に見せるか、使う凶器は?捕まった時に言う言葉や、少年院へ行っても、数年で出られるし、など具体的に考えていた

そんな荒んだ気持ちを思い留まらせていたのは、父の思いだった

何年も深夜徘徊状態で家に寄り付かない私を、父は見守ってくれていた

私の帰宅を待ち続け、父のタバコの本数は増え、いつも灰皿は、吸い殻の山

父が倒れたら、私のせいだ……そう思いながらも、荒んだ生活から戻れるような段階には、なかった

私が結婚し、家を出たことで母との不仲は一時休戦。

私の結婚の時に、父には言わなかった母との確執の一部を打ち明けた

「そんなことがあったのか、知らなくて悪かったな」と父は言ってくれたが、本当はもっとひどいこともあった。(今思えば、話さなくて良かったと思っている)

手のあげることなどない父が、母をブッ飛ばしていたかもしれないくらいの出来事が私と母の間には多々あったのだ

私と父は一緒に行動することが増え、母は元々仲が良かった姉と行動。

家族は、父と私、母と姉で考えが合うもの同士二分していた

その時すでに、父に何かあれば、孤立無援になる。母や姉と対立するかもしれないと、わかっていた


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母に抱く殺意 第4章

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