「思考の現実化」を身をもって体験した話
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>1。開き直ってみよう!
好きな人としか付き合わない!!
ずっと旅が好きだったわたしは、正社員という安定を捨てて、
常に派遣とバイトというダブルワークに勤しんでいた。
しかし30歳をすぎたあたりから、
私はいつまでこんな不安定な生活を続けられるのか?
という不安が常につきまとった。
家族の”不良債権”感がどうしても抜けない。
ひとつ下の弟は立派に家庭を持ち、両親との二世帯住宅を建て、
その家に、2年間沖縄に住んでいた私を帰省後1年もの間住まわせてくれた。
結婚もしないで、彼氏もつくらず
自分のすきなことばっかりやって、
親孝行すらできていない。
ここで普通なら、「まっとうな仕事に就こう!」とハローワークなどに通い
正社員になろうとするのかもしれないが、わたしは違った。
冒頭で高らかに宣言した通り、開き直ったのだ。
それまでも、散々好きなことを好きなだけしてきた人生だった。
今さらそんな人生は捨てられない。
好きな人としか付き合わない!!
私はそう心に決めて、平日の派遣の仕事を契約期間満了とともに辞め、次を探すことをやめた。
週末しかシフトインしていなかった結婚式場のアルバイトだけを
平日も出勤できるようにしてもらい、続けることにしたのだ。
理由はひとつ。
行きたい時に「東京へ行くため」
私の送りたいライフスタイルを送っている人が、東京にはたくさんいる。
SNS全盛期の今の時代、地方にいてもそれは十分に伝わってきていた。
私は会いたいと思った人に
片っ端から会いに行くことにしたのだ。
2。会いに行ってみよう!
結婚式場の職場の上司、一緒に働くスタッフにはかなり恵まれていた。
基本休日は自分の希望通りにとれたので、出勤できる時に仕事をさせていただき、東京でアポがとれると休みをとった。
今思えばこの甘すぎる職場環境がなかったら、「今」はないだろう。
本当に感謝しています。
私はほぼ毎月1回、多いと2回は東京に通った。
バイト代は東京への軍資金になっていた。「この人に会いたい」と思った人にコンタクトをとる。
アポが取れたら会いに行く。受けたいセミナーがあれば受けに行く。懇親会に行く。
地方住みでありながら、東京ですでに自由な生活を手に入れている方とのご縁はどんどん繋がっていった。
そしてある日、Facebookのひとつの記事により、私の運命が変わる瞬間がきた。
STORYS.JPの「断捨離が行き過ぎて家まで無くなった話」の著者、神谷純平くんとの出逢いだ。
私のタイムラインに純平くんの書いたSTORYSがランキング1位になったという記事があがってきて、それに”いいね!”をしたことがきっかけで、私と純平くんは、SNS上で友達になった。
3。ゲストハウス予約しました!
東京へは大体1泊2日で通っていた。泊まるのはいつもホテルのシングルルーム。
ある時、純平くんが”オススメのタイのゲストハウス”記事をあげていた。
私は普段から割とコメントを残すタイプで、その記事にはこんなコメントを書いた。
クオリティーの高さにびっくりです!!
日本でこのくらいだと
6000円〜7000円はしそう。
ここのオーナーさんの学生時代の話が面白いんですよ!「一日で300万円無くなった話」
日本でクオリティが高いゲストハウスだとNuiさんが有名です。
http://backpackersjapan.co.jp/nui/
泊まろうと思い予約を3度試みましたが3度とも満員でした。
このコメントを読んだ時、すでに私は次月の東京行きが決まっていたが、
たまたままだ宿泊先の予約をしていなかったこともあって、
純平くんオススメのゲストハウスを予約してみることにした。
ちょうどホテルにも飽きてきた頃だった。
普段から強運極まりない私は、見事、ラスイチをGETw
純平くんが3回も振られている人気ゲストハウスだったが、あっさり予約することに成功した。
ステキなゲストハウスのご紹介ありがとうございました♡
直後、私の行動力の早さに驚いた純平くんから直接メッセージが来て、
2週間後の私の上京に合わせ、お会いすることとなった。
4。上京してください。
2015年1月30日。
もともと純平くんが予定していた、”株式会社NISHIZAWA”社長の西澤良磨くんとのお寿司ランチ。
私はずうずうしくも、そんな”イケメン社長の会”に同席させてもらうことができたのだった。
その時はまさか、この日の深夜に上京することが決まるとは、夢にも思っていなかったけど。。。
(ちなみにこの時のご縁は2年以上たった今でも続いています♡)
深夜、すべての予定をこなしてホテルに戻り、Macでまったりお礼メールを書いていたその時。
純平くんからこんな衝撃のメッセージがきたのだ。
これから手がける新規プロジェクトを
手伝ってくれませんか?
え?私、東京に引っ越すとか一言も言ってないよね??w
なんで引っ越す前提なんだ?w
5。上京
そこからはあっという間だった。
毎月東京に通っていた私は、ずっと上京したいと思っていたが、
いろいろなことを考えすぎて動くことができない状態だった。
でも、純平くんからのありがたい申し出を断る理由は、その時の私にはなかった。
(なんか知らんけど私が引っ越す前提でメール来たしw)
もともとフリーターという不安定な生活だったし、今さら失うものなど、何もなかったからかもしれない。
「私を必要としてくれる人がいる」
ということがとにかく嬉しかった。そして何より、30を過ぎて、新しいチャレンジをしようとしている私を支えてくれたのは、他でもない。親や兄弟、友達みんなからの”応援”だった。
みんながいてくれたから、安心して挑戦することを決めることができた。
うまくいっても、うまくいかなくっても、大丈夫。
だったら人生で一度くらい、思い切ってやりたいことを全力でやってみよう。
著者のMami Yamazakiさんに人生相談を申込む
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