40年前に自分の父親を殺した男たちとその殺人についての映画を撮る、という内容の映画を見た話

あなたがもし大虐殺の実行者だったとして、40年後、被害者の息子と共演しその殺人を再現する映画を撮ることを誰かに提案されたら、どうするだろうか?

こんな正気の沙汰とは思えないような設定の『アクト・オブ・キリング』という映画がある。これはフィクションではなく、完全なドキュメンタリーだ。

加害者は嬉々として映画製作に参加し、過去の殺人を被害者の息子相手に演じ、あろうことか国家の要職にある人物までもが撮影現場を訪問し出演者を激励する。今、こうしてこの文章を書いているだけでも眩暈がする。大虐殺の当事者に当時を再現する映画の制作を申し出るジョシュア・オッペンハイマーという監督も正気ではないが、その提案を嬉々として受ける実行者も狂っている。

1965年、当時のインドネシア、スカルノ政権に対するクーデター鎮圧を口実として始まった9.30事件の大虐殺がこの映画のテーマであり、登場する人物はすべて実在かつその当事者である。

詳しい経緯は省くが、当時東南アジア最大とされたインドネシア共産党の壊滅を意図したこの大虐殺は、ベトナム戦争が本格化してく情勢の中、おそらくは西側諸国の黙認のもとに、100万人とも300万人ともいわれる人々が「共産主義者」として殺害された。

そこで、この大虐殺の実行者となったのがこの映画の主人公である民兵組織「プレマン(FreeMan)」のリーダーたちである。彼らは、大虐殺収束後に公布された政令によって、訴追されることがないばかりか、今なお民兵組織に影響力のある立場にある。

彼らは現在も国家の暴力装置として保護され、「共産主義から国家を守った」英雄として、当時の虐殺の様子を語る。そのおどけた様子や、陳腐な演技、毒々しい衣装が、グロテスクさを一層引き立てる。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を彷彿とさせるような車上のシーンで、ある加害者がおどけながら語る。

「スディルマン通りから順番に華僑を何十人も刺して回った。華僑だったガールフレンドの父親も刺した。華僑を殺して回る作戦が、彼女の父親を殺す作戦になったんだ。」

しかし、過去の虐殺を演じていくうちに、加害者たちの心境に変化が起っていく。

スハルト政権末期の1997年の夏、僕はバリ島で盗難事件に遭い、ある地域の警察署の警官にお世話になった。警察署の事務所に通されると50代くらいの男性警官が応対してくれて、事情聴取が始まった。その警官は外国人で大学生の僕に対して丁寧で、同じくらいの息子がいるといって親切にしてくれた。しかし、その脂ぎった顔の表情からは何とも言えない気持ち悪さがにじみ出ていた。

夜中の12時を過ぎた頃だっただろうか、一通りの聴取が終わり、その事務所から出るときに隣の部屋に目を移すと、何もないがらんとした部屋に僕と同じくらいの年恰好の男が上半身裸、びしょぬれで床に座っていた。

見てはいけないものを見てしまったような気がして、首をすくめていると、その様子に気が付いた男性警官は、2人の麻薬密売人を逮捕して今取り調べ中なのだと説明し、部屋の中にいる見張り役の若い巡査が手に持つくしゃくしゃになった紙包みを掴み取り、僕の目の前に広げた。包みの中には乾燥した植物のようなものや、色とりどりのカプセルがあった。

「ヤク中はみんな刑務所行きだ。」

若い巡査もニヤつきながら僕に語り、自らの獲物を誇らしげに見下ろした後、自分の力を見せつけるように手にした回転式拳銃の台尻で男の後頭部を何度も殴打した。男が呻き声をあげて気絶すると、バケツの水を頭からひっかぶせ、正気を取り戻させたところで、今度は堅いブーツのつま先でその男の腹を蹴り飛ばした。

50代の男性警官は眉ひとつ動かさない。

事務所がある建物の軒には手錠でつながれたもう一人の男が立ち木に縛りつけられており、暴行を受けている男の呻き声を聞いて震えていた。

それから盗難現場を検証するということで、男性警官に車に乗せられ、僕たちは暗い田んぼ道を走った。完全にびびっている僕の様子を見て、なぜか男は満足げによもやま話をする。悪い奴や泥棒はみんなジャワ人で、バリ人の自分としてはよそからやってきて悪さをする奴は絶対許さないし、特にお前のような外国人を狙うやつはバリ人のメンツにかけて逮捕してやるから安心しろ、等々。

車はある川に差し掛かり、そこに架かっている橋を渡ろうとしたとき、その男は言った。

「俺は、お前くらいの年頃の時、たくさん人を殺した。今でも、人を殺すことなど何でもない。」

男は、通る道々の茂みや暗がりを指さしながら、あそこで何人殺し、あそこに何人埋めた、などと「武勇伝」を得意げに話した。これが僕が体験した9.30事件である。その時の50代の男性警官の脂ぎった顔と、映画の登場人物の顔と表情が重なる。

私たちは「大虐殺を実行しなければ、インドネシア国家が共産主義によって破壊されていたであろうし、我々はその闘争の勝者であったのだ。」という彼らの主張を「理解」できるだろうか?

600万人のユダヤ人を虐殺した組織に属していたアイヒマンという男の裁判を傍聴したアレントはその著書の中でこのように書いている。

「そしてまさに、ユダヤ民族および他のいくつかの国の国民たちとともにこの地球上に生きることを拒む―あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのように―政治を君が実行したからこそ、何人からもすなわち人類に属する何ものからも、君とともに地球上に生きたいと願うことは期待し得ないとわれわれは思う。これが君が絞首されなければならぬ理由、しかもその唯一の理由である。」

つまり、誰かと生きることを拒否した人間は、それと同様に他人からも共に生きることを拒否されるという単純な論理がここに示されており、これが人が人を殺してはいけない原理的な理由だろうと思う。

この映画では、ある民兵組織のリーダーが興奮してまくし立てる。

「ジュネーブ条約が何だ、そんなものは関係ない。明日、俺たちがジャカルタ条約を作ってやる。俺たちは戦いに勝ったのだ、今でも俺たちをたたきつぶそうとするやつがいれば、またいつでもやってやる。俺たちはできる、そうやって生きてきた。俺たちは勝者だ。」

その通りだ。

アイヒマンが属する組織は敗け、この男が属する組織は勝った。アイヒマンは吊るされ、この男はいまだに誰にも咎められることなく、国家に保護され家族と安穏と暮らしている。

やはり歴史は勝者によって創られているのだろうか?

しかし、かつてのガールフレンドを殺したこの男はこうも言う。

「共産主義者は、皆が思っているように残虐ではなかった。残虐であったのは俺たちのほうだ。この映画でそのことを皆が知る。歴史が180度、360度変わるのだ。」

そして、悪夢にうなされる昔の仲間にこう語りかける。

「気をしっかり持て、罪悪感にとらわれるな。具合が悪ければ精神科に行け、そんなものはただの病気だ。」

悪夢にうなされる男は、かつての殺人現場で語りつつ、嘔吐を繰り返す。男は65年に自らが手にかけた男の息子本人を相手に、当時の殺人の演技をする。息子は涙ながらに命乞いをする。演技と実在の世界との境界は崩れ落ち、過去の殺人が再現される。

全く「理解」できない。大虐殺も、この演技も、この映画も。どれだけ相手の視点に立っても「理解」できないこと、してはいけないことがあって、それは、アレントが書くように「ともにこの地球上に生きることを拒む」ことではないかと思う。これを「理解」してしまえば、自分がこの世界に存在できなくなる。

そんな中で、この実行犯の彼らを「理解」できるとしたら、悪夢にうなされる男が嘔吐する姿だけで、せめてこんな姿を目にしたことが自分にとっては救いであったような気がする(しかし、この男がいくら嘔吐して見せたところで、死者が生き返るわけでもなく、遺族の傷が癒えるわけでもない)。

しかし、いまだに何の呵責も感じずに、正しいことを行い、歴史を創ったと信じる人間たちがいるということもまた事実で、この現実対しては、言いようもない気持ち悪さが肺腑の底から湧き上がってくる。

「私は、父が殺されてからは町の周辺に追いやられ、学校にも行けませんでした。読み書きは独学です。でも、決してみなさんを批判するわけじゃありません。今こそ腹を割って話し合うべきじゃありませんか?」

父を殺された男は涙ながらに訴える。彼らは本当に腹を割って話し合い「理解」しあえるのだろうか?何を、どのように「理解」するというのだろうか?そして、いまだに裁かれることなく安穏と暮らしていることをどのように「理解」するのだろうか?

かつて、この世界を「曰く、不可解」として命を絶った学生がいた。この映画を見るにつけ思うことは、まさに世界は「曰く、不可解」であるということだった。

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